私の不登校体験
私は現在は通信制高校に転校して、今年の4月には3年生に進級できましたが、不登校の時の生活は、苦痛そのものでした。
毎日うつ病の症状で悩まされ、周囲からは理解を得られませんでした。
今回は、私の不登校の時の苦しい話がメインです。
高校入学から不登校になるまで
私は公立の小学校、中学校に通っていました。中学校では、科学者になるという夢を叶えたくて、毎日ハードな勉強をしていました。その甲斐もあって、進学校に入学することができ、これから夢に向かって頑張ろうと夢を膨らませていました。
しかし、現実は大量の課題と人間関係、遠距離通学に悩まされる毎日。勉強の意欲も失ってしまいました。当時、勉強に自信を持っていた私にとって、勉強ができなくなることが何よりも辛かったです。休みたいと思う日が多くなり、6月には死にたいと思いながら通学していました。クラスではさらに孤立していき、先生からは「やる気のない生徒」と見られました。そして夏休みでは、課題も何も手につかず、ただ死にたいと考えていました。そこから、私の不登校が始まりました。
不登校の生活
夏休み明け、心配した母に無理矢理学校に連れてこられ、そこから保健室登校をしていました。保健室の先生は比較的協力的で、精神科を紹介してくれたり、保健室にいることを許してくれました。そこで、図書館登校をしないかと言われ、図書館に通っていましたが、司書の先生が私のことにすごく踏み込んできて、辛かったです。他の先生も不登校を理解しようとしてくれませんでした。学校に行かないと親から責められて、本当に死にたい気持ちでいっぱいでした。
それでもなんとか二年生に進級したものの、私は既に限界で休学することになりました。休学中はアニメを見たり、ゲームをしたり、のんびり過ごすことができました。親の態度も少し軟化して、家にいることが嫌じゃなくなりました。
そして休学明け、歴代最悪の先生が担任を受け持つことになりました。
保健室登校をしているときに、先生に連絡をすることが決まりになっていましたが、その連絡電話を無視、単位があとどれくらいあるのかさえ教えてくれませんでした。その挙句、ある日私を職員室に呼び出し、「学校来る気あるの?」と説教。極め付けに「全然頑張ってない、他の子はもっと頑張ってる。学校辞めたら?」と言われました…。
私はこの一言で、「この学校は私に悪い影響しか与えない!!」と気づき転学を決意。一ヶ月後には転学手続きをしました。
通信制高校に転校するまで
転学することを決意する前は、全日制高校を卒業することを考えていて、親もそれを望んでいました。そのため、親に転学することを話すと、ものすごく怒られました。今まで払っていた学費はどうなるんだ、とか、親の気持ちも考えろと散々言われ、手続きの書類もたくさんあり、通信制高校をどこにするか、選ぶ間もありませんでした。とりあえず学費の安いところを選び、今もそこに在籍しています。
不登校を振り返って
今振り返ってみると、当時すごく頑張っていたなと思います。
不登校の時は学校に行けない自分を責めてばかりいて、自分はなんて馬鹿なんだろう、怠け者なんだろうと思っていました。そして、中学生の時に描いていた科学者になる夢も勉強不足で諦めざるをえませんでした。人生は終わった。もう死のうと思った時もありました。
でも、今、生きて、なんとか通信制高校に通えています。
そこで、理解者や友達ができ、新しい人生観や夢を持つことができました。だから不登校の時、死ななくてよかったと感じています。
もし、今不登校で苦しんでいる人がいたら、今あなたは十分に頑張ってるということを伝えたいです。そして、学校を変えたり、環境を変えたりすることは決して悪いことじゃないと伝えたいです。
今回は辛い話になってしまいましたが以上です!
読んでいただきありがとうございました🌷
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