見出し画像

土門拳は安井仲治の何を評価したのか? ー「写真作法」よりー

生誕120年ということで、写真家・安井仲治の回顧展が、愛知県美術館・兵庫県立美術館・東京ステーションギャラリーの3館を巡回しています。展覧会では戦災を免れたヴィンテージプリント140点に加えモダンプリント60点の合計約200点を展示し、安井の歩みの全貌を紹介しています。

さて、この安井を紹介する際、必ず出てくる文言があります。
それは「土門拳により評価(または再評価)された」という一言。
しかしながら、ネットでちょっと調べただけでは土門拳が安井の何をどのように評価したのか全然わかりません。
学芸員による座談会でも、こんな感じです。

これまで安井の評価に大きな影響を与えていた土門拳による安井の再評価は、安井のリアリズム、つまり社会との向き合い方の切実さに注目するものでした。《メーデーの写真》のように、社会問題を直接的に取り上げる、報道写真的な写真に強く反応していたんですね。

https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/nakaji-yasui-interview-202310

語弊がある言い方かもしれませんが、初期の作品はその後に比べてまだ尖り切っていないので、土門拳や森山大道が憧れた「モダン」で「かっこいい」安井のイメージとはずれていると思うんです。でも、私はこれが大正時代の若者が見た光景なんだと思うと、むしろこの時代の安井の写真がしみじみと面白くて、20年代の作品をたくさん展示できて本当に楽しいです。

https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/nakaji-yasui-interview-202310

正直これを読むだけでは、土門拳が安井のリアリズムをどう評価していたよくわからない。「モダン」で「かっこいい」とは、安井の何を指して言っているのか。「当然皆さんはご存知ですよね?」と言われているような気になります。

そこで今回は、土門拳の言葉を借りながら、土門拳は安井仲治についてどう語っていたのか、土門拳の著書「写真作法」をもとにご紹介したいと思います。

マチエールの先覚者

安井は写真におけるマチエールの問題を意図的に取り上げた最初の写真家であると土門拳は言っています。マチエールとは美術作品の材料や材質、素材を意味するフランス語で、絵具を用いるときの材質的な効果も意味に含みます。例えば、油絵を構成する塗られた絵の具の質感そのものもマチエールです。
土門拳は、日本で写真が芸術としての自覚を持たれてから40年になるかならないかの間に、いろいろな芸術写真運動が起きたが、どの時代、どの運動でも、マチエールの問題は自覚されてこなかったとしています。
では、写真におけるマチエールとは何か、土門拳は次のように書きます。

写真の方のマチエールはどうかと言えば、油絵のキャンバスに相当するものはバライタ紙であり、絵具に相当するものはエマルジョンということになる。油絵の方では画家が描き上げた絵は正しくこの世にその一枚だけしかないものである。絶対的な一枚である。従ってその絵の肉体としてのマチエール自身も絶対だ。しかし印画紙は、例えば富士ブロ3号は誰がどんなネガを引伸しても富士ブロ3号特有のグロッシーたることに変りはない。だからその顕微鏡的な銀粒子で出来ているエマルジョンという薄皮に、キャンバスの上に絵具を盛り上げるような意味でのマチエールを求めるのはナンセンスである。そこで二つの道が考えられる。その一つはエマルジョンの顕微鏡的粒子の均分に対する変革である。マン・レイやブルーメンフェルドがやったソラリゼーション、またはネガチィブの現像押しとか極端な部分伸しによる粒子の荒れはその一例である。丹平倶楽部の人たちがライカ判のネカチィブでやる所謂”丹平の黒焼”なるものは、ハッキリ意識してやっているかどうかは知らないが、粒子の荒れによってザラっとした一種の男性的な触覚を感じさせるマチエールを生んでいる。そして丹平倶楽部の育ての親である故安井仲治は写真におけるマチエールの問題を少なくとも実践的に追求した唯一の先覚者と称してよいであろう。

