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芸術家なんて。職人なんて。

芸術家なんて、職人なんて、縁のない世界だった。
小学校も、中学校も、高校も。図画工作や美術より、漢字や地理歴史が好きだった。物理も化学も苦手だった。
小学校の時は大学教授か政治家か警察官になりたくて、
中学校の時は検察官か医者になろうと思っていた。
高校生になって弁護士になろうと思ったけど裁判傍聴した時の容疑が空き巣で冷蔵庫でアイスクリームを食べた窃盗犯でその弁護人にはなりたくないと思って夢潰え、いろいろあってお医者さん目指そうとしたけど知力学力そしてホルマリン漬けの内臓にノックアウトされて小学校から興味のあった環境問題にシフトして砂漠を農地にして世界の貧困を解消しようと、再生可能エネルギーで地球温暖化を解消できないかと農学部を選んだ。
入ってみたら農村地域に興味がシフトして県知事になるとか町長になるとかでもそれにはキャリアが足りないから博士課程まで行って論文何本か出して官僚になるか、楽天か森ビルに入ってバリバリに働いて30になったら福岡で起業しようと思い、研究室で獣害問題と農村地域における住民たち動きをSECIモデルと”場”のマネジメントによって分析しようと島根県の空き家で滞在研究した後に地元の工房で職人の道を選んだ。


1尺って何センチですか? → 尺で覚えろ。
糸1本もまともに繋げない不器用さ → 数をこなせ。
上げ下げってなんですか? → 上げ下げは上げ下げ。こうしてこうする。
糸を絞る時左に回した → ギッチョは通用しないから基本は右に回せ。左に回すのは絣だけ。
これは? ヨミ あれは? ヨミ それは? 伸子 あれは? 伸子
こっちは湯通し 京都は地入れ 違いは? → 言葉が違う
沖縄はいーじ。漢字は絵図。何が違う? → 読みが違う

そうして6年経とうとしている。
メディアに弟子入りと言われていた私は、後継者と言われるようになった。
当初は言葉を濁していたが、今では受け止められるようになった。
でも先生のような芸術家ではないし、何十年もやっているような職人になれるとも思っていない。それでもその方向に向かわなければと思う自分がいる。自分が芸術家なんて片腹痛いし、失礼だとも思う。職人なのかと言われると、プロ意識はあるが、そう言える覚悟がないのかもしれない。


好きなことを仕事にするという生き方は理想的だと言われるが、私はどちらかというと全く知らない仕事を続けていった結果その仕事が好きになってきた方だ。それは決して悪くないことだと思う。
ただ、少しずつこれまでの傘か風呂敷のようなものが畳まれ始めている時に自分はどんな傘を見せるのか、どんな風呂敷を広げるのか。そう問われた時に「ただ仕事が好きな人間」でいることはできない。

芸術家や作家のように自分の世界を表現したいのか。
誰かの悩みを解決する経営者・デザイナーでありたいのか。

「自分の表現したい世界はありますか?」
「お客さんのどんな悩みを解決したいですか?」
そんな問いをされたら恥ずかしいがどちらも答えられない。
「じゃあなんでこの仕事をしてるんですか?」


好きだから? 
ちょっと違う。仕事は好きだけど、ちょっと違う。
それは仕事をに取り組むひとつの理由ではあるけど、これを生業として生きる理由にはならない。

生業とするには、それで稼いで食わねばならない。そんなことは入ってからずっと感じているはずなのに。
誰かの悩みを解決したり、世の中にとってためになるようなプロダクトが作れなければ潰れて行った方がマシであることも。


ただ、ここでものづくりする価値を、原点となる思想を、守るためにはどうしたらいいだろう。 でもそう感じる僕の価値は、お客様にとっての価値ではない。自分にとっての、作業者にとっての価値だと思う。それは自己満足。

だからこそ、現場で働く自分の感じる工房の価値を、なんらかの形にして世の中の人に伝えること。それができなければ仕事を続ける意味はない。

だけど”なんらかの形”が全くもって出来上がっていない。悩んで、悩んで、悩んで。作ってない。そう。手を動かせ。
だから今日も擦れて、クレーの絵を見て落ち込み、励まされる。


職人の仕事は2つ。作ること、そして売ること。
二上くん、まず作れ。

年始に、よく作って、しかもよく売る人からいただいたアドバイス。
ごもっとも。帰ってからまずひとつ作って。県美展に応募してみました。
もっと作ろう。かつ売れるものを。まず一歩。

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蛾の踊り / パウル・クレー

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