サイモン・イェーツを探して、ケベックから宇都宮へ至る巡礼の旅
私の旅の話をしよう。初めて訪ねたカナダ、そして年一回の頻度で訪れている宇都宮。憧れ続けたその人に出会って、束の間の交流を持つまでの、少し長い話だ。
PART1 憧れの君
「好きな選手は誰ですか?」
ロードレース観戦にまつわる会話やアンケートで時折出くわす問いである。レース観戦に費やす時間が増えるにつれて好きな選手は増える一方だが、観戦を始めて間もない頃から、ずっと追いかけている選手がいる。
彼の名前はサイモン・イェーツ。2016年ブエルタ・ア・エスパーニャ第6ステージの中継を見て、その走りに魅了された。飛ぶように山を駆ける姿に恋をした。
2018年、人生初のロードレース現地観戦をしたオーストリア・インスブルック世界選手権。柵のすぐ向こう、イギリス代表ジャージで走るサイモンを目の当たりにし、感激した。しかし、残念ながら彼に会うことは叶わなかった。
その後、年一回のペースでヨーロッパにレース観戦に行くも、サイモンには会えないままだった。何故かというと、私が行ったレースにサイモンが出場していなかったのである。2022年イル・ロンバルディアは暫定リストに名前があり、楽しみにしていたのだが、直前で欠場が決まった。ベルガモのチームバスエリアからスタートへ向かう道の上、サイモンのチームメイトたちに囲まれながら、ここに彼がいれば、と思わずにはいられなかった。
PART2 喜びと悲しみのケベック・シティ
9月11日~12日:モントリオールからケベック・シティへ
時は流れて2024年。年一回の海外ロードレース観戦旅行について、旅の道連れであるイギータグチと相談し、行き先をカナダに決めた。観戦レースはカナダ二連戦ことグランプリ・シクリスト・ド・ケベックとモンレアルだ。
本当はスイス・チューリヒで開催されるロード世界選手権に行きたかったのだが、吹き荒れる円安の嵐の中、欧州随一の物価高を誇る国を訪問するのは辛い。カナダドルも円よりは強いが、そもそもの物価がそこまで高くない国だ。それに、未訪の地であるアメリカ大陸に行ってみたい気持ちもあった。
カナダ行きを決めた後でレースのスタートリストを確認すると、そこにはサイモンの名前があった。今度こそ彼に会えるかもしれない、と胸が躍った。だが二年前のロンバルディアの例もある、期待値を高め過ぎると後が辛い。
こういう時に性格が出ると思う。私は能天気だが打たれ弱く、落ち込みやすい。だから、不確実なことを考える時には最善と最悪を定義して、想定外の範囲をできるだけ小さくする。現実は大体その間のどこかに着地するから、最善に近ければ喜べばいいし、最悪に近くても織り込み済みだと受け止めることができる。
今回のケースだと、最善はサイモンがカナダ二連戦に出場して、六年ぶりに走る姿を直接見ることができる。最悪は、サイモンがカナダ二連戦のメンバーから外れる。大丈夫、サイモンがいなくてもレース観戦は楽しめるはずだ。
出発当日の朝に荷造りを終え、モントリオールへの直行便が飛ぶ成田空港に向かう。モントリオールのあるケベック州はフランス植民地として発展してきた歴史を持ち、公用語はフランス語だ。モントリオール便の機内アナウンスも、最初に流れるのは英語ではなくフランス語である。
モントリオールに到着すると、空港の案内からバスの電光掲示板まで全てフランス語だった。考えてみれば「グランプリ・シクリスト・ド・ケベック」というレース名もフランス語だ。フランス語は学生時代に第二外国語として学び、渡航直前にDuolingoを少しやっただけというお粗末な状態だったが、街で見かける単語の意味は大体理解できた。それに英語が問題なく通じるので、滞在中に言語で不便を感じることはなかった。
グランプリ・シクリスト・ド・ケベックとモンレアルは、金曜日にケベック・シティで、土曜日を挟んで日曜日にモントリオールでそれぞれワンデーレースを行うというレース構成である。水曜日の夜にモントリオールに到着した我々はモントリオールで一泊し、木曜日にケベック・シティに移動することにしていた。
モントリオール~ケベック・シティ間の移動は鉄道。イギータグチが筋金入りの鉄道オタクのため、我々の観戦旅行においては電車移動が採用されることが多い。約三時間半の車窓の旅だ。
ケベック・シティは「北米のパリ」と呼ばれる城郭都市。パレ駅に到着したのは木曜の夕方で、移動の疲れもあってか観光をする気は起きなかった。それに明日は待ちに待ったレース観戦だ。体力を回復すべく、近場の商店で食材を買い込み、ダウンタウンの宿でのんびりと過ごす。
閑話休題:イギータグチと私
ところで、旅の道連れであるイギータグチとは、旅行中ずっと話をしている(話をしない時は、どちらかが寝ている)。内容は自転車に関することから仕事の話まで多岐に渡り、最近のレースについて熱く語り合うこともあれば、世界の面白い地名を探すなど小学生が嗜むような遊びが始まることもある(最近のヒットはスロバキア・トレンチーン)。
この日の話題は彼の専門である著作権、生成AI、そして写真。カメラの王様ライカを操り、週末は大学で写真について学ぶイギータグチはすっかり写真家の風情である。「アヤさんもライカを買いましょうよ」とスーパーで明日の朝に食べるヨーグルトを選ぶ時のような気軽さで言われたが、値段を調べて目の玉が飛び出そうになった。
夜が更けてイギータグチがビールを飲み始めると、口の回転数と会話の解像度がだんだんと下がってくる。それがお開きの合図だ。
