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他人からエネルギーを吸う人がいると、私は思う

科学的な証明は見当たらないし、分からない。私には心霊的なものは見えないし、分からない。
しかし、「一緒にいるとエネルギーが吸い取られる。」と感じる相手がいる。それは話すと理解に食い違いが生じ、どっと疲れるとは違う。言葉なんてものは必要がなく、同じ空間にいるだけで、力を抜き取られるのだ。その人は、一緒にいる私や周りから吸い取ったパワーで浮足立っていたり、ギラギラしているという感じのものである。もちろん、その相手が悪い人であるに違いないという訳では無い。親切にしてもらうこともある。だが、そんなメリットを考慮しても、この人は「吸ってくる」と感じ、即座に心が拒否するのだ、『危険だ』と。
………………
「あの人、狐が憑いている。」
挙式のご参列者が義家族のある女性を見て話した。
「りりいちゃん、理屈じゃない、近寄ったら危ないよ。うちの義母も同じオーラがあって、吸われてるの。」
と。

他のご参列者が話す。
「すっごい女性だったね。まるで松居◯代さんのような感じ。身体も大きいし、人を喰って大きくなったのだと思う。取っているよ。りりいちゃん、気を付けて、本当に。」
と。

正直、私にはオーラとか、祟とか分からない。ただ、側にはいたくなかった感覚だけはあった。
………………
友人たちにこのことを話すと、彼女たちは他人に会った瞬間、相手に対して感じるものがある体験があるそうだ。例えば、テレビ界の人で言えば、
美しい女子アナウンサーを妻にしたとある歌舞伎役者の男性や、
元国会議員で都知事選に立候補された女性、
元サッカー選手など、
に対し自動的に警戒すると言う。そのギラギラした目から何かを吸い取られるからとのことだった。そして、同じ何かを放っている人は、一般人の中にも居るから、会ったら言葉を交わさずに直ぐ逃げる。というか、逃げる他ないという。

もっとも私には、それを見破る能力がない。しかし、あの時、私は、その方と居た時に、「ヒヤッ」とした冷たいものを感じた。だから、無意識のうちに離れたのだった。

そして、思い返すとそのご親族の職場の写真を見せられた時、私は凝視出来なかったことがあった。オフィスにしている一軒家の窓から何かが覗いていたのだった。直ぐに目を背け、デート中の海岸に目をやったのを覚えている。

皆にあるのは私とは別の感覚かもしれないが、目を背けるものはあった。
………………
損得勘定で生きていたのなら、適度に距離を保ち、付かず離れず接し、完全に切断することは適切ではないだろう。
しかし、私は損得勘定で人付き合いをするほど、器用ではない。だから無理だと感じた以上、どうにも出来なかった。
ただ今は、その判断が身を救ったと思う。

損得勘定なく、心が感じるままに人と交流するから、日頃から騙されることも、いいように扱われることもある。しかし、それでもその人と居たひとときが温かいものであったのなら、仕方なかったと思う。何よりその人に惹かれていたのなら、自分ではコントロールしようがなかったと思う。だから後悔はない。
しかし、心が「危険」と拒絶し、寂しさや虚しさを感じたにもかかわらず、一緒に時を過ごすことは、後悔となる。人と人とは全て受け入れ合うことはできず、何処か受け入れ難い部分がある。その受け入れ難い部分を見た時に、「やっぱり」と後悔してしまう。
それは、医者が患者を診て、病名に勘付き検査したら「やっぱり」と腑に落ちる感覚に似ているといえよう。検査をして、「そうか、病名が分かった」の逆である。

だから、後悔なく、前向きに生きていくために心が温かくなる人と居たい。それはもはや理屈でも好き嫌いでもなく、インスピレーションの問題でもある。

正直、皆が言う様な狐や祟は私には分からない。ただヒヤッと感じた以上、その人とは今は関係を持つことが出来ないのが確かで、それを立証するかのようなことが今、次々に起こっている。
…………………
例え、社会的に大成され活躍されている方であっても、親切さがあったり、表面上人気者であっても、已む無く付き合わないといけない立場の方だとしても、
人からエネルギーを吸収する相手は、ダメで、理屈ではなく、ただダメなものはダメなのだと思う。

許して優しくして心の健康が損なわれる事態に陥らぬよう、noteに書いた。

とても嬉しいので、嬉しいことに使わせて下さい(^^)