どんなに苦しくても希望を捨てずに生きる【世界でいちばん幸せな男/エディ・ジェイク】
「アウシュヴィッツ」と聞いて、あなたはどんなことを思い浮かべるだろうか。
私がまず思い浮かんだのは、「死」「ガス室」「ナチス」。
今回読んだ本は、エディ・ジェイク著「世界でいちばん幸せな男 —101歳、アウシュヴィッツ生存者が語る美しい人生の見つけ方」だ。
タイトルにもある「幸せ」という言葉は「アウシュヴィッツ」の対義語としてもおかしくないんじゃないのかと不思議に感じ、自然とこの本に興味がわいた。
しかも表紙には著者のエディ・ジェイクの穏やかで幸せそうな表情。
タイトルも著者の表情も、どこまでもアウシュヴィッツのイメージと合わない。
私はアウシュヴィッツ収容所について興味はあったものの、しっかりとした知識はなかった。
調べなかったのはきっと、真実を知ることが怖かったから。
私は小学校低学年の時に長崎の原爆資料館に行って、その悲惨さを目の当たりにした経験があった。
解説文を全て理解できなかったものの写真資料などからどれほどの惨劇であったかを痛感し、しばらく食事ができなかった記憶がある。
だから大人になるまで、戦争の真実から目を背けたかった気持ちがずっと強かったように思う。
今回本書を読んで、アウシュヴィッツの悲惨さを多少なりとも知ることができたこと、そして希望や周りの人を想うことの大切さについて学ぶことができた。
ぜひ、どんな人にも一度読んでみてほしい一冊です。
1.アウシュヴィッツに送られるまで
著者エディ・ジェイクのプロフィールなのだが、「強制収容所に送られる」という言葉が含む意味はとても深い。
1920年4月14日ドイツで生まれたユダヤ人。ナチス政権下、ブーヘンヴァルトやアウシュヴィッツなどの強制収容所に送られる。両親はアウシュヴィッツのガス室で殺された。1945年、「死の行進」の最中に脱出し、アメリカ軍に救出される。1950年、家族とともにオーストラリアに移住。1992年より、シドニーのユダヤ人博物館でボランティアを始め、2016年頃よりYouTubeなどでも自身の体験を語り始める。2019年のTED TALKSへの出演は世界的な大反響を呼んだ。
↓エディのTED TALKSの動画です。
わりと裕福な家庭に生まれたエディだが、戦争が始まり13歳の時にユダヤ人という理由で学校を退学。
エディの父は教育が大事であることを理解していたため、ユダヤ人と分からないような偽名を使ってエディを実家から遠くの学校へ入学させる。
その学校は世界一の工学教育が受けられるほどの名門校であった。
そこでエディは18歳まで学んだのち優秀な技術者として就職も決まったが、その間家族と連絡もほぼ取れないまま、ひとり孤独に過ごした。
就職してから数ヶ月後、エディは両親の結婚記念20年のお祝いをするべく危険を承知で実家に帰る。
しかし家族はナチスから逃げていたため実家には誰もおらず、エディはユダヤ人としてナチス軍に捕まり非情な運命に翻弄されていく。
なにもかもが非現実的で恐ろしかった。なにが起こっているのか理解できなかったし、いまだにまったく理解できない。これからも決して理解できないだろう。
はじめに収容されたのはブーヘンヴァルト強制収容所は食事、衛生環境、全てが劣悪だった。
しかもそこでナチスの兵士が毎朝やっていたゲームがとてつもなく恐ろしい。
門を開けて、(非収容者の)二、三百人を逃がすのだが、三、四十メートル行ったところで機関銃を連射し、動物のように撃ち殺す——彼らはそうやって収容所の過密問題を解決していた
しかしこの収容所でエディは、人生の友となるクルトと出会うことになる。
その後エディはナチス側に学校時代の友人がいたため、技術を見込まれて兵器製造の工場へ採用が決まる。
工場への送迎をするために収容所に迎えに来た父は逃亡をエディに提案し、一緒にベルギーへ逃げたものの、2週間後にエディはベルギーでドイツ人として捕まる。
ベルギーでもエディは同じく捕まっていたクルトと奇跡的に出会う。
