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女性を超えた評価基準を思い知る。「生物としての自立」『第三話』


こんにちは。Ayari✼です。「人生のどん底から一本歯下駄ippon blade(イッポンブレード)に出会い大逆転した話」のブログに偶然にも出会ってくださり本当にありがとうございます。こちらの物語は第四話までのシリーズ編です。

第一話・第二話はこちら↓

前回までのあらすじ

離婚して最愛の娘と離れ、公私共に八方塞がりとなった40代女性Ayari✼が、ひょんな出会いから一本歯下駄に出会う。ランニングを全くしたことのない500mしか走れない女性が、たった11ヶ月で50kmウルトラマラソンをippon bladeという一本歯下駄を履いてスタートを切った!スタート地点に立つまでの奇想天外なトレーニングと深い痛みと向き合う日々。そして、離れて暮らす娘への想いとは。

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女性を超えた評価基準を思い知る。「生物としての自立」

離婚して離れて暮らすことになった娘への想いは募る一方でした。覚悟を決めて離れたつもりだったのに行き場のない母性は私自身を苦しめるばかりで、できれば参観会とか、運動会とか、当たり前に母親が出席する場に自分も出席したい。でも、様々な事情でそれは一切、叶わなかった。私のせいで娘がいじめられたらどうしよう。起きてもいないことを考えては、どうしようもできないことを考えては、寂しさと苦しさは増すばかりでした。私が唯一できることは、娘に手紙を書くことと、定期的に会えることぐらいで、シングルマザーとも言えない私の立ち位置は世間的にはなんというのだろうか?

どこまでも、私は世の中のはみ出しものじゃないか

様々な想いを抱えながらも、その中で私は日々、淡々と走り続けていました。走っている途中、同じぐらいの歳の女の子を見ると、一気に涙が溢れました。娘は小学校高学年になり思春期に突入すると、突然、私に会う頻度が減っていき、半年ぶりにやっと会えたときには、私は赤穂ウルトラマラソン大会を1週間前に控えていました。この数ヶ月、娘への想いを糧にどんなにきつい練習も苦手なことも頑張って取り組んできていたから、会えた時には本当に嬉しかった。

往復18kmの日光いろは坂ランニングや、日本海での素潜り、身体機能をあげる様々なファンクショナルトレーニング。私が娘に母親として、何かしてやれることは探しても何も見当たらず、とにかく私は自分の与えられた役割を全うし、今を一生懸命に生きるしかありませんでした。

様々な想いをお互いに抱えながらも、今を生きる私自身の背中を娘に見せられたら。そんな思いがありました。

娘とドライブをしながら、私は娘に言いました。

娘「お母さんね、今度、マラソン大会に挑戦するんだ!何kmだと思う?」

娘「う〜ん、10km?」

私「いやいや、もっと長い距離だよ。」

娘「う〜ん、100km?」

私「い いや、それはないかな。50km!」

娘「へぇ〜。」

私は娘が驚くと思っていたので、この返答に少し残念な気持ちになりつつ、さらに反応を期待して追い討ちをかけ

私「あのね、お母さん、50kmを一本歯下駄で走るの。」

娘「・・・。  すっげ。」

以上、終わり。

そして長い沈黙が起き、ゲームとアニメにハマっている娘は、引き続きゲームの話を続けました。

心の中で私は愕然としながらも、小学校高学年女子の会話に必死についていくのが精一杯で、あくせくするみっともない私。

娘と別れ、一人で自宅に帰る車の中で意気消沈しながら「なんのために、私は頑張ってきたんだろう・・・。」大会から1週間前、プツリと何かが途切れたかのように頑張る気力も走る気が失せてしまいました。

そんな私の話を小平天はハイボールを飲みながら大笑いして聞いてくれました。「あやちゃん 、よかったね。逞しい子だね。動物だったらね、赤ん坊を産んで母乳をあげて自分の足で立てるようになったらあっという間に巣立っていくんだよ。あやちゃんは、誠心誠意尽くしてその愛情をあの子にたっぷりと注いだんだよ。あの子はあやちゃんからその愛を浴びすぎるぐらい浴びたから、もう自立しているんだよ。本当は12歳にもなれば動物としてそのぐらい自立してて当たり前なんだ。もう十分にやり切ったんだよ。思い切って手放したら良いよ。できることはあの子の幸せを願い続けることと、成長を見守り続けることだよ。」

そうか、私のこの報われない母性は、いつの間にか独りよがりになってしまったんだ。娘は自分の人生をすでに逞しく生きているんだ。私は、私の人生を謳歌しよう。誰のためでもない。自分のために私は走るんだ!迷いが少しずつ消え、大会本番から5日前、急に何かか吹っ切れて足取りが軽くなり、転ばないように足元を見ながら走っていた私は、急に空を見上げながら走れるようになりました。この空は確実に新しい未来へとつながっていて、これも神様の計画の内だったんだな。何を理由にして走ろうとする私を自分自身の自立のために神様が与えてくれた体験。

