物事は動くべき時に動くことで解決する〜大きなお家
「もうとっくに時効が過ぎているから、どうしようもないよ。」
と、私が何度も伝えるが、
「おじいちゃんの大事な土地だから、何とかしたい。」
と、家族は譲ることができない。
「権利の上で眠っていた以上、仕方ないけど、やるだけやろうか?」
と、提案はした。
……………
約百年。祖父の代から大切にしてきた土地に、塀が立てられたのは何十年前だったか。家族はそれをよしとしなかったが、指摘すれば近所トラブルに発展しかねない。言うにもいえず、塀を見る度に不快感を募らせるしかなかったのだ。何より、伝え方も分からない。無知も相俟って前進することを止めていた。
しかし、契機は突然やってくる。塀を建てたお家の住人は、ご近所さんと不仲となり、一人暮らしの豪邸を離れて、施設にご転居されたのだ。ある日、急に、そのお家に「売出中」の看板が建てられていたのだった。
……………
「今、言わなければ、うちの土地が。」
と話す家族の気持ちも分かる。きっと今がチャンスなのだろう。
これまでの経緯をおさらいし、私は筆を執ることにした。もちろん、相手方は時効の主張をするだろう。それを前提に、当該土地建物を取得した不動産会社宛てに書いた。
「貴社が売っている土地建物は、塀によって当方の土地を侵害しています。塀の撤去をお願いします。ご連絡お待ちしております。」
と。
不動産会社が来たのは、手紙が届いたその日だった。しかし、不動産会社は時効を主張しなかったのだ。それどころか、むしろ、私たちの所有権を認めてくれたのだ。
「この土地建物の所有者は、自分の自宅を広く取るために、市有地にも塀を建てており、販売が困難です。
売るにしても塀の部分は、あやとさんの土地だとお伝えします。」
と。
……………
家族にも見放され、近所のお友達も離れていき、唯一無二のお家も手放さざるを得なかった。隣地に住んでいた彼女は、少しずつ、ずるかったのだ。東京の様に土地不足にはない広大な地域で、夫婦二人の暮らしには十分過ぎる土地を所有していながら、「もっと」「得したい」との意志で、自己所有地には塀を建てず、隣地に塀を建ててしまっていたのだ。だから、うちだけではなく、市有地、他人の土地をも侵害していた。
思い返せば、彼女にはセコかったり、見返りありきの親切があった。だから、「付き合いたくないと。」家族が距離を置き、行き来を拒んだ。その違和感は正しかったのだ。
……………
何十年も心に溜めながら、伝えることができなかった、家族は辛かっただろう。言えば、近所中に被害者として振る舞う姿が見えていたから、言えなかった。彼女から、彼女の夫や嫁の悪口を私でさえ聞いていたから、「土地を返して。」なんて主張すれば、喚き散らすのが関の山だった。
「せめて、建設中の時に言えばと良かった。」と、家族の後悔の気持ちを聞いたのは、百回ではきかない。毎日、目にする塀を見ては湧き上がる思いを溜め込むことは、苦しかっただろう。
ただ、それでも言うべきことは、言うべき時が訪れる。私たちは時を待っていた訳では無いが、来た時を逃さなかった。
……………
歳を重ねる毎に、「あの時」と思うことは数知れない。自分に起きた出来事に向き合わなかった後悔は、如何なる理由を付けても屁理屈で、自分の怠慢さを思い返しては消耗する。理不尽な憤りを解消するために要する労力は、いつの間にか、出来事に向き合う労力を上回る。
これまでの人生でそんな後悔が沢山あったから、家族は時を逃さなかった。
理不尽な出来事があった時、向き合うか、悩ましい。それは、伝えたらどうなるか、頭に描くフローチャートは、いつも最良の結果ばかりではないからである。しかし、それでも、自分の人生が憤りや理不尽さでいっぱいになるよりは、伝えてみる方が良いと私は思う。
私も家族も、今は塀を見ても何の憤りも感じない。着地点を金銭的な解決にしなかったから、お金をもらったわけではない。しかし、不動産会社が彼女のズルさを分かってくれ、土地の権利を認めてくれたから、苦悩から解放されたのだ。
……………
身の丈を超えた大きなお家は、今は空っぽで、誰も居ない。大きなお家で欲しかった筈のものは、手に入らなかったのかもしれない。