転職、退職、社会不適合、鬱からの無職の爆誕 ③~日本語学校編Ⅰ~
前回1社目の続きです。
ちなみに私が辞めたきっかけの先輩は、私が辞めた後すぐ
「結婚しまーす」っつって辞めたらしい。
人事部大打撃・・・☆
さて、無職になりました
新卒2年で無職の誕生です!ワァ・・・・
このころ転職先を見つけてから辞めるとかそういう考えとか我慢ができなかったため、退職しちゃった。
失業手当でしばらくなんとかなるだろうみたいな甘い考え・・・無茶すぎる
うま子、世界に羽ばたくのか・・?
このころ、とあるつてで、日本語学校の教師の募集があった。
1年間、お給料が出ないかわりに、食住とちょっとした手当が提供される。さらに無償で日本語教師養成コースが受けられ、日本での日本語教師を経験したのちには世界各地の学校に2年間派遣され、現地で働けるというものだった。わ~~!なんかすごい!わたしはNYの日本語学校を希望した。
実は私は中学と高校で2回渡米する機会があって、ロスとNYでの短期ホームステイ経験があった。
※2025年現在、全く英語しゃべれません。残念過ぎる。
NYで美術館や博物館めぐりをしたことがとても印象に残っていたし、ぷよぷよのおばさんがタンクトップに短パンでわんこの散歩をしていることにカルチャーショックを受けた。
当時ころころと太っていた私は、
「太っていたら露出してはいけないし恥ずかしい」と思っていたからだ。
しかも、私の肥満度具合は全米ではミジンコレベルで太刀打ちできないということも分かった。なんと、現地の人に「やっぱり日本人は細い」といわれたのだ。
まじで???こんなに贅肉が付いているのに??
アメリカ・・・いろんな意味でBIGだぜ。
話を戻します。応募に踏み切ったわたしは、今後のキャリアのことなんて頭になく、なにより「ニューヨークで働いてるカッコイイ自分」を思い浮かべてはニヤニヤしていた。動機が不純極まりない。
合否はいかに?
面接と小論文の試験があり、外面の良さもあったのか、
なんと合格してしまった。
運がいいのか悪いのか。
なんとか失業手当がきれる前に次の職を得ることができた。
LUCKY・・・☆!
研修のはじまり
現在、日本語教師の資格が国家資格になったが、当時はそうでなかったため、養成コースを修了し、実務経験を積めば日本語教師です!!と名乗れた。
研修は、日本に留学している海外の学生さんたちが住む寮で、共同生活を送ることが条件だった。学生の日々のお世話係も兼ねるというシステムだ。
12ヶ国のさまざまな国の学生たちと一緒に生活することは、とても刺激的でたのしかった。アメリカ、フランス、中国、台湾、韓国、ネパール、マレーシア、カナダ、オーストラリア、ブラジル、スペイン、タイ、・・・・・すごい!
そんなわけなので、共通言語は英語ではなく日本語である。
日本語教師の勉強を始めてびっくりした。
日本語ってめっちゃ難しい。
え、これ習得できる留学生すごくない??
それなのに、学生たちはどんどん吸収していく。
モチベーションがすごい。
みんな日本の文化に興味津々だし、アニメとマンガ詳しいし、ご飯が美味しいといって太っていくし、母国にMISO SOUPを持って帰りたいという。
忍者は絶対にいると思っているし、伊勢神宮にプチ旅行に行った時も、
お土産屋さんで木刀を買ってた。
学校の授業がない土日は、寮の庭で昼間から☆PARTY☆が始まる。
どこからともなく各国の料理がでてきて、
BBQにシュラスコが登場したり、冷蔵庫がキムチで占領されたりした。
音楽をかけて、各国のお酒を飲み、覚えたての日本語でみんなで歌をうたいながら酔っぱらったりした。日本にいながらこんな経験ができるなんて。寮生活は充実していたし、とても楽しかった。
研修生活
さて、日本語学校は少し離れたところにあるので(徒歩20分くらい)
寮からみんなそれぞれ通学する。もちろん私も寮に住んでいるので授業を受け持たないとき以外ほぼ一緒にいる。相談にも質問にも答えるし、宿題をみてくれと言われる。学生は積極的で、めちゃなんでなんで?攻撃をうける。うま子タジタジである。
同期は12人いた。男女比は10:2。
NY派遣3名、フランス派遣2名、オーストラリア派遣2名、タイ派遣1名、スペイン派遣2名、ブラジル派遣2名。
たぶんこんな感じだったと思う。
学生たちとの寮生活・日本語教師の勉強・教育実習・授業受け持ち・派遣予定先の言語の習得と、やるべきことは多く、大忙しだった。
長くなったので続きます!
次回は日本語学校での授業の様子をかくよ!
書いたよ!