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発達障害的、優等生な子の凸凹を見抜ける?

~母として当事者として #発達障害 目線での徒然を書いています。発達障害らしさを感じ取って頂けたら嬉しいです。~

 小学校、中学校まで、私は絵に描いたような優等生でした。多分。自称?かもしれませんが、周りの人たちにも「真面目過ぎる」と言われていました。(今もか?)

 教えなくても平仮名や時計が誰よりも早く読めていて、周りの同級生に教えてあげていた、という話は祖母からよく聞きました。

 小学生の頃までは、自分の見聞きしたすべてのことを記憶している自信がありました。
 だから、習った勉強のことについては分からないことがありませんでした。できない子たちのできないという理由が全く分かりませんでした。

 一方で、忘れ物が酷かったです。
 宿題をし忘れる、持ち物を忘れる、物をなくす、片付けられない・・・
 勉強のことは覚えていられるのに、忘れ物が多いのです。
 自分でもどうしてなのか、わかりませんでした。自分なりに気を付けているつもりでも、できませんでした。

 その上、手先の器用さや運動能力などといった部分は、壊滅的にできませんでした。図工、体育、家庭、音楽、といった実技系の科目は全然できませんでした。
 もちろん、一生懸命やれと言われるから全力で取り組みます。
 それでもできないことだらけでした。
 ちょっとした作業・・・例えば、ハサミを使うとか、紐を結ぶとか、自転車に乗るとか・・・でも、できるようになるまではものすごく時間がかかりました。

 勉強ができると、その他のできないことは「努力が足りない」と言われました。
 常に全力を出し切って取り組んでいたのでこれ以上どう努力すればいいのか、私にはわかりませんでした。
 それでも周りの人たちは当たり前のようにできているし、もっともっと努力しているのかと思っていました。私はまだ努力が足りないのだ、と自分でも思っていました。

 今思えば、私は周りからかけられたすべての言葉を鵜呑みにしていたと思います。

「一生懸命頑張りましょう」と言われるから、全力で頑張る。
「校則を守りなさい」と言われるから、守る。
「努力が足りない」と言われるから、私はまだまだ努力が足りないのか。

 その結果・・・

 クソ真面目、と言われる。
 正義感が強い、とも言われる。
 鈍いのろま、とも言われる。

 何がいけないの?
 私は字義通り受け取っていただけなんだと思います。

 勉強ができて、教員の指示に従って、ルールを守る子は、自然と教員に可愛がられました。

 それが、同級生には、嫌われいじめられる元凶でした。
 なぜ嫌われなければいけないのかがわかりませんでした。

 能力の凸凹。
 字義通り受け取る。
 不注意。

 今思えば、分かりやすく発達障害的な子どもだったと思います。
 でも、勉強はできた子ども。

 今の時代の先生たちだったら、子ども時代の私を発達障害だと見つけてくれるでしょうか。

 以上、発達障害~母ごころ当事者ごころのあゆでした(*'ω'*)
 今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。感謝しています。
 だんだんよくなる!未来は明るい!

 


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