寝る前にグランプリ・シクリスト・ド・ケベックのスタートリストを確認すると、そこには変わらずサイモンの名前があった。明日、サイモンに会えるかもしれない。ぬか喜びにならないように、と押さえつけていた気持ちが、蝶々のようにふわふわと胸の奥を飛び回り始める。目を閉じて枕に顔を埋めると、瞼の裏に金色の光が散った。
9月13日:サイモンとの邂逅
レース当日は晴れ。九月のカナダは夏の気配を色濃く残していて、気温は20℃後半まで上がる予報だ。とはいえ朝の空気は冷たく、上着を着込んで出発する。レースの会場である市街中心地に行くには、長い坂道を上らなければならない。ケベック・シティは丘の街なのだ。
小一時間ほど歩いただろうか。太陽がしっかりと登り、じんわりと汗ばむ頃に目的地に到着した。ここはスタート地点の手前にあるチーム関係者たちの滞在ホテル。ホテルを出発するタイミングで選手たちに会おうという作戦である。ホテルがレーススポンサーだからなのか、滞在ホテルは公式webでスケジュール付きで公開されており、訪問ウェルカムの趣きだ。
ホテル裏手の青空駐車場にはチームカーがずらりと並んでいる。バイクの整備はホテルの地下駐車場で行っているようで、ホイールを持ったスタッフがチームカーとホテルの地下駐車場の間を忙しく往復していた。ということは、選手はバイクに乗って地下駐車場から出てくる可能性が高いということだ。
駐車場の出入口付近には、既に十名弱のファンが待機していた。イギータグチと一緒に、何食わぬ顔をして彼らの横に並ぶ。
ベルギーやイタリアでのチームバスエリアの混雑具合や熱気に比べると、カナダのホテルはファンの数も少なく穏やかな風情だ。手際よく準備を進めるスタッフたちの働きぶりを眺めていると、いよいよレースが始まるのだ、という気持ちが高まってくる。
しばらく待っていると、選手たちが姿を見せ始めた。レース前の顔見せであるチームプレゼンテーションに向かうのだろう、地下駐車場からバイクに乗った選手たちがチームごとにまとまって出発していく。ファンたちは拍手をして、もしくはスマートフォンのレンズを向けて選手を見送る。立ち止まってファンからのサインのリクエストに応じる選手もいるが、あまり時間がないのか皆さっさと行ってしまう。サインやツーショット写真をお願いするのはレースが終わってからの方が良さそうだ。このレースにはタデイ・ポガチャルやジュリアン・アラフィリップをはじめ、たくさんのスター選手が出場する。一番のお目当てはサイモンだが、彼以外にも会いたい選手はたくさんいるのだ。
サイモンが所属するジェイコ・アルウラーの選手たちはまだ出てこない。サイモンが来たら、日本から持参した折り畳み応援フラッグを広げて、サイモンに見てもらうのだ。色とりどりのジャージをまとった選手たちが次々と暗い地下駐車場から現れては走り去っていく。勢いあまって何度か違う選手に応援フラッグを広げそうになった後で、ついにその時が訪れた。サイモンが出てきたのだ。
サイモンはチームメイトと話しながら現れた。すかさず応援フラッグを広げて「サイモン!」と呼びかける。自慢ではないが、私の声は大きくてよく通ると評判である。はたして声はサイモンに届き、こちらに顔を向けてくれた。すかさず広げた応援フラッグを見せると、サイモンは頷きながら手を振ってくれた。自分のファンがいる、と認識してくれたのだ。
一瞬とはいえ、ついに憧れのサイモンに会うことができた私は大喜びだった。ホテルからスタート地点に移動した後も応援フラッグを広げ、それを大会フォトグラファーに撮影してもらい、さらにイェーツ兄弟トークにつき合ってもらったりした。ご機嫌である。
レースのスタートを見送った後は、ケベック・シティ市街に敷かれた周回コースを徒歩で移動しながら観戦することにした。観光気分で観戦も楽しめるのが市街地レースの良いところである。
9月13日:レースとランチ
レースは12.6kmの周回コースを16周する201.6kmで争われる。昼前にスタートし、フィニッシュ想定時刻は夕方。厳しい登りがないコースなので、序盤に少人数の逃げが形成されて集団が追いかける、というお約束の展開になった。こうなると終盤までレースは動かないだろう。我々はすっかり観光モードになった。
スタート地点から向かったのは戦場公園だ。「シタデル(砦)」と呼ばれる星の形をしたケベック要塞を取り囲むように広がる公園を散策していると、街のアイコンであるセントローレンス川とシャトーフロントナック・ホテルを一望できる高台に到着した。川沿いの広場に降りて少し歩くと、そこは世界遺産の旧市街アッパータウンだ。フランス風のかわいらしい街並みの中を選手たちが駆け抜けていく様は、海外レースならではの光景である。
私には密かな野望があった。アッパータウンにあるオーセンティックなケベック料理が楽しめるレストランに行ってみたかったのである。お店の名前はAux Anciens Canadiensといい、フランス政権時代の邸宅を使った由緒正しいレストランだ。コース沿いに現れた赤い屋根のかわいい建物の前でイギータグチに「レース中ですけど、ここでランチにしませんか?」と提案すると、快諾してくれた。
レストランの店内は天井が低く、歴史を感じさせる作りだった。昼食時の店内は賑わっており、我々と同じくロードレース観戦のためにこの地を訪れたと思われる観光客の姿もあった。案内された奥のテーブルからは窓が遠く、さらに窓自体も小さいので、レースの詳細を確認することはできない。割り切って食事を楽しむことにした。