土門拳「写真作法」1976, P13-14

写真の粒子の強調、つまりPROVOKEでお馴染みアレブレボケで言うところの「アレ」を意識的に初めて追求した写真家であることを評価しているわけです。確かに、安井の作品には荒れたりブレたりボケたりしているものが多い。土門拳は、写真が写真であるが故の表現に着目した唯一の先覚者が安井仲治であるとしているわけです。
そしてマチエールに関する記述は次のように続きます。

彼(引用者注:安井のこと)が磁石を撮ったフォトグラムなどは磁力そのものの写真化としても卓抜な効果を上げているが、同時に鉄粉のマチエールの写真化としても素晴らしい。あのフォトグラムは写真芸術輸入以来日本の生んだ世界的水準の上をいく作品と僕は信じているよ。つまり写真のマチエールのもう一つの道は、そのようにモチーフの持っているマチエールを刻明に写真化することによって、グロッシーな印画紙に視覚的触覚的な美を与えることなんだ。それは最も純粋な写真的マチエールの形成であって、油絵のマチエールとは本質的に違うことでもある。つまりマチエールをつかむということは、写真的肉体を形成するということなんだ。

土門拳「写真作法」1976, P14

土門拳は、作者がどこにも顔をのぞかせず、カメラとモチーフとの直結こそが優れた芸術作品の基本条件であると常々言っています。パンチュール・オブジェ(写真的実在)と当時名付けられたそれは、モチーフが写真になり切っていることを求めていました。「写真的肉体を形成する」というのがどういう意味なのかは土門拳は語っていませんが、リアリズムを至上としていた当時の土門拳は、技術的にも相当困難であったであろう安井の<磁力の表情>シリーズについて、「日本の生んだ世界的水準の上をいく作品」と激賞するのです。

自己開放的写真と自己閉鎖的写真

写真を語るとき、「鏡と窓」という言葉があります。「鏡と窓」はMoMA(ニューヨーク近代美術館)で開催された展覧会の名前ですが、一般的には「鏡=自分自身を映すもの」、「窓=開かれた世界が見えるもの」として写真の持つ意味を定義したものとされています。
ここで注意しなければならないのは、この鏡と窓は写真を2つの独立した無関係な分類をするために意図されたものではありません。それどころか、ここで提案されているのは、連続した軸のモデルであり、その両極は上で提案した用語で表現されるかもしれず、どの写真家の作品も、この2つの異なる動機のどちらかを完全に純粋に具現化することは不可能と、企画者のジョン・シャーカフスキーは図録で語っています。詳しくはMoMAのページ(https://www.moma.org/calendar/exhibitions/2347)で全部読めるのでご覧ください。

こうした考え方はアメリカにおいて1960年代の写真をまとめた企画展をするにあたり1978年に書かれたものですが、1954年に土門拳はこの「鏡と窓」のような考え方をしていました。写真をやる上で、我々の前には自己開放的な写真と自己閉鎖的な写真の二つの方向が浮かんでくるとした上で、「一つの時代の中においても、一人の写真家の中においても、この二つの方向は、同時にあらわれていることもあるし、時をへてあらわれることもある。いやしくも作品の名に値いする写真であれば、すべての写真は、この二つのどちらかに分類できるともいえる」と語る土門拳は、安井仲治の写真を引き合いに、このように書きます。

