自分に相応しい環境を選びたい
静かで、仕事の合間などに一息つく人が多い、お気に入りのカフェに入る。大多数のお客さんは一人で来ているが、友人同士で楽しむ人もちらほら見える。だから、私も友人を誘った。
「居心地の良い、よく行くカフェがあるから、一緒に行こう」
と。5歳の息子の手を引く友人は、
「りりい、何言っているの?ダメだよ。」
と呆気にとられた顔で私を見る。
「周りの人、子供泣かないかな?とか席を譲らなきゃいけないかな?とか気にして、せっかくのいい雰囲気、壊しちゃうよ。うちらはファミレスだよ。」
と一掃した。
人は合っている場所に行かなければならない。親のエゴで、大人しく出来ない子供を連れて、おとなしいカフェに行くことは、親の自己満足。子供も周りも幸せではないのだ。
……………
結婚式に招待した友人は、子供が0歳。招待した翌日には、乳飲み子の喧しさからお断りが入る。代わりにその翌日には百貨店から大きなギフトが届いた。
「0歳は祝えないからごめん。」
とのLINEに常識的な判断だと、安心した。
5歳以下の子供がいる友人たちは、結婚式の招待に対し誰もが同様の対応をしてくれた。私も来ては欲しいが、騒がれて台無しにはされたくない。そして断わられることより、出席されたことで式を壊されることがいたたまれない。だから、ガッカリと同時にありがとうと思った。
人には分別に応じた相応しい場所があるのだから。
………………
他方で、0歳と4歳の子供を呼ぶとの話をしても、親族控室の延長利用を許可してくれないホテルもある。お子様ランチのメニューを選び始めても、先に子供を預けられる場所を探さないのにその点についてプランナーからの回答はない。
「赤ちゃんも、ご参加させて下さい」
との対応ありきの進行に、式を成功させたい思いは感じられなかった。なぜなら、この時点で、取締役や弁護士の挨拶で40分はかかることが決まっているのに、大人しく出来ない子供を当たり前のように同席させる予定だったのだから。
授乳スペースもなく、ソファだけのラウンジに、4時間もある式で泣いたら待たせる。それでは子供は幸せではない。ただの大人のエゴで子供を疲労させることに他ならない。
式の最中に、「泣いたらどうするか考える」との言葉に、「泣いたら手遅れだから、何か対応が欲しい」と言っても、親族控室は子供の利用が出来ないとの返答にホテルに楽しんでとの思いが感じられない。
赤ちゃんは自分に注目して欲しいだけで祝えないのに、大人の場所に大人しく座らせる前提で話が進むのはなぜだろう。
……………
人には各々相応しい場所がある。
美術館で騒ぐ子供を見ると、絵を学ぶ能力がないのに連れてきてはいけないと思うが、
水族館で水槽から離れず、大人よりも真剣に生き物を観察している子供を見ると、
この子はあるべきところに居ると関心するし、居心地がよい。
様々な価値観と共に生きていくが、その中でそれぞれの人が自らの分別に相応しい場所にいて、自分のエゴで他人の居場所を決めないことこそ、自分も周りも幸せにするのだと思う。
結婚式を誰もが楽しんでくれるためには、赤ちゃんのスペースも必要で、頭ごなしに「出来ない」ではなく、案を出す思いやりくらいは欲しい。
自分はせめて、自分以外の人も居心地よくいられる空間を創ることの出来る人間でいたい。
友人たちのように。