エディはベルギーの収容所からイギリスへ輸送されかけるが、担当者がナチスだったためここでも逃げざるを得なかった。
そしてエディは南フランスまで徒歩で向かい、2ヶ月半、日の出から日没まで歩き、たどり着いたフランスでまたドイツ人として捕まる。
列車でアウシュヴィッツに送られそうになるが、なんとか逃げ続けてベルギーまで戻ることができた。
ベルギーで家族やクルトと再会するが、ついに全員アウシュヴィッツに送られることになる。
先にクルトが突然姿を消したため、まさかアウシュヴィッツで再会することになるとはエディは知らずに。
2.ベルギーからアウシュヴィッツまでの道
ベルギーからアウシュヴィッツまでは列車で丸9日かかったそうだ。
各貨車に乗っている150人のユダヤ人で、200リットル入りのドラム缶に入った飲み水を分けなければならなかったのだという。
200リットル÷150人÷9日≒0.15リットル
150ミリリットルはヤクルト2本より少し多いくらいの量だ。
それだけで9日間食料なしで過ごすのは、本当に辛かったと思う。
エディたちの乗っていた貨車はエディの父が機転を利かせて水を配分したため死んだのは2人だけだったそうだが、他の貨車ではおよそ40%の人が死んでしまった。
そしてアウシュヴィッツに到着すると、被収容者は「選別」される。
選別とは、死ぬまでアウシュヴィッツで奴隷として働く体力が残っているものか、まっすぐガス室に連れていかれるものかのどちらかに分けられるというものだ。
エディは前者、エディの父は後者となり、2人は最後の別れとなった。
3.アウシュヴィッツでの生活
わたしの識別番号は172338。わたしはこの数字以外の何ものでもなくなっった。ナチスは名前さえ奪う。わたしたちはもはや人間ではなく、巨大な殺人マシンの中でゆっくり回転している歯車の一つにすぎない
私は過去に、販売する服にラベルを取り付ける派遣のアルバイトをしたことがある。
そこでは与えられた番号が自分の名前となって指示を受け、1日の作業を行う。
名前で呼ばれないということは、自分という存在がこんなにもぼやけてしまうのかとそのとき感じた。
きっと数字は誰にでも代われるものであって、名前は自分にしかないものだと当たり前に意識しているからだ。
アウシュヴィッツのような過酷な状況で数字で呼ばれ続けたとしたら、人間の尊厳がどれほど失われてしまうのか……想像しただけでも怖い。
零下八度というきびしい寒さでも、裸で寝なければいけない。
仕事場への往復中につまずいて転んだら、その場で撃ち殺され、ほかの被収容者がその遺体を抱えて収容所まで運ばなければならなくなる。
こんな悲惨な環境で過ごしていたら、私ならすぐに生きることを諦めてしまうだろう。
ただ生き延びていくことが辛すぎる。
衣食住すべてが最低限ともいえないくらいのひどい状況で、一緒に過ごした仲間が明日には死んでいるかもしれない。
反対に自分が死んでいる可能性だってある。
ナチスに殺されるくらいなら自分で死んだ方がマシと考えて、自死を選んだ人たちも多かったのだという。
収容所を経験していない人は、それほど人間が残酷になれるか、いかにあっさりと人が死ぬかを知らない。
しかしエディはアウシュヴィッツで親友クルトと再会する。
2人は一緒にいたから、生きることを諦めなかった。
4.エディと親友クルト
アウシュヴィッツは悪夢が現実になったような、想像を絶する恐ろしい場所だった。それでもわたしが生き残れたのは、親友のクルトがいたからだ。たったひとりでも友人がいれば、世界は新たな意味をもつ。たったひとりの友人が、自分の世界のすべてになりうる。
エディはあらゆる場所で捕まったり逃げたりしてきた中で、クルトと遭遇してきた。
アウシュヴィッツでも2人は再会することができ、互いに助け合って生きていく。
どちらかが生きるのを諦めそうになっても、励まし合うのだ。
わたしを大事に思ってくれるだれか、わたしが大事に思っているだれかが、この世にいるとわかっているだけでよかった
友人は、分け合った食料や暖かい服や薬よりも、ずっと大切だ。