大阪の生んだ偉大な写真家安井仲治の遺作集を見ても、この二つの方向は、時をへだてて、どちらかが主導的な役割を演じているのかわかる。”蛾”という作品が二点ある。ぼくに言わせれば、安井さんの自己閉鎖的な写真の典型的な作品である。窓ガラスにとまっている一匹の蛾をクローズ・アップしたものである。安井さんのお子さんが入院していた病室で写したものであるそうだが、それは決して蛾の生態写真などというものではない。まだらに光があたっている窓ガラスに、ひっそりととまっている一匹の蛾のシルエットは、何か不吉な影みたいで、お子さんの病気で、暗い不安な気持になっている安井さんに、ピタッとひびくものがあったに違いない。そこではじめて、一匹の蛾は安井さんのモチーフになったのである。モチーフの蛾と安井さんの気持が一分の隙もなくからみ合って、作品”蛾”は安井さんの暗い不安な気持を、永遠に語り続けている。さて、作品”蛾”を写した時の安井さんは、世の中のことも、商売のことも、何も考えていなかったに違いない。頭の中はただお子さんの病気のことで一杯で暗い不安な気持に打ちひしがれていたに違いない。いわば、家庭的な個人的なことで一杯だったのである。自己閉鎖的な写真はそういう個人的な、求心的な精神状態から生まれる。

土門拳「写真作法」1976, P53

安井さんにはまた”メーデー”という作品が二点ある。”検束”という作品が一点ある。”ガード下”という作品が一点ある。それらはすべて自己開放的な写真の典型的な作品である。明治以来の日本の写真文化史上、それらの作品をしのぐほどの芸術的に香りの高い、社会的に内容の深い作品は、他に何点もないであろう。作品”メーデー”も”検束”も、昭和十年頃の大阪のメーデーで写したものである。”メーデー”は赤旗を持って、メーデー歌を歌っている二人の労働者のクローズ・アップである。”検束”は検束される労働者と検束する警官とを地上に写った影だけで暗示したものである。それらの作品は、あの治安維持法時代の警察政治の暗さを、今に伝えて余すところがない。最も鋭どい、そして深いリアリズムなのである。ぼくはそれらの作品をはじめて見た時、目頭が熱くなった。(中略)どうしてぼくにはこんな写真が撮れないのかと、口惜しかったのである。(中略)
自己開放的な写真は、社会的な、遠心的な精神状態から生まれる。自分というものを狭い個人の中にクヨクヨと閉じ込めずに、世の中の大勢の仲間の中に投げ込んだ生活状態にある時に生まれる。それは自分のことよりも他人のこと、世のなかのことを憂え、憤り、喜ぶ精神の豊かさがみちみちている写真である。

土門拳「写真作法」1976, P53−54

土門拳は自己開放的な写真こそが今後の決定的な方向であるとして、リアリズムを追求していくわけですが、そのきっかけは自身が認めているように安井の”メーデー”だったわけであり、「それらの作品をしのぐほどの芸術的に香りの高い、社会的に内容の深い作品は、他に何点もない」と褒め称えました。土門拳にとって安井仲治とは、自分の方向性を定めるものであり、また、今後の写真の方向性ですらあったものなのです。

終わりに

『生誕120年 安井仲治』展の図録に印画師の比田井一良が「安井仲治の磁力」と題した3ページほどの文章があるのですが、「安井の印画制作には尽きせぬ謎がある」として、どうやってこのネガからこの写真を焼いたのか解き明かすことが容易ではないことを書いています。<磁力の表情>シリーズは再現が”困難”で、「どうやったのか?」と考えても安井仲治の強い磁力に跳ね返されます。《(凝縮)》シリーズについても、比田井はそのプリントについて最終的に次のように考えます。

私には、列聖の条件にされるような奇跡がその時起こったとしか思えないのだ。

安井仲治「安井仲治作品集」2023, P251

こうしたプリントの謎が、土門拳いわくマチエールの存在に大きく関与していることは上で述べた通りですが、それに加えて私小説の目もリアリズムの目も持ち、時代の最先端をいくモンタージュも駆使、さらには戦火から逃れてきたユダヤ人を写すという「なにものにもとらわれない自由さ」が、土門拳の心をとらえて離さなかったのでしょう。

そんな土門拳の愛した奇跡の写真が見られる展覧会は、以下の日程で開催予定です。
ぜひお近くの際は見に行ってくださいね。

いいなと思ったら応援しよう!