私が注文した「Grandma's treat(おばあちゃんのご馳走)」はケベック風ミートパイ、ミートボールにベイクドビーンズが盛り付けられたボリュームたっぷりの一皿。飾らない味を口いっぱいに頬張って楽しむ。我々のテーブルを担当してくれた男性スタッフがとても気持ちのいい方で、嬉しくなった私はデザートまでしっかり堪能した。
時間をかけて昼食を楽しんだ後はレース観戦に戻る。ケベック・シティはどこを切り取っても絵になる街だ。ライカを持ってきたイギータグチは楽しげにシャッターを切っていた。私も自分なりに切り取っておきたい景色を探しては、カメラを構える。
写真を撮りながら街歩きを楽しんでいると、レースは終盤に突入していた。おそらく勝負はスプリントで決まるだろう。フィニッシュ地点に向かって移動を始める。
9月13日:喜んで尻もちをつき、また喜ぶ
勝つのはドゥリーかギルマイか、スプリントになれば流石にポガチャルは分が悪そうだ。レースが終わったらもう一度ホテルに行って、今度はサイモンに写真とサインをお願いしてみようか。あの応援フラッグにサインが貰えたら嬉しい。そういえばフラッグはどこにしまったかな……と思い、肩から下げていたサコッシュに手をやると、応援フラッグがない。背負っていたリュックを探してみるが、やはりない。
首の後ろが冷たくなる。どこかで落としてしまったのだろうか。
イギータグチに事情を話し、応援フラッグを探すことにした。折りたたむと大きめのサインペンくらい小さく細長くなるフラッグである。歩いてきた道を逆に辿りながら、地面を凝視する。レストランで昼食を食べた時には持っていたと思うが、自信がない。フィニッシュ付近の未舗装路にそれらしいものが転がっていて駆け寄ったが、誰かが捨てたストローだった。
道路脇の観客が歓声を上げる。レースが終わったようだ。勝ったのはマシューズらしい。だが、大事なフラッグをなくしてしまった私は、レースどころではなかった。
きっとレースのフィニッシュを観たかったろうに、イギータグチはそんな素振りを全く見せなかった。「きっと見つかりますよ」と言って、一緒にフラッグを探してくれた。もしかしたら昼食を食べたレストランで落としたのかもしれない。レストランまで戻り、スタッフさんに事情を話して、座っていたテーブルの辺りとお手洗いの中を探させてもらう。ない。ここまで来たので、戦場公園を回ってスタート地点まで戻ってみることにした。
夕日に照らされる公園の芝生を歩きながら、この広い街で小さなフラッグを見つけるのは無理だと悟った。イギータグチが撮影した写真で確認してくれた、フラッグを確実に持っていた地点まで戻って、捜索を断念した。ここまで一緒に来てくれたイギータグチにお礼を言う。私のせいで同じルートを二回も歩くことになったのに、イギータグチは嫌な顔一つせず「ではホテルに行きましょうか。きっとサイモンさんに会えますよ」と優しい言葉をかけてくれた。
イギータグチの気遣いは嬉しかったが、応援フラッグがなければサイモンは気付いてくれないかもしれない。落としものなんて滅多にしないのに、よりによってこのタイミングで……朝はあんなに浮かれて膨らんでいた気持ちが、すっかりしぼんでしまった。思いがけず長い距離を歩いたせいで重くなった脚を引きずって、とぼとぼとホテルに向かう。
朝に比べると、ホテルの駐車場で待つファンの数は少なかった。選手が一人、また一人と戻ってくる。レッドブル・ボーラの選手が帰ってきたと思ったらヒンドレーだった。我々の横にいた子どもにボトルをあげていて、彼らしいなと思った。
サイモンはもう戻ってきただろうか。「チームメイトのマシューズが勝ったし、まだじゃないですかね」とイギータグチが言う。戻ってきたら声をかけたいところだが、応援フラッグがないのが辛い。私はいじけていたのだと思う。欝々とした気持ちを抱えながら、それでも諦めきれずに帰ってくる選手を逐一確認していると、ジェイコ・アルウラーの選手が二人やってきた。サイモンだ。
「サイモン!」と叫ぶ。控えめに手を振ってくれたサイモンを見て、私は思わず駆け出した。
「サイモン待って! 一緒に写真を撮って下さい、お願いします!」
半ば叫びながら駆け寄ると、サイモンは立ち止まってくれた。声に無反応で通り過ぎる選手も多い中、わざわざ手を振ってくれたサイモンなら止まってくれるのでは……という打算を働かせての行動だった。自分の小賢しさが嫌になるが、この機を逃したらもう会えないかもしれないのだ。私は必死だった。
「日本から来ました、あなたのファンです」
「日本から? 僕は来月ジャパンカップに行く予定だよ」
予想外の言葉が返ってきた。なんということだ。まさかのサイモン来日のニュースを本人から聞き、嬉しいやら突然すぎるやらで動揺した私は、やっとのことで言葉を絞り出す。この時のために用意してきたはずの練りに練った英文は、どこかに吹き飛んでしまっていた。
「なんですって、本当ですか? それは嬉しいニュースです。来月、日本で会えるのを楽しみにしています。その前に、日曜日のモントリオールで良いレースができることを願っています」
丁重に自分の気持ちを伝えたつもりだったが、実際の言葉は途切れ途切れで、緊張し過ぎて白目を剝いていたので、非常に気味の悪い感じになっていたはずだ。
サイモンは自分のファンだと名乗るアジア人の女の珍妙な様子に少し笑いながら、拙い英語をうんうんと最後まで聞き、ありがとう、と言って爽やかに去っていった。
インタビューなどで見るサイモンはメディアシャイというか、サービス精神旺盛なタイプには見えなかったので、もっと素っ気なく対応されると思っていた。こんな穏やかであたたかい態度は、良い意味で予想外だった。
