女性の身体機能では、絶対到達できないippon bladeランニングの境地がある?では、なぜやるのか?
こんにちは。Ayari✼です。
私については、こちらを↓
走り始めてたったの11ヶ月で50kmを完走して約1年が経ちました。
いいところでやめておけばいいのに、今年の5月にはippon blade一本歯下駄での100kmにもチャレンジしました。
50kmまで走ったところで、このまま一本歯下駄で走っていたら、制限時間に間に合わないというタイムになり、苦渋の決断でワラーチに履き替え、海岸沿いの炎天下を延々と、そこから30km走りました。
ippon bladeでの100km完走のために私は練習を積んできたのだから、ワラーチに履き替えてまで、この先、走る意味とは何があるのだろうか?
足でも痛くなれば、リタイアする理由があるのに、無駄に余る精神力と肉体はまだまだ元気で、走っても走っても変わらない海沿いの景色へ途方に暮れながら30kmを走り切りました。
80km走ったことで、制限時間に2分遅れてリタイアとなりましたが、ここまで走れたのだから大満足!っと思うかと思っていたけれど、全くもってその正反対で、人生史上、一番悔しい体験となりました。
山岳信仰である修験道では、山やお寺での修行に、女人禁制の領域があります。
諸説あるのですが、修験の起源である平安時代の頃からそう決まっているそうで、ここは変えられないそうです。
修験道の修行の聖地でもある大峰山には、女人結界門があり女性はその門から先は登ることができないのですが、時代に合わないからやめようという運動などもあったそうですが、大峰山は今でも変わらずそのままです。
修験道には、女性は体験できない修行が未だにいくつも存在しています。
女性の身体は、とても繊細で月のリズムと共にあり、もっと言えばそれは宇宙のリズムでもあり、何かそれをしてしまったら、女性の機能が崩れてしまうからなのかもしれません。
修験道の開祖である役小角も、大切にしていた母を一緒に巡礼に連れていくも、身体のことが心配で、ある一定の領域からは、家に置いていったと記している書物もあります。
私は、女性に生まれながらも、子供の頃から、男の子のように立ちションしてみたい!っと思っていたし、思春期に入ってからは、ヒッチハイクしながら、世界中を旅してみたい!という願望があったし、男性にしか体験できない修験の修行も、もちろんやってみたい。と、思っている。
大峯山の山頂まで、登ってみたいし、そこから見える景色もこの身体で観たいし、修行もしたい。
それが、どれだけ苦しいものだろうと、それ以上にやってみたい気持ちの方が大きいんです。(やったら早々に音を上げるかも)
普通の女性は、そんなことは思わないのかもしれないし、私が頭がおかしいのは重々承知の上で、それらの体験がもしできたらと想像するだけで、魂が揺さぶられるほど、魅力を感じます。
そんな私にとって、ippon bladeでの100kmウルトラマラソン完走チャレンジは、それらと同じような意味を持つのだと思います。
一生、登ることのできない大峯山の山頂へと御登拝しにいくようなもので、もしかしたら女性にはどれだけ頑張っても、神様は「ippon bladeで女性の100kmウルトラマラソン完走」という称号は与えないのかもしれない。
何か、それを成し遂げてしまったら、自然の摂理が大きく変わってしまって、成し遂げてしまってはいけない境界線で自然の掟なのかもしれない。
そのような感覚すら覚えます。
でも、それすら受け入れて、一生かけて死ぬまでチャレンジし続けようとしている私がいます。
〜「シーシュポスの神話」カミュ〜に、共感する物語があります。
ギリシャ神話の神々が、人間であるシーシュポスに刑罰を与えます。
休みなく岩を転がして、ある山の山頂にまで運び上げるという刑罰。
しかし、その岩は、山頂まで達すると岩自体の重さで、再び麓に転がり落ちてしまいます。
だから、シーシュポスはまた山頂を目指し、その岩を転がし続けるのです。
何度も、何度も・・・。
神々は「無益で希望のない労働」ほど、恐ろしい懲罰はないと考えたのです。
でも、シーシュポスの、生きることへの意欲は全く冷めることがなく、頂上を目指すその情熱こそが、心が満たし「すべて、よし!完璧だ。」っと覚醒してしまう。っというお話。
このギリシャ神話の物語は、無益と思えることすら生きる情熱によって、神が決めた計画をも変えていけるという物語でもあり、ippon bladeランニングでの100kmウルトラマラソン完走チャレンジは、私にとってはシーシュポスと、とても重なる物語でした。
私は、もしかしたら、一生の努力をしても、到底、到達することのできない山頂を、目指しているのかもしれない。
もし、その山頂に到達できたとしても、何かその称号は、あっけなく麓へと転がり落ちてしまう。
だから、また何かを背負って、頂きを目指す。
それこそが生きる意欲となり、その過程が情熱であり、生きる喜びなのだと!
次は、金沢マラソン42,195kmのフルマラソンへチャレンジします。
50kmをippon bladeで走っているし、80kmを走っているのだから、当たり前に走れるだろう。
っと思っていると、また、そうではないのが女性のippon bladeランニング。
日々、月のリズムがあり、宇宙の波の中で生きている女性の身体は、一定の状態をキープできるわけではないのです。
この2ヶ月は、そのホルモンバランスの変化があり、まさに修験道で女人禁制がある理由を身をもって体験したのです。
そこからの調整は、なかなか思うようにいきませんでした。
ippon bladeランナーは、男性が圧倒的に多く女性はごく少数派です。
その中でも、長距離を目指す女性は、殆どいません。
私も、自らがやってみて本当にきついし調整が大変だから、ハーフマラソン(20km)以上の大会出場を女性にはおすすめしません。
前例がないことは、当然、エビデンスもないし、自分の身体で実験検証していくしかありません。
でも、繊細な女性の身体を持ちながら、特性や特質を活かし、その機能を失うことなく、長距離でのippon bladeランニングを末長く続けていくというのは、未知なる探究の面白さがあります。
波のように変化するリズムに合わせて、どのようなホルモンバランスや環境や状況だとしても、到達が難しいであろう山頂を目指すという、ippon bladeでの大会出場は、その本人にしかわからない、生きる意欲と情熱と、超エキサイティングな体験です!
そして、私は、全ての女性が自分なりの頂きを目指せば良いと思っています。
山の標高の高さは、自分で決めればいい。
ある人にとっては、それが5kmという距離だとしても、富士山と同じような標高に値する場合だってあるんです。
人それぞれ、生きてきた軌跡と背景から、その距離の長さで、どのぐらいのチャレンジで何がすごいかなんて、他人が決められることでも、言えることではありません。
ただ、”神様の刑罰がご褒美になってしまう”ぐらいの標高の高さへとチャレンジすべし!と、私は思います。
神様もびっくり見当違い!っな人間になれたら、そんな人間は、遊び甲斐があって、神様も可愛がってくれる気がします。
ギリシャ神話も、日本の古事記も、ユニークですから面白いことが神様は好きですよ。きっと!
金沢マラソン42.195kmでは、私の普段着である着物で、ippon blade369という馬に乗って、5時間30分以内の完走を目指し走ります。
どうぞ皆さん、苦しそうで嬉しそうな様子の私を(私たちを)応援に来てくださいね♪
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?