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村田沙耶香と社会②

物語の中盤では、私の友人である純子との会話からとあるパーティーの存在を知ることになる。そこでは、大勢で人々を世代間でカテゴライズし、過去と現代の20歳を比較しながら未来の20歳の「流行」を決めていくという会議が行われていた。そこから、上記に述べたように物語に登場する大学生が変化してきていることが社会的に大きな現象であり、それが今の流行なのだということが明らかになる。
そして、主人公の私は、ある人と実際に例のパーティーに参加することを決める。その同行者として、私が大学生当時のバイト先にいたおばさんである五十川さんという人物である。この経緯は、当時から感情豊かで常に当時の私達学生に怒りを表し、若者の社会現象であった性への関心不足(それがその当時の「流行」とされていた)に対し、五十川さんに強要されていたことを思い出し、その怒り狂っていた存在と行くことで、この時代の現状は何か変わるのではないかと考えたからである。しかし、私はある瞬間から徐々に自身も変容していることに気づき、終盤へと向かっていく。一方で、五十川さんは一緒にこの現状を食い止めようとするはずであった主人公の私が変容していく様子を呆然と見つめ立ち尽くす。そして、変容をすでに遂げているとされる大勢の人々に見られながらも最後まで一人で反抗し怒り続けながら、この物語の終わりを迎える。

この物語の最も重要と私が考える例のパーティーには、現代における急激な時代の変化を表すAI化の象徴なのではないか考える。人口知能であるAIは仕事場や身近な生活などの様々な場面で人類の手助けとなっている。しかし、決まりきったモノを正確に作っていく様や、無数の情報源から人類を判断し分類していくとされることの理由からこのように思った。また、五十川さんが、変容を拒み最後まで反抗心を剥き出しにしている様子は、現代に生きる我々の不安やより情報社会化が発達する未来への疑問などが共通する構図として表現されているのではないかと考える。

まとめとして、村田沙耶香はこの物語から、過去から現代そして未来への社会の「変容」の様子を表していると思う。その中で、人々が多様な考えや感情を持ちながら生きていくこと、そこから何が必要となってくるのか考えることの重要性を読者に問いているのではないか考える。

二回にわたり村田沙耶香の丸の内魔法少女ミラクリーナから変容について、自分なりにまとめてきたが、一考えの一つであり、全くの想像、妄想から成り立っている。他読者の感想も知りたいと思う。

一つ言えることは村田沙耶香さんめっちゃ好き。


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