小平天は、人をあまり寄せ付けず、甘い言葉を簡単に人に言ったりしない。人にも自分にも厳しい小平天の本当の優しさを知っている人は、とても少ないだろう。でも、いざと言うときに宇宙の摂理というものが当たり前に飛び出して、凝固した緊張をゆるめ目の前の人を真ん中に戻してくれる、この人はそういう人なんだ。

小平天に出会えたことも、あの子が私の元に生まれてきたことも、全てが運命だったんだな!ありがとう。

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50kmウルトラマラソンの半分の距離である25kmまでを、私は颯爽と走り切りました。

途中、ランナーの方々がたくさん声をかけてくれたました。

「背筋が伸びてフォームが本当に美しいですね。」「余裕のランニングですね。」「本当にかっこいいです!仲間に入れて欲しい!!」「まるで、神様が走ってるみたいだ。ありがたい。」心配していたランナーの方々がすれ違い様に、最初とは打って代わって尊敬の眼差しで声をかけてくれました。

運営の方々や沿道で応援している人たちも、目の前を駆け抜けて行く私の姿をじっと見つめ、心から応援してくれました。なんだろう、この珍しい感覚。

私にとって、男性からこのような眼差しで賞賛されたことは、正直言って人生で初めてで、女性はいつの時代も男ウケを狙い、自分を着飾り、男性の評価に翻弄され生きてきました。SNSで流れてくる広告の殆ども女性性を満たすためのキャッチコピーと安売りの商品ばかりが宣伝されていて、女性は自由と尊厳を主張しながら、男性の評価の中で未だ右往左往しています。もっと言ってしまえば、女性起業家なんてものは、煌びやかに見える裏側で男性に媚を売って仕事をとってくる人たちも多く、そうしなければ生き残れない仕事の厳しさが女性にはありました。

そんな評価基準に、はっきり言ってもうたくさんで、もううんざりだった。

ippon bladeで走っている今の私を、誰一人として女性として賞賛した人はいませんでした。

男性と女性という性別を超え、同じ土俵の上で「生物として賞賛」を初めてされた体験でした。

女性としてでもない。母としてでもない。起業家としてでもない。

すべてのラベルがないところで、私は生物として自立できたんだ!自分で自分を認められた瞬間でした。

高揚感の中でリズムを全く落とさず、私は35kmまで余裕で走り切りました。

フルマラソンなら、あと7kmで完走できる。

30kmの壁を私は楽に越えたんです。足はまだとても軽く、もしかしたら、このまま足が重くならずに、苦しい体験なしに50kmが終わるのかもしれない。なんだ、意外と余裕じゃないか。長い長い緊張が途切れ、制限時間まで時間もたっぷりとあったので、エイドステーションでゆっくりと休憩をとりました。

5分後に立ち上がり、太陽がジリジリと全身を焦がす中でまた走りだした。

あれ、何かがおかしい。あれだけ軽かった足がまるで鉛を片足2kgずつ追加されたかのように重くなっていきました。

嘘でしょ?ここまで楽に走っていたのに?

40kmから先、神様の最後の試練として別次元のキツさがやってきたのです。私のApple Watchは、長時間でのランニングにバッテリーがもたず使い物にならなくなってしまい、1Kmを何分で走っているかもわからない。

恐らく1km8分30分ほどにスピードが落ちているだろう。スニーカーランナーが、私の隣を「頑張って!」をエールを送りながら何人も通り過ぎていく。

足は、全く上がらない。かといって姿勢が丸くなるとみぞおちが落ちてさらに進まず、転びそうになりリカバリーに必死になった。

スニーカーランナーの方々も、このあたりにくると足を引きずりながら走る人、早歩きのように走る人、とにかく前屈みになりながら一歩一歩、足をずるように走る人が増えてきました。とにかく、みんなキツそうでしんどそう・・・。

ippon bladeで走っていなかったら、わたしも同じようになっていたかもしれない。しかし、ippon bladeは足を引きずって走ることも、前屈みで走ることも物理的に不可能な為、足が上がらなくとも、姿勢は最後まで崩すことは出来なかった。

ippon bladeランニングは、どのような状況だとしても一瞬の隙も許さない。

私は50kmを6時間以内で走ることを目標にしていましたが、完走することのみに目標を設定し直し、気持ちを切り替えていきました。

とりあえず、歩くように走ってもいい。ここまででも十分だ。日没の17時37分までにゴールしよう。

ランナーの身体を焦がすだけ焦がした炎のように熱かった太陽が瀬戸内海に何事もなかったかのように大人しく沈み始めました。今、何時なんだ?私は、今、どのぐらいのペースで走っているんだ?時間も確認できず、疲労は最骨頂に蓄積にどんどん遅れをとっているような気がする。

ヤシの木が沿道に植えられた美しい公園の景観も、インプットされた体感地図により、「まだ私はここまでしか走れていない。」そんな風に数えるようになっていてうんざりしてきた。家族連れは、もう帰り支度をしている。もうやめたい。そんな気持ちがやってきて、その気持ちに気づくとさらに足が重たくなった。

そしてさらにここから試練がやってきたのだ。

第4話 最終章に続く。


最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。私をリアルで知る方は、分かりやすくするために少し時系列を割愛した部分もありますがご了承ください。

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