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75.誰もが誰かの光の存在
おはようございます。
しばらく過去生とか、そういう系の話題は避けてきていたのですが、昨夜ふと湧いてきたものがあったので記しておきます。
『誰もが誰かの光の存在』
昨夜お風呂に入っているとき湧いてきた言葉です。
最近のわたしは、ネガティブな“体感”を感じるということを意識的にしているのですが、そのことに対して「避けてなくてすごい」と伝えてくれた方がいました。
その方への返信を考えていたときに、ふとこれまでの経緯を振り返る感じになっていったんです。
わたし自身かなり長い間、行動のみでどうにかしようとしてきた時期があります。けれど、わたし自身が身体を壊したり、母が病氣になったり、様々な出来事の中で、ネガティブな感情を避けない、感じることの大切さに氣づいていきました。
更に右脳回帰した人の話しの中で、ネガティブな体感を避けずに感じたことで抜けたお話しを聞くことで、『身体の感覚(体感)』に意識を向けるようになり、そこからまた「身体がネガティブな体感を出してくるのは、終えられなかった体感を感じるため」「身体は、わたしたちを幸せにしたくて、体感を出してきてくれる」ということを知る機会があり、体感を感じるということを日常の中で深めるようになってきたという経緯があるんです。
それを振り返ってきたときに、これまで出逢ってきた誰かが、ひとつ、またひとつと、道を照らす言葉を放ってくれていたなぁ〜という想いが湧いてきました。
そしたら、ふと数年前に描いた『レムリアの樹』の絵が浮かんだんです。
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この絵は夢か瞑想で見たもの。(どちらかうろ覚えで、ごめんなさい)
あとになってなにかと繋がることがあるので、こうしたものが出てきたときは必ず描いておくようにしています。
このレムリア樹には『光の樹の実』というものが成っていました。
そして、そこにひとりの女の子がいて「心に元氣のないときは、この実を食べるんだよ」と教えてくれました。
この実というのは、きっと『わたしたちひとりひとりの存在の光』なのかもしれないなぁ〜と。
あるとき何氣なく放った言葉、何氣なく教えた動画、ただすんなり身体が動いてなんとなくやっていたことが、誰かの道を照らす一つの光であるんだよということを伝えてくれたように感じました。
光を放とうと努力をする必要はない。
すでに光を放っている。
この言葉でほっとする方がいたら幸いです。
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