アウシュヴィッツではエディは自分の妹にも再会する。
二度と会えないと思っていた友人、家族と出会えたことがエディの生きる希望になったことは間違いない。
しかしアウシュヴィッツでの過酷な生活はエディほどの強靭な精神をも破壊していく。
自分に誠実でいよう、モラルを失わないようにしよう。しかしむずかしかった。飢えはわたしたちを放っておかない。体力を奪うのと同じ速度でモラルも奪っていく。
そんな中、アメリカ連合国軍がアウシュヴィッツ近くにまで侵攻してきてエディたちは「死の行進」をすることになる。
死の行進の途中で限界を迎えたクルト。
エディはなんとかクルトが身を隠せるような場所に避難させて、最後の別れを告げる。
エディはその後行進を続けたが、途中で逃げ出して1人洞窟で暮らすも腸チフスなどにかかり瀕死状態のところをアメリカ兵に救出されて助かる。
5.その後のエディ
アメリカ軍による治療を受けて回復したエディはベルギーに戻り、なんとそこでクルトや妹と再会する。
もう二度と会えないと思っていた2人とまた再会できたところには、本当に感動した。
誰かが1人でも生きることを諦めていたら絶対に再会は叶わなかった。
希望は体を活性化する燃料だ。
普段、家族や友人と「これが人生で最後の再会だ」と思って一緒の時間を過ごすことは少ないはず。
でも誰かと一緒の時間を過ごせることって、本当は奇跡に近いものなのかもしれない。
幸運は空から降ってくるものではなく、あなたの手の中にある。幸せはあなたのなかから、あなたの愛する人たちからもたらされる。健康で幸せなら、あなたは百万長者だ。
健康であることも大切だとエディはいっている。
アメリカ軍に救出される前、洞窟の中でナメクジやカタツムリ、生のニワトリなどを食べて過ごしていたエディは救出されたあと、医師から死ぬ確率は65%と言われていた。
そのエディがまだ現在も健康で生きているとは、人間の生命力はすごい。
人間の体は最高の機械だ、燃料を生命にかえ、自己修復ができ、必要なことはなんでもできる。だから、いまの人たちが体をないがしろにするのをみると心が痛む。
飽食といわれるほど食べ物には困らない日本に暮らしている私たちは、衣食住も多くの人がそろえられているはずだ。
それなのに幸せを感じられない人が多いなんて、心が寂しいのかもしれない。
アウシュヴィッツや戦争などの苦しい体験をしたから幸せを感じるのではなくて、普段の当たり前の日常から幸せを感じ取ることが本当に必要なのだと思う。
6.エディが伝えること
エディは現在オーストラリアで暮らし、自身の体験を語り始めている。
しかし戦争のことを語るに至るまでには、家族にも話せないほどの葛藤があったそうだ。
少し前までわたしは、自分の苦しみをだれかを分かち合うことに抵抗があった。しかしいまでは、分かち合うべきものは苦しみではないと知っている。分かち合うべきは希望なのだ。
最近いろいろな本を読み、苦しみに直面した人の中でも「私と同じ苦しみを味わえ」という人は1人もいないのだなとよく感じる。
苦しみを味わったからこそ、平和の尊さや人の温かさなどを当たり前の大切さを理解するのだろう。
人は今もっているもので幸せになろうと務めるべきだ。幸せであれば、人生はすばらしい。隣の芝生に目を向けてはいけない。隣人をみて嫉妬で不快になっていては、決して幸せになれない。
この本は、つい「ないものねだり」をしてしまう人、幸せ迷子になっている人などにぜひ読んでほしい一冊だ。
今、死の恐怖に怯えることもなく過ごせているだけでも十分に幸せなのだとあらためて感じた。
そして愛する人たちが周りにいてくれることも。
* * *
最後にエディが冒頭で言っていた言葉を引用します。
いままで生きてきて学んだのは、人生は、美しいものにしようと思えば美しいものになるということだ
そう、すべての景色は自分次第なのだ。
私も心の中にいつもこの言葉を留めていきます。
ぜひ、一度読んでみてください。
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