「サイモン、優しかったです……」
感極まりながらイギータグチに伝えると「急に走っていくからびっくりしましたよ!」と返された。泣き出しそうな顔で落ち込んでいた人間が、別人のように力強く選手に向かって走っていったのだから、さぞ驚いただろう。自分だってびっくりだ。そんな状況で私とサイモンとの写真を撮ってくれて、イギータグチ様々である。
「良かったですね。朝もサイモンサイモンって言ってたの、アヤさんだけでしたよ。絶対アヤさんのこと覚えてたでしょ」
イギータグチの言葉を聞いて、なんだか拍子抜けしてしまった。なんだ。あれだけこだわっていた応援フラッグがなくても、サイモンは私のことをわかってくれていたということか。
滞在先に戻り、SNSに今日の顛末を投稿すると、複数の日本の友人から反応があった。応援フラッグをなくしてしまった私を慰める優しい言葉を送ってくれる人もいた。サイモンも、イギータグチも、日本にいる友人たちも、それぞれの大切な時間を私のために使ってくれたのだ。ありがとう、という気持ちが溢れて、頬をあたたかく濡らした。
PART3 満腹モントリオール
9月14日:ケベック・シティからモントリオールへ
グランプリ・シクリスト・ド・ケベック翌日。朝寝を楽しんで、遅い朝食を食べて出発する。この日は土曜日、カナダレース二連戦の中日である。長距離列車に乗って、モントリオールに戻る日だ。
行きと同じく、約三時間半の車窓の旅である。古き良き街並みのケベック・シティに比べると、ビルと車が多いモントリオールは都会だ。日本の都市で例えると、ケベック・シティが京都で、モントリオールが東京といったところだろうか。
日曜日のグランプリ・シクリスト・ド・モンレアルの舞台となるモン・ロワイヤル公園があるのはモントリオール市内中心部。「王の山(Mont Royal)」と名付けられた標高233mの丘は、モントリオールの街の名の由来でもある。
滞在先からは歩いて半時間ほどの距離だ。散歩と明日の下見を兼ねて、行ってみることにした。
小高い丘と、その周りを取り囲む豊かな森を街の中心に抱くモントリオール。モン・ロワイヤル公園からの展望を守るために、市街地の高層ビルには高さ制限があるそうだ。このうつくしい場所をレースが走るのかと思うと、気持ちが華やいでくる。
スタート・フィニッシュ地点の周辺を歩いて、物販の場所や観戦ポイントへのアクセスを確認すると、もう日没の時間だった。滞在先に戻り、スーパーで買った夕食を食べながら、翌日の出発時間を確認する。明日は今回の滞在で一番の早起きをしなければならない。
9月15日:名アシストになりたくて
この日も快晴。気温は28℃まで上がる予報だ。夏日である。
朝食会場のテレビが、エアカナダのストライキが直前で回避されたと伝えている。我々、そしてカナダに来ている選手やスタッフの帰国便が無事に飛ぶという良いニュースだ。直前までスト決行の可能性が高いと言われていたので、念のためアメリカ経由便を渡航直前に押さえていたが、直行便が飛ぶなら当然そちらの方がいい。アメリカ経由便は乗り継ぎ時間がわずか45分というスリリングなものだったので、なおさらだ。
モントリオールでの選手たちの滞在ホテルも、やはり公式webで明かされていた。場所は前日に確認済で、我々の滞在先からレース会場であるモン・ロワイヤル公園に向かう途中にある。
モントリオールの緯度は北海道の稚内とほぼ同じで、朝の気温は低い。Tシャツの上に薄手の上着を羽織って選手たちが滞在しているホテルに向かう。登山用のシェルジャケットは旅行に必ず持参するお守りのひとつだ。小さく畳んで持ち歩けるし、いざという時には冷えに加えて雨と風もシャットアウトできる。
ケベック・シティでサイモンに会えて満たされていた私は、モントリオールではイギータグチのアシストをすると決めていた。ささやかな恩返しのつもりである。イギータグチのお目当てはマイケル・ウッズとビニヤム・ギルマイ。ケベック・シティに比べるとファンの数は多かったが、早めに来たおかげか、無事にイギータグチの希望を叶えることができた。
時間がないのか、選手たちはケベック・シティの時よりも急いで出発していく。サイモンは律儀に手を振ってくれたが、ポガチャルもアラフィリップもファンの声援に応えることなく行ってしまった。
ホテルに集まっていたファンたちが残念な空気を共有する中、マリアローザ(ジロ・デ・イタリアのリーダージャージで、今年はポガチャルが勝ち取った)を持っていた少年がポガチャルを追いかけて駆けだした。少年はかなりの距離を走ったところで見事ポガチャルを引き留めて、マリアローザにサインをもらっていた。自分もケベック・シティではサイモンを追いかけて走ったことを思い出す。憧れの選手がそこにいたら、思わず脚が動いてしまうものなのだ。少年に対する親近感がこみ上げてくる。自分は少年ではなく中年なのだが、憧れやときめきに年齢は関係ない……ということにしておく。
9月15日:レースとハイキング
ホテルからモン・ロワイヤル公園に移動し、スタートを見物してからKOM(レースの最高到達点)に向かって歩き出す。グランプリ・シクリスト・ド・モンレアルは、12.3kmのモン・ロワイヤル公園周回コースを17周する獲得標高差4,573mという山のレースだから、やはり登りで観戦したいのである。
公園入口から最短距離でKOMに向かう道は未舗装路で、ちょっとしたハイキングの様相だ。上着を脱いで、息を弾ませながら豊かな緑の道を登っていく。
