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弱さ と 美しさ
美しい人はどんな人だろう。
端正な顔立ち
姿勢がシュッとしている
魅惑的なプロポーション
丁寧な物腰
感情的でなく知的
慈しみに溢れたあり方
外見、内面ともに「美しさ」を表す要素はたくさんある。
様々あるなかで、私は「弱さ」もまた美しさたらしめるのではないかと思う。
弱さ。
負け犬や敗者、自信のなさなど、ネガティブなものとして受け止められる。
弱さは克服し、対極にある強さへ向かうことを良しとする人も少なくない、いや、それが大衆的な考えかもしれない。
なぜ、その弱さが美しさを引き出すのか。
弱さもまた分解すればたくさんの部品で組成されていると気づくが、私の視界でひと際輝きを放ち、導かれるように指先でつまみ上げるのは「畏れ」だ。
畏れ。
恐怖や心配、懸念。
ある事象や物体に対し「自分はそれを超越することができない」と憂うこと。
それは、ある意味、謙虚さを表しているのではないか。
謙虚の対を傲慢とするならば、傲慢の人は美しいといえるか。
もちろん、容姿端麗な美人と称される人は、美しい人と単語を送ることができるかもしれないが、私が思う美しい人とは少し違う気がする。
畏れは、自分よりも大きな力、存在を認めていること。
世の中には畏れが働くものが蔓延っており、そこで生き延びていられることは、自分は何かに守られていることにもつながる。
加護を、恩恵を受けて生きていることを自覚すると、感謝が芽生える。
「ありがとう」
この言葉と、生み出される心の在り方は「美しい」と素直に思う。
謙虚や感謝は「美徳」であると、至言として人類史語り継がれるほどだ。
だから私は、その謙虚や感謝をもたらす畏れ、遡って「弱さ」が美しさをもたらすと考える。
でも、ここまで綴っておいて言うのも烏滸がましいが、ただ弱ければ美しい、という短絡的なものでもないような気がする。
ところで「美しい」とはなんだろう。
なぜ美しいものに心惹かれるのだろうか。
なぜ人は美しさに憧れるのだろうか。
景色を見て涙を流すとき、「美しい」と言葉を漏らすことがある。
なぜそれを「美しい」と呼ぶのだろう。
それを「美しい」と知っているのだろうか。
だとしたら、いつそれを学んだのか。
恐ろしい問いだが、私は美しい人間なのか、そうではないのか。
憧れているのに、心奪われるのに、正体がわかっていない。
「美しい」っていったいなんだろう。