「30歳の呪い」にかかった話
「呪い」から抜け出せなかった
30歳の呪い……そんなものは正式にこの世に存在しないのかもしれないが、私の中には物心ついた頃から確かに存在していて、それが自分の生きる意義のようになっていた。
あえて定義するなら「30歳になるまでに何者かにならなければならない症候群」または「30歳までになにもかも手に入れていなければいけない病」とでもいうだろうか。
その「何か」は人によって違うだろう。30までに結婚をしたいなのか、30までに子供がほしいなのか。マイホームが欲しい、もっと待遇が良い会社に転職したい……など。
女友達と話をすれば「30までにはねえ」と、不文律のごとく繰り返される30という数字。29歳だった人間が30歳を迎えるまでのあいだに何があるわけではないことなんて百も承知である。
それでも、つい昨日まで「20代女性」だったはずなのに、ある日を境にれっきとした「30代女性」になることはうまく言語化できないが「やばい」のである。
この「呪い」は幼い頃から世間にじわりじわりと刷り込まれたものもあるだろうし、自分自身が無意識下で縛っているものもあるだろう。
とにかくその正体は「呪い」なので、自分がそれに縛られていると自覚があればなお良いのだろうが、ない場合がほとんどで。非常に厄介なものである。しかも私の場合はたぶん、重症だった。
30歳。三十路。みそじ。
ハタチの私も、25の私も、いつだって想像していた「30歳」はもっとずっと大人で、ある程度酸いも甘いも心得ていて、何もかも持っているはずだった。
27くらいのとき、どの場面においても自分という人間が乱暴に「アラサー」と括られることにうんざりして、「だったら早く30になりたいわ」と言っていたら友人に不思議がられた。
「ライター」と名乗っていいのか
思えば小さい頃から、常に自分が有能で、他の誰かよりも優れていて、ここに存在するに足る人間なんだと、必死に証明しながら生きてきたように思う。もちろん、「誰に」なのかはわからない。
小学校・中学校・大学と人生で幾度となく経験した受験は第一志望の学校に入ることができたし、就職活動ではいわゆる大企業と呼ばれる会社に内定をもらった。
でも。
私を私たらしめているものは常に、すぐにでもぐらついて儚く消えてしまうようなものだった。幸いにも大きな挫折を知らずに生きてきたから、自分がそんな脆い生き方をしていることにも気づかなかった。
結婚後体調を崩して会社を辞めてから、自分が敷かれたレールから外れて絶望していた話は何度も過去のnoteに書いてきた。
そして、絶望から這い上がった当時「アラサー」の私はスクールでライティングという夢中になれるものに出会い、そそくさと開業届を出し、「フリーランスライター」になったのだった。
だけどフリーランスといっても名ばかりで、そりゃどの世界でも通過儀礼的な時間は必要なのだろうと1円にもならない記事を真夜中まで書きつづけたし、返事のこないDMを送りまくったし、時間をかけて書いた記事は真っ赤になって返ってきて泣いた。
バズっている記事を見かけたら私だってこの仕事がしたかったと心のどこかで臍を噛む身の程知らずの自分が顔を出したし、常に誰かに評価されてたくて成果を出したかった。
きっと私は正直、「もっとできる」と思っていた。自信がなさそうなふりをして、自分に対する期待値が高かったのかもしれない。めちゃくちゃにださいけど、それが私なのである。
だから、ライターという肩書きを経てからも常に、不安で仕方なかった。世の中には名文を書き、文字通り「書いて食っている」人がたくさんいる。それなのに、私はライターと名乗っていいのか。その資格はあるのか。
そんなとき、名だたる一流企業勤めの友人たちに恐るおそる、「今フリーランスでライターをしている」と告げた。
嘘偽りない賛辞の言葉だったのだと思うが、その時の私には心のどこかに引っかかりを感じていたのだ。
正確にいうと、恥ずかしかった。
もちろん、ライターという職業に対してではない。
どの肩書きにもおさまりきっていない、自分自身がである。
「この道が正解だよ」と教えられて、そこからはみ出たことなんてなかったから、やっぱり私は自分が選択した道を心の底から誇ることができずにいた。
もしかしたら、私は間違った道を選択してしまったんじゃないか。
正論を言えば自分の選んだ道を正解にしていくのだろうが、このときくらいから自分の選択に対する自信がぐらぐらと揺らぎ始めた。
想像していたよりずっとちっぽけで大したことがない自分に毎日まいにち、ゆっくりと失望し続けたのだ。
私は「私」を捨てた
「何もかも手に入れていないといけない」はずの30歳まで半年。
気づけば、「持っていないもの」を数えるようになってしまった。
「ライター」にもなりきれていない、全て中途半端な自分。
その謎の焦りからの逃れ方は、簡単で安直だった。
組織に属すること。安定した正社員という肩書きを得ること。コロナ禍の転職活動は29歳の既婚女性には思っていた以上に厳しく、選考が進んだ会社は物書きとは無関係の会社だった。それでも、十分にありがたかった。
結局のところ、私はこの生き方しか知らないんだと悟った。
物を書くことに少しでも魅了された自分なんて捨ててしまえばいい。私が書いた文章を好きと言ってくれた人、私が選んだ道を応援し支えてくれた人に背を向けた。
だが、そうやって心と身体のバランスがうまく一致しない状態で働き続けていたら、あっという間に身を滅ぼした。
そうして迎えた、30歳の誕生日。
何もかも手に入れていたはずの、30歳の誕生日。
さあ、どうやって生きようか
明日が来るのかもわからない真っ暗な布団の中で、「さて、私はどうやって生きていこうか」と思った。
いつまでもこんな生き方しかできなくて、自分を大切にできなくて、私という人間に申し訳ない。
30年も生きてきて、いまだにありのままの自分を心から愛することができなくて。自分の選択に責任も覚悟も持てなくて、自分が持っているものには目が向かなくて、どうしても人が持っているものが欲しくて。
そんなふうに、自分を愛することができなくてごめんなさいと涙を流しながら30歳の誕生日を迎えた。
「30歳の呪い」といっているけれど、要するに自分を心から信じて、愛してあげられなかっただけなのかもしれない。
30歳。
これからどう生きようか。
一年前、たしかに私は、いつでも、何にでもなれると思った。だって自分がまさか、文章を書く仕事でお金を一円でも稼げるなんて思ってなかったから。その気持ちに偽りはない。
一年後の私に伝えたい。
もう、何かを得ようとしないでいい。必死に証明しながら生きなくていい。
誰かに認められようとしなくていい。
思った以上にちっぽけな自分に、がっかりしないでいい。
人と同じ人生を生きて、安心感を得ようとしなくていい。
そしてたった一人しかいない自分という人間をもっと、慈しんで生きてほしい。
ゆっくりでいい。一歩ずつでいいから、この生きづらさを手放していきたい。