KOMに到着し、早速レース観戦を開始する。定石通り逃げは決まったものの、序盤からポガチャル擁するUAEチームエミレーツが集団先頭でレースをコントロールする展開。ということは、ここからずっとポガチャル砲発射カウントダウンか……と少し残念な気持ちになる。プロ選手の本気の走りをすぐ近くで見られる興奮と喜びは何物にも代えがたいのだが、せっかくなら最後まで誰が勝つかわからないレースが見たかった。
しばらくKOMで過ごした後、そこから少し下ったところにある斜度のきつい区間に腰を落ち着けることにした。すると、横で観戦していた地元の男性に話しかけられた。レースの状況について情報交換をした後「日本からこのレースを観に来たの? Crazyだ!」と言われた。確かにそうかもしれない、と思う。
彼曰く、このレースは地元サイクリストにとって大切なレースで、皆で盛り上げているそうだ。ウッズやジーなど地元選手はヒーローなので勝ってほしいが、強い選手が揃っているのでそれは難しいだろう。このコースは見た目以上に登りがきつく、路面状況が良くないので、下りはとても神経を使う。実際に走ってみるとわかるが、とても難易度の高いレースなのだ、と誇らしげに教えてくれた。
「再来年のロード世界選手権はここがコースになるんだ。知ってる?」
「もちろん!」
「そうか、じゃあまた二年後に会おう」
地元ファンと別れ、レースのフィニッシュを見届けてから、丘を下る。表彰式は雰囲気だけ楽しんで、お目当ての店に向かうことにした。今日はモントリオール名物スモークミートを食べると決めていたのだ。地元の人に愛される老舗がモン・ロワイアル公園から歩いて行ける場所にあることは調査済みである。イギータグチとレースの感想を話しながら、傾きつつある日差しの中を歩いていく。
昼食には遅く夕食には早い中途半端な時間だったが、店は混雑していた。しばらく列に並んで、スモークミートのサンドイッチを購入する。
温かいサンドイッチを抱えて滞在先に戻る途中、ギルマイのTシャツを着たエリトリア応援団を見かけた。選手たちのホテルに寄ってみると、随分と賑わっている。既にお目当ての選手とは全員会っていた我々は、今日は選手たちを待たずに帰ることに決めた。スモークミートを早く食べたい、という気持ちに抗えなかったのかもしれない。イギータグチも冷蔵庫にあるビールのことを考えているようだった。
9月16日:ベーグルを求めて
レース観戦旅行中に観光デーを設けるのが我々の流儀だ。そして今日がその日である。のんびりとした気分でモントリオール観光に出発した。
今日のお楽しみは、カナダに来てから毎日食べているベーグルの食べ歩きである。モントリオールのベーグルは特別なのだ。
日本で多く流通しているベーグルは大きくてもちもちしたニューヨーク式だが、モントリオール式は少し細身で穴が大きく、サクサク、ふわふわした食感が特徴だ。ニューヨーク式との違いは、塩を使わず卵を使って生地を作ることと、焼く前に茹でるお湯にはちみつが入っていること。薪オーブンで焼き上げる生地はほんのりと甘く、永遠に食べていたくなる美味しさだ。
そんなモントリオールベーグルの二大有名店が徒歩圏内に本店を構えていると知って、バスに乗って向かう。昨日レースを観たモン・ロワイヤル公園の少し先でバスを降りると、落ち着いた住宅街が広がっていた。学校があり、学生らしき若い人たちが歩いている。そういえばモン・ロワイアル公園の近くにモントリオール大学があったことを思い出す。世界のどこでも、学生の街には明るい空気が流れている。
焼き立てのベーグルを買って外に出たら、お店の前のベンチに座ってかぶりつく。サックリとした歯ごたえ、鼻に抜ける香ばしさ。噛み締めるとふんわりともっちりの間の食感の奥からやさしい甘みが溢れ出してくる。何もつけなくても、とても美味しい。食べ比べてみると、Fairmount Bagelは甘みがやや強く、St-Viateur Bagelは小麦と薪の香りがする。両方とも好みだった。
どちらのお店も年中無休、24時間営業。つまり、モントリオールの人たちはいつでも焼き立てベーグルを食べることができるのだ。例えば、早起きした冬の朝や疲労困憊で仕事を終えた夜。この活気のあるお店に立ち寄って、温かいベーグルを食べることができたなら、きっとたちまち元気が湧いてくるに違いない。それだけでこの街で生きていけそうな気がした。
鼻の穴をふくらませながらゴマまみれのベーグルふたつを立て続けに平らげ、もうひとつ追加で買うべきかを真剣に悩む私の横で、小食のイギータグチは時間をかけて丸いベーグルの半分をかじって、半分は食べきれずに残していた。
食べることに対する情熱と胃袋の強靭さがまるで違うにも関わらず、イギータグチは食べ歩きに付き合ってくれる。少し申し訳なく思うが、ひとりで食べるよりもふたりで感想を共有しながら食べる方が楽しいので、私としてはとてもありがたい。
イギータグチとの旅行では行きたい場所を事前に調べてお互いに共有するものの、きちんとしたスケジュールは組まず、行先と時間を当日に決めることが多い。私は貧乏性で、普段はせっかく行くのだからとつい予定を詰め込んで分刻みのスケジュールを組んでしまいがちなのだが、海外レース観戦旅行の観光デーだけはゆったり過ごすことを大事にしている。こういう余白の多い旅を一緒に楽しめる相手は貴重だ。私は彼のことを大事にしなければならない。だから時々は、一体どの辺りが笑いどころなのかわからないギャグにも真面目に反応しなければ、と思う。
