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暮らしに「よ は く」があると、幸福度と仕事の生産性は上がるのか #中間報告書

◆私の実験の概要

概要は以前作成した研究報告書にて紹介させていただきたく、本記事では割愛いたします。

◆私にとってよはくとは~中間報告時点での気づき

暮らしによはくがあるということは、いったいどういうことでしょう。

丁寧な暮らしができる。
スローライフを満喫できる。
睡眠時間がたっぷりとれる。
ネットフリックスのドラマを一気見しても罪悪感がない。

人によって、暮らしによはくがあることが具体的にどんなことか、違うはずですよね。

私にとっていったい暮らしのよはくとはなんだろうと考えたとき、まずは「時間を確保すること」が暮らしによはくを生み出すものだと思いました。

そのためには、まずは仕事のボリュームをセーブすることから実践。大口の取引・固定で安定した収入・定期的なスケジュール。この三点を重視して、収入を担保する仕事はキープしました。

単発依頼は控えるようになり、その結果収入は少し下がりましたが、その分いやそれ以上に得られた時間はあったと確信しています。

その時間はどのようなものにあてたかというと、今年になってから始めたアート活動やベランダ栽培、えほんづくりへの挑戦に。

しかし、結局よはくがうまれても、別のことに時間を費やすことに気づきました。ただ、そこで得られる精神的な充足感は以前のものとは異なり、これは現在取り組んでいる幸福学の「幸福度」にかかわるものではないかと思いました。

よはくから生まれた新しい時間を大切にしていこう。そうして、また新しいよはくがうまれて、新しい時間が生まれて。そうやって、新しい私、新しい働き方というものが作られていくのかもしれないと、漠然と感じている今日この頃。

よはくがあることが幸せというのではなく、よはくを通じてどのように生活を、人生をクリエイトしていくのかが、よはくと幸福の関係性を考える重要なポイントだと考えました。

しかし、研究活動は一筋縄にはいきません。よはくを求める私に、想定外の出来事が。

◆コミュニティマネージャー・運営サポートとしての時間でよはくどころじゃなくなる~中間振り返り

8月の下旬になってから、生活が一変しました。そのときから、研究員のイベントなどに時間をあてるようになり、先述したえほんづくりなどの活動がストップしてしまいました。

褒めフェス。HOME BAR。9月定例会。

どれも楽しくて、クリエイティブで、私の時間もといよはくがどんどんそれで埋め尽くされていきました。

そして、気づけば9月定例のプロデューサーとなり、夜中の3時まで起きていて作業をすることも。

※↓↓スクロールすると画像がでてきます。閲覧注意※

正直、「よはくなんてあったもんじゃねえ」と内心シャウトです。

でも、けれども、その日々は掘り出されたばかりのダイアモンドのように、凸凹で、汚れがあって、だけれどもその確かな輝きは存在していて、手にしたときの自分は感動と喜びに満ちていて。何物にも代えられない、価値のあるものでした。

大好きな仲間たちとひとつひとつ創り上げていく喜び、ゴールに向かっていく確かな歩み、違いが尊敬と感謝の心をもって生まれていくクリエイティブで満たされていく。そんな日々を積み重ねていると「今はよはくがなくても大丈夫かな」と思えるように。

9月定例のOPで魔法使いの声を担当。とにかく恥ずかしい

当時は筋骨隆々な魔法使いを彷彿させるこのイラスト(モデルはどうやらわたし)に恥ずかしさを感じていましたが、だいぶ今となっては免疫がつきました。頭がおかしくなってしまったと思わずにはいられませんが、とても素敵な経験ができたと思い込むようにしています。

◆まとめ

いったい、私にとって暮らしのよはくとはいったいなんでしょう。よはくを求めていたはずなのに、いつの間にかよはくに意図せぬものが挟まりこんできた感じで。

でも、それが不快でも不幸でもなく、むしろ幸福に近いものであって。よはくがあることを幸福と思っていた自分からしたら、不思議な感覚です。

ですが、今はだいぶ感覚が正常になってきた気がするので、もっと暮らしのよはくについて研究していきたいと思います。

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