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【推しの子最終話】最高だったね〜〜〜

って思ってインターネットの感想覗いたらみんなが真逆の感想抱いてて横転しました。
とりあえず感想を書いておきます。

◯何がそんなに良かったの?

星野ルビーにこうあって欲しいと僕(や作中のファン達)が押し付けていた理想を、星野ルビーが叶えて、それを楽しんでくれているというところ。
そして、その構造の裏にある気持ち悪さ。
※このnoteは作品「推しの子」の批評的な観点でなく、「推しの子」の世界に生きる星野ルビーのファン目線で作品を読んでいたオタクの戯言。承知よろ。


この作品で人間に嘘という要素を加えて出来上がるものだと描かれてきた偶像化・抽象化の象徴である"アイドル"。
更に何も個人としての星野ルビーのことを知らない人たちに無責任に押し付けられる物語。
これらを踏まえてなお、星野ルビーがアイドルをどうしようもないほど楽しいお仕事なんだと言ってくれたことが嬉しいのだ。

その言葉が嘘でないことを祈っている。

◯ちょっと楽しいお仕事

僕は「推しの子」の世界に生きる星野ルビーのファン目線で作品を読んでいたオタクだ。

「39話 ちょっと楽しいお仕事」を読んで鈴城まなさん(星野ルビーの輝きを間近で浴び、自らアイドルを辞めることを"選んで"別の世界に歩み出すことを決めた女の子)が大好きになり、「推しの子」を読む時に常にこの展開はこの世界のどこかで生きている鈴城まなさんの目にはどう映って何を考えているんだろうということをずっと考えていたからこうなった。(冷静に考えると変すぎるかも)

夢だったアイドルという仕事。それに少しづつ慣れて、磨耗していった先に残っていたのはちょっと楽しいお仕事だった。そんな時に浴びた星野ルビーというあまりに眩い光は、アイドルとしての彼女を殺すのに十分すぎた。
彼女は偶像化されたアイドル"鈴城まな"を辞めて、ただ1人の"○○○○"という名前のある誰かに戻る。アイドルとして生き続けられるの人とはは、偶像であり続けることを苦痛に思い耐えるのではなく、それを楽しめるような人だけなのかもしれない。
彼女は自分を殺したアイドルに「いつまでもそのままでいてね(輝いていてねという文脈だが偶像で居続けていてねとも読み取っている)」と自分勝手に願った。

ちなみに最終話の13ページ(ヤンジャンアプリ)左下のコマに写っているのはかつて"鈴城まな"だった女の子だと思う。そうだと嬉しい。

◯どうしようもないほど楽しいお仕事

たくさん辛いことがあっても星野ルビーはそれを乗り越えた。そんな物語が僕たちに感動をもたらす。
星野ルビーは何を考え、どのように立ち直ったのかは描かれていないが、そんなもの作中のファン達にははなから知ることができない。
だから勝手に想像する。
都合のいいように補完する。

「ああ神様 きっと彼女は
暗闇に光を照らすために生まれてきたんですね」

嘘と虚構で塗り固められた偶像を絶対的なものだと信じる人々。
とてもグロテスクだと感じた。
見開きのページはアイドルを教祖とした宗教画のようにも見えた。
でも、間違いなく暗闇に生きる人々達は星野ルビーの光に救われた。

星野ルビーはこれからも輝き続ける。
僕たちの願った通りに。

◯嘘

星野ルビーは母と兄という、自分のことを最も愛してくれる人達のうちの2人を失っている。
アイドルとしての未来は彼らからもらったものだ。もう捨てられるわけがない。

「どうしようもないほど楽しいお仕事」という言葉は、星野ルビーが自分を騙すための嘘なのかどうかは、きっと星野ルビーにもわからない。
仮に今は本当だとしてもいずれ嘘になってしまうのかもしれない。

それでも僕たちにできるのは本当であって欲しいと祈ることだけだ。

◯どうしようもないほど楽しい推し事

かつて"鈴城まな"だった女の子が、今どうしようもないほど楽しい"推し事"をしてくれていたらいいなと切に願っている。

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