9月17日:モントリオールから日本へ
どんなに楽しい旅でも、最終日になるとほっとする。やはり旅行先では緊張が続くので、その緊張から解放されると思うと心が軽くなる。きっと旅という非日常をきちんと終わらせて、日常に戻れることが嬉しいのだと思う。
直前までストライキで飛ばない可能性があったためか、帰国便にはほとんど乗客がいなかった。おかげで、かつてなく快適な空の旅を満喫した。イギータグチは三人席をフルに使い、横になって爆睡していた。
解放感のある機内で寝て、食事をして、コーヒーを飲んで、事前にタブレットにダウンロードしておいた映画を見る。これを二回繰り返したら、成田空港に到着だ。飛行機から降りると、湿気を含んだ熱い空気に包まれる。日本に帰ってきたことを肌で感じる瞬間だ。
スマートフォンを開くと、ジャパンカップの出場メンバーが発表されていた。そこにはサイモンの名前があった。
PART4 芸大祭じゃなくても
犬が星を守る
サイモンがジャパンカップにやってくる。もう一度会うチャンスがある。その事実に私は浮足立っていた。ふわふわとした気持ちのまま、とりあえずケベック・シティでなくした応援フラッグを再度発注した。
帰国してすぐ、その応援フラッグをデザインしてくれた凄腕デザイナーにして友人のアロさんが「サイモンが来るならば何か応援グッズを作ろう」と提案してくれた。
アロさんは昨年に続きジャパンカップに向けてシルクスクリーンの工房を予約していた。去年彼女がデザインし手刷りした応援Tシャツを喜んでくれたスーダル・クイックステップが今年も出場するので、再び応援Tシャツを作るつもりだという。同じタイミングでサイモンの応援グッズも作成すればいい、と言ってくれた。
昨年のスーダルの選手たちの喜びぶりを思い出す。サイモンも応援グッズをプレゼントしたら、喜んでくれるかもしれない。それにセンスの塊のようなアロさんがアシストしてくれるのだから、きっと素敵なグッズが出来上がるだろう。私は俄然やる気になった。だがアロさんにデザインをお願いできるとはいえ、どんなイメージのものを作るのか、その原案は自分で考えなければならない。
せっかくなら、サイモンに喜んでもらいたい。
ならば、サイモンが好きなものにすればいいのだろうか。
サイモンの好きなものについて考える。実は、サイモンのプライベートに関する情報は非常に少ない。どのくらい少ないかというと、ロードレースの本場ヨーロッパのメディアやジャーナリストが彼の記事を書くのに困る程である(下記記事参照)。好きな飲み物はコーヒーに赤ワイン、スペインの天然発泡ミネラルウォーター。好きな食べ物はインド料理とイタリア料理。好きな色は青。このくらいの薄い情報しか出回っていないのだ。
他に何かないか。彼を六年間追いかけ、友人たちから「デジタルストーカー」と言われながら収集し続けた情報を思い返す。サイモンが嬉しそうに話すのは、彼の家族のことだ。双子の弟のアダム、そしてご両親。今一緒に住んでいるのはガールフレンドのマレーヴァさん、そしてミニチュアプードルのティッカちゃんだ(どちらも下に貼った動画に登場している)。そこでひらめいた。あのかわいらしいティッカちゃんをデザインに使わせてもらうのはどうだろうか。
サイモンは犬好きのようで、弟アダムの愛犬であるサモエドのゾーイちゃんのことも随分とかわいがっている。せっかくだから彼女にも登場してもらおう。イェーツ兄弟の愛犬をモチーフにした応援グッズ、というのは良いアイデアに思えた。早速ノートを広げて、イメージを描き起こしてみる。
ティッカちゃんとゾーイちゃんの写真を見ながら、一生懸命描いた。ついでに文字も配置してみた。しかし、出来上がった案は、お世辞にも洗練されているとは言えないものだった。
本当にこれでいいのか、自信がなくなってくる。とりあえずひとつの案として……と言う前置きをして、出来上がった妙ちくりんなイラストをアロさんに送ってみた。
すると「かわいい! これでいこうよ!」とアロさんから返事があった。程なく、一枚のイラストが送られてきた。
「きちんとしたデザインは後で起こしてみるけど、こんな感じでどうかな?」
アロさんが送ってくれたイラストを見た私は、何このキュートなイラスト! と目を剥いた。このあいくるしいイラストが応援グッズになるのか。こんなにかわいいなら、サイモンもきっと喜んでくれるに違いない。それに、もしサイモンが受け取ってくれなくても、私が欲しい。このラブリーなイラストを印刷したポーチとかバッグがあったら、毎日使いたいではないか。私は反射的にスマートフォンの画面にメッセージを打ち込んだ。
「是非これで! このイラストでお願いします!」
あの落書きをすぐに素晴らしいイラストに仕上げてしまうとは。アロさんの才能にはいつも驚かされる。私は絵を描く才能には恵まれなかったので、絵を描くことができる人を無条件に尊敬するが、彼女は特にすごいと思う。彼女の絵は緻密で、それでいてその緻密さを感じさせない気安さがあり、とてもチャーミングだ。まるで彼女の人柄そのものだ、と思う。
数日後、アロさんに作成したいアイテムをいくつか伝えると、その大きさに合わせたシルクスクリーン用の版のデザインを作ってくれることになった。あとは昨年と同じように、工房に籠って作業を進めるだけだ。
10月13日~14日:柳の下にどじょうは二匹いる
この時期、シルクスクリーン工房は予約で混雑する。何故かというと、芸術大学の学生が学園祭で販売するグッズを作成するためらしい。確かに、私たちが行った日も学生と思しきグループが大量のTシャツや巾着に印刷をしていた。
