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私が産まれてから専門学校までのお話。

私が産まれて最初の方は父親に公園とかに連れて行ってもらって楽しかったし嬉しかった。
家の近くのお兄さん達とも遊んでもらったりして楽しい時間を過ごしていた。

私が小学校にあがるときに母方のばあちゃんが亡くなった。
ばあちゃんは私が産まれる前からてんかんで喋れなくて1度も喋った事はないのだが私はばあちゃんと色々な話をした。
私が電車をみてばあちゃん電車だよ。と言うとばあちゃんはゆっくりと頷く。そんな感じで私はばあちゃんと色々な話をした。ばあちゃんの事が大好きだった。
すごく悲しかった。

小学校に入学した時に仲良くなった子と毎日のように遊んでいた。
小学校はものすごく楽しくて居心地のいい場所だった。
最初の方は勉強していたがついていけなくなった瞬間にもう勉強をしなくなった。
休み時間に外で遊んだりしてて静かなタイプではなかったと思う。

私が9歳になった時に両親は離婚した。

父親からは4歳〜9歳ぐらいまで首根っこを掴まれ暑い日や真冬の外に出されて数時間も家に入れなかった事が何回もある。
その時に何で母親は助けてくれなかったのだろう?と思っていた。

小学4年生の時だ。
母親から離婚するからどっちに着いてくか決めてと言われた。
その時は学校に友達もいるし父親かな?それとも父親に怒鳴られながら過ごすぐらいなら母親かな?と色々な感情があった。
私は父親に怒られるのが怖かったから残念だが友達と別れる選択をした。

そして、母親の実家に住むことになり最初はじいちゃんは優しくてすごく居心地が良かったが新しい小学校に通うことに緊張していた。
新しい小学校は私が最初に通っていた学校より古かった。
生徒も人数が多くて緊張しながら同じクラスになる人達に挨拶をした。

最初は何処から来たの?とか一緒に遊ぼうと誘ってくれて遊んでいたのだが途中から私はクラスの一部からハブられる事となる。
クラスでも私と仲良くしてくれる人が居たから寂しくはなかった。

私は勉強がどうしても苦手で宿題もやらない子だったので先生に怒られるというのを繰り返していた。
それを見てるクラスの人達は私のことをバカやアホと言って笑っていた。
私は言い返せる人ではなかったので笑って誤魔化していた。
それ以降はかなり静かなタイプだったと思う。

野球クラブに誘ってもらったことがある。
そこで野球を体験させてもらってすごく楽しかったので母親にお願いして入ることにした。
野球クラブでは頑張っていたけど中々上達しなくて試合などにはあまり出れなかったのが少し悔いが残る。

そんな感じで私は小学校を卒業する。

中学校では一緒の小学校の人や違う小学校の人達が集まるのでそれでもまた私は緊張していた。
一緒の小学校の友達と同じクラスになれたからまだ良かった。
中学校でも勉強が出来なくてテストの点数も悪く宿題も一切手をつけなかった。
それで先生に怒られるのが日課になっていた。

中学校では卓球部に入った。
卓球部では先輩方に結構お世話になったし同級生とも仲良くしていた。
だが仲良くしていた友達があいつのこと嫌いって話になっていじめをしてしまうことになる。
私自身がいじめをしたのは初めてで周りと一緒にいるにはそうするしかないって気持ちだった。
どんないじめをしたかというとハブるなどあとはカバンを蹴るなどをしてしまった。

中学2年にあがってから後輩が出来た。
後輩たちは私以外の同級生には○○先輩と言っているのに何故か私だけは○○くんやあだ名で呼ばれていた。
まぁ理由を聞いたら先輩って気がしないって言われたのにはびっくりした。
私から呼びやすいように呼んでと言ったのもあるとは思うのだがすぐに先輩を外してきたからすごいと思った。

中学2年生になってからいじめてしまっていた人からだとは思うのだが私がいじめのターゲットとなっていた。
周りもきっと私のことをいじめていたのだろうと思う。
体操服が入ってるカバンには牛乳をかけられ砂などが入っていたり靴はどこかに隠されていたりとよくあるようないじめをされていた。

後輩たちは優しいし面白かったのでそれでいじめには耐えれてた気がする。
きっと我慢しすぎていたとは思う。

中学3年になったら高校を決めないと行けなかったのだが私はこの通り勉強は出来ず宿題もまともにやらないタイプだったので先生たちにはお前は行く場所ないぞと言われた。
なので偏差値がかなり低い場所にとりあえず受けてみろと言われ受けたらなんと受かった。
周りは私が高校受かるなんて思っていなかったのか私が落ちたらしいと言う噂が広がっていた。
先生たちも噂を聞いて落ち込んでたらしい。
受かったから報告しに行く時に噂が広がってたからみんなから落ちたらしいなって言われて受かったよと言うのを繰り返して先生たちの所に言った。
先生たちに受かりましたよって言ったらすごいびっくりした表情で本当に受かったのか!?本当だろうなと言われた。
6クラス中6クラスの先生たちが喜んでくれたからその時は受かって良かったと思った。

高校に入るとまた新しい人達ばかりになってしまうから緊張していた。
同じクラスになった人で中学校が一緒だった人が何人かいたから少しだけ安心出来た。
その中でも中学校からかなりヤンチャだった人と同じクラスだったので高校生活どうなるんだろうと思った。
案の定思った通りになった。
私が勉強出来ないタイプと知らない人達は分かるとバカやアホなど言われた。
ここまで言われ続けると慣れるものだ。(本当は慣れてはいけない)

宿題もしないタイプだったので先生には怒られたが周りのヤンチャなタイプの人達は俺に宿題をしろと言ってきてなくなくやっていた。
高校1年の後半ぐらいに宿題してくれと言われたときに断ったら膝蹴りをされたこともある。
それ以降は私に言ってこなくなったので良かった。

高校2年生にあがると私はそのクラスにいる事が苦しくなって卒業まで保健室登校となった。
高校2年生にIBS(過敏性腸症候群)と診断を受けてクラスに行くとお腹をくだすようになってしまっていた。
今も緊張やストレスが溜まったらお腹をくだしてしまう。

保健室登校はストレスがなく保健室の先生の子供におもちゃを作ってあげたりして学校生活を満喫していた。
卒業が近づくにつれて先生たちも困ったのか授業に顔を出すだけでいいから来てくれと言われたり宿題も答えを見て書いて出してくれと言われたこともあった。
最後から2番目の大事なテストで赤点をとったら卒業が危ういと言われていたのだが11教科中11教科赤点だった。
本当に最後のテストで頑張ってくれれば何とかするからと先生たちに言われたので最後だけ頑張ることにした。
そうすると何故かいい点数がとれてしまったのだ。
それには先生たちもびっくりしていた。
何で真面目に今までしなかったんだと言われるぐらいだ。
何とか高校卒業出来て専門学校にも合格出来た。

専門学校では電気工事科を選んだ。
専門学校では普通に過ごして資格をとって卒業した。
電工ナイフで指を切ったのはいい思い出だ。
切れた感覚がなくて机をみたら血の海だったのは今でも覚えている。
専門学校から就職はしなかった。

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