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51.日本人の志と生かし合うということ


愛しいあなたへ。
こんにちは。

今日は新嘗祭の日。
わたしたち日本人にとってとても大切な日なので、教育勅語について書いてみます。

そもそもなぜこれを書こうと想ったのかというと、ネドじゅんさんの『是』のワークの説明の中で「国是」という言葉が使われていたから。それでふと想い出して、教育勅語を書いたノートを開いてみたら、やはり『是』という文字が入っていました。

教育勅語の中に『是(かく)の如きは独り朕(ちん)の忠良の臣民(しんみん)たるのみならず』という一説があるんです。

わたしはあまり歴史に詳しいわけではないのですが、教育勅語に興味を持ったのは、日本人本来の力が戦後に失われている。それはGHQの教科書の書き換えや、日本人本来の力を失う風習に変えられている部分があるからというのを知ってから。

でもわたしは、GHQは悪であると罵倒したいのではなく、日本人であるわたしたちには底力(肚の力)というものがあるよということを知ることは大切と感じているからなんです。

安全と言われる割に自殺者が多いと言われている日本。
実はわたしたちの自己肯定感の低さの中には、歴史で歪められた自己認知なども存在していて、ある意味それは幻想であるという可能性に氣づく必要があると感じています。

教育勅語とは、明治23年に作られたもの。明治維新の時代です。
なぜ革命ではなく維新だったのか?
維新とは敵をも味方にする、皆一緒になって新しいことを始めよう。その新しい道を作って始めたものの、西洋から他者を蹴落として自己目標、自己実現を達成する考え方が入ってきた。その風潮は日本人本来の敵をも味方にする思想を崩壊させてしまう。
どれだけ黒船がきて外圧に抵抗できても、組織というのは内側から崩壊したら一瞬にして終わる。それに氣づかれた明治天皇が教育勅語という国民へのお願いごとを創ったんです。
憲法にしなかったのは、人の心の部分に伝えるものだから。そして、まずはわたし(天皇)が率先するから、皆にやって欲しいというお願いとして創られたものです。

この敵をも味方にするというのは、武士道でもあったりします。
戦後日本の教科書から抜かれた文字に『志』があると言われています。そして置き換えられたのは『夢』であると。
『志』は「武士の心」と書きますが、どんなに強い武士たちも、人を殺めることを繰り返せば、その子孫たちが復讐として子孫の命を狙ってくることもある。それは復讐の連鎖になると氣づいたとき、敵と酒を酌み交わすことが武士道であるとなったそう。『志』という文字には、そんな深い意味があります。

『復讐や不幸の連鎖を繰り返さない』
『そのための調和である』(調和とは自分を押し殺すことではない)

そんな大切な想いを、わたしたちの祖先は抱いて生きていたわけです。
ここに想いを馳せると、日本人そのものの魂には「勝ち負け」という概念もなかったことに氣づきます。互いに生かし合うことを常に念頭に置いていた。

そして教育勅語が憲法でないことも、日本の天皇の志を感じます。
憲法にすれば破った人は罰される必要があります。でもこれは天皇からの「わたしもやるから、皆さん一緒にやりましょう」という国民へのお願いなんです。命令ではないんですね。これは他国ではあり得ないことなんです。

日本人であるわたしたちは、深い慈悲心を持った天皇と共に生きてきています。
そして新嘗祭の日、天皇は国民のために祈ります。

今朝氣づいたことだけれど、惨めさや無力感を感じることがあったとしたら、それは今生きてるわたしたちだけではなく、先祖たちも感じてきたことと通じてるように感じます。でもそれも、戦争によって貧しさを経験した先祖たちの存分に子供たちにご飯を食べさせたかったとか、与えられるものを与えたかったという愛から来ているんです。

だから無力感や惨めさを感じたときは、嫌うのではなく抱きしめてあげてください。
そして命を繋いできてくれた先祖たちに想いを馳せて、ご飯を食べてみてください。

右脳回帰するとは、日本人本来の魂に還ることとも繋がっていると、わたしは感じています。


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