我々も負けてはいられない。そちらが芸大祭ならこちらはジャパンカップである。ウルフパック(スーダル・クイックステップの愛称)とサイモン応援グッズを、同時並行で作成するのだ。
今年は昨年の単色印刷から踏み込んで、多色刷りを行う。版をセットして、インクを落として、刷って、乾かして。版を洗って、また刷って、乾かして。アロさんの監督の元、二日間にわたって作業を進めていく。
頭と手を動かしながら道具を使い、取り返しのつかない怖さを抱えて黙々と成果物を作っていく感覚は、普段の生活ではあまり馴染みがないものだ。凝った料理を作る時の心持ちに少し似ているだろうか。
今年の作品も素晴らしい出来栄えである。手刷りゆえ、少しインクがはみ出したり、かすれたところもあるが、それはご愛敬だ。
ウルフパック応援Tシャツは、アロさんと相談して今年も来日予定のマスナダに連絡し、メンバー全員分を配ってもらう段取りを付けた。昨年は選手にTシャツをプレゼントする予定はなかったのだが、マスナダからTシャツのデザインが気に入ったから是非全員分欲しいと言われ、後日追加制作して彼の自宅に発送したという経緯がある。今年もきっと気に入ってもらえるはずなので、先手を打ったというわけだ。
なお、昨年のウルフパックの選手たちとの嬉しい驚きに満ちた顛末はアロさんが本にしているので、気になる方は是非お読みいただきたい。
ウルフパック応援Tシャツは確実に選手たちに渡すことができるが、サイモンの方はどうなるか全くわからなかった。彼の連絡先はわからないし、ジャパンカップで会える保証もない。一縷の望みをかけてSNSに応援グッズの写真をメンションを付きでアップしてはみたものの、全く気付いていないようだった。もともとオンラインでファンと交流するような人ではないので、仕方がない。
レースとホテル
サイモンのジャパンカップ出場を知ってから、どうか彼が落車をしませんように、体調を崩しませんように、と祈り続けてきた。誰に? 多分、ロードレースの神様に。そんな神様がいるのかはわからないが、私の心配をよそにサイモンは怪我なく元気にレースを走り続け、いよいよジャパンカップ開催週を迎えた。
私はジャパンカップを楽しみにしていたが、同時にその日が来ないでほしいとも思っていた。オンライン英会話のレッスンで、私のロードレース好きを知っているイギリス人の先生に、複雑な気持ちを吐露する。
ずっとファンだったサイモンにカナダでついに会えたこと。そして週末には日本にやってくること。彼に喜んでほしくて、愛犬をモチーフにした手作りの応援グッズを作ったこと。でも彼はシャイな人だから、騒がれるのが好きとは思えない。それに彼はとても強い選手で日本でも人気だから、近づけないかもしれない、会うこともできないかもしれない……
画面の向こうの先生は、私がカナダでサイモンに会えたことを大層喜んでくれた。
「サイモン・イェーツに会えて、本当に良かったね! 日本でも会えるといいね。彼はファンミーティングをやったりしないの?」
ファンミーティング! 思わず吹き出してしまった。サイモンがそんなものを開催するはずがない。
「サイモンはそういうことをやるタイプの選手ではないですね。自分がどう思われているかに、あまり興味がないみたいです」
「アスリートなどの有名人はプレゼントや手紙を受け付ける私書箱を持っていることがあるのだけど、調べたことはある?」
「ありませんが、多分ないと思います。自分の公式webページもあまり更新していないし、そういうファンとの接点はないんです。プレゼントを渡すとしたら、日本で滞在するホテル付近で待つくらいしか方法はないと思います」
ホテル。そうだ、またホテルに行くしかないのだ。
「実はカナダでも選手のホテルに行ったのですが、私はロードレースが好きで、走っている選手のことが好きなはずなのに、どうしてこんなところにいるんだろう? と疑問に感じる瞬間がありました」
言葉にして初めて、自分が感じていた違和感の正体に気づいた。純粋に競技が好きだった気持ちが、いつしかあわよくば選手に近づきたいというよこしまな気持ちに変わっているような気がして、釈然としないのだ。
私の浮かない顔を見て、先生は優しく諭すようにこう言った。
「プロのアスリートに憧れる気持ちは、誰にでもあるものだよ。イギリスでは自転車選手はあまり人気がないから誰も追いかけないけど、サッカー選手はすごくて、特に若いファンは奇声を上げながら追いかけ回していますよ」
プレミアリーグの観客の熱狂ぶりを思い出す。イギリスのサッカーファンの追っかけは、確かに激しそうだ。
「あなたがアスリートへのリスペクトのない、迷惑なことをやる人とは思えません。サイモンはきっとプレゼントを喜んでくれるはず。それに、カナダで会ったのはつい先月のことなんだから、あなたのことを覚えているんじゃないかな」
先生が言うには、遠くで活躍するアスリートが魅力的に見えるのは当然で、憧れの気持ちが執着にならなければ大丈夫、ということだった。その言葉が、私の中で噛み合わずに軋みをあげていた気持ちに油をさしてくれたように感じた。そうか、サイモンを応援する気持ちを、承認欲求という自分本位な怪物にならないように、まっすぐ大事にしていればいいのだ。そうすれば、自分のことを嫌いにならずに、ロードレースを好きでいられるだろう。
PART5 終着の地、宇都宮
10月18日:東京から宇都宮へ
とうとうジャパンカップが始まる。チームプレゼンテーションがある金曜日の朝、私はアロさんと宇都宮に向かう新幹線に乗り込んだ。
本当は愛車のブロンプトンと一緒に宇都宮に向かう予定だった。昨年と同じようにブロンプトンに乗って古賀志山の麓に行き、ロードレースの試走に来る選手たちを応援するつもりでいた。それなのに、天気予報は雨。泣く泣くブロンプトンは自宅に置いていくことにした。
新幹線に乗れば、宇都宮までは一時間もかからない。宇都宮で定宿にしているビジネルホテルで荷物を整理して、選手たちの滞在ホテルに向かう。
朝から断続的に弱い雨が降っているようで、路面は濡れていた。ホテルに到着すると、午前中ということもあってかファンの姿はまばらだった。その中に知っている方を見つけて、状況を教えてもらう。彼女が言うには、ほとんどのチームは昼からの本降り前に試走を終えるために、朝早い時間に出発したらしい。サイモンの所属するジェイコ・アルウラーの選手たちも行ってしまったが、サイモンだけはまだ出てきていないとのことだった。
サイモンはもしかしたら試走に行かないのかもしれない。以前日本に来た時も時差ぼけにひどく悩まされたと言っていたし、体調がすぐれないとしたらわざわざ雨の中を走る理由はない。そうだとしたら仕方がない、と思った。私が宇都宮でサイモンに会えるチャンスは、チームプレゼンテーションが始まるまでの短い時間しかなかった。でも悲しむことはない、ケベック・シティとモントリオールで会うことができたのだから。そう、宇都宮は元々ボーナスのようなものだったのだ。
残念に思う気持ちをなんとか静めていると、ホテルの自動ドアが開いて、バイクを持ったサイモンが現れた。「じゃじゃーん!」という効果音が聞こえた気がした。
反射的に、二代目の応援フラッグを広げる。「あの私! 先月カナダでお会いしました」とおそるおそる声をかけると「そうだね、覚えているよ」と返してくれた。
ファンの数が少なく、また試走に出発する前で汗にも雨にも濡れていない状態だったこともあってか、サイモンはファンとの交流時間を長めに取ってくれた。そのおかげで私はプレゼントを渡して、私がどれだけ彼を応援しているかを伝えることができた。
受け取ったステッカーや布製品に描かれているのが自分と弟の愛犬だとわかったサイモンは「わあ、これ、うちの子なんだ!」と嬉しそうに目尻を下げた。横にいたヘイマン監督に「ねえ、見て見てこれ! うちの犬だよ」と応援グッズを見せてご機嫌な様子だ。ヘイマン監督も「これはまた来年もジャパンカップに来るべきだな」と盛り上げてくれた。
にこにこと喜ぶサイモンを見て、今ならば、とサインをお願いする。私はサイモンの写真パネルを二枚持参していた。2018年ジロ・デ・イタリアと2023年ツール・ド・フランスでフォトグラファーの辻啓さんが撮影した写真で作ってもらった特注のパネルである。A3サイズの木製パネルは海外に持っていくのは厳しいが、宇都宮ならば何とかなる。そう考えて、事前に宿泊するホテルに送っておいたのだ。
サイモンは六年前の写真が出てくるとは思っていなかったようで「随分昔のだね」と言いながらサインをしてくれた。自宅で毎日眺めている写真パネルにサインをもらえるとは、感無量である。
写真パネルにサインをもらってすっかり満足していると、アロさんが「そのパネルと一緒に記念撮影をしよう!」と声をかけてくれた。
私が一生懸命サイモンと話している間、アロさんはずっと写真を撮ってくれていた。会話をするのにいっぱいいっぱいだったので、私の頭からは写真を撮るという発想がすっかり抜け落ちていた。
アロさんのアシストがあったから、サイモンに素敵なプレゼントを用意することができた。そして彼女が取ってくれたたくさんの写真があるから、私はいつでもサイモンの笑顔を見返して、あの時の幸せな気持ちを思い出すことができる。もしも写真がなかったら、記憶は少しずつ曖昧になって、いつか忘れてしまうに違いないのだ。そう思うと、彼女には感謝してもしきれない。
アロさんに写真を撮ってもらっていると、なんと写真パネルの製作者である辻啓さんがどこからともなく現れ、私たちの写真を撮影してくれた。パネルの写真を撮影をした方に、その被写体であるサイモンと、そのサイモンがサインをした写真パネルを持った写真を撮ってもらうという、全く予想していなかった幸運に恵まれたのである。もちろん辻さんは私が写真パネルを持参しているなんて知らなかっただろうし、あの日あの場所に全員が居合わせる確率は天文学的に低いはずだ。まさに奇跡の一枚である。私が視線を外していることを除けば。
私との写真を撮り終わり、他のファンたちとの交流を済ませると、サイモンは自転車に乗って古賀志山に向かっていった。
短い時間だったはずなのに、まるで永遠のように感じる密度の濃いひとときだった。サイモンにとっての私は数多いファンのひとりであり、すぐに忘れ去られてしまう存在だろう。それでも、ヨーロッパから遠く離れたアジアにもあなたのファンはいて、そのファンは勢い余ってあなたの愛犬をモチーフにした応援グッズを作ってしまうくらい、あなたのことが好きで応援しているのだ、ということを伝えられてよかったと思う。何かの拍子にそんな変なファンがいたことを思い出して、明るい気持ちになってくれたら嬉しい。
「好き」の正体
当たり前だが、私の人生は、サイモンの人生とは全く関係がない。私たちは、すがすがしいほどに他人だ。彼がレースで素晴らしい走りをしようと、はたまたバッド・デイに苦しもうと、私の生活には何の影響もない。
私たちは他人だが、同じ時代を生きる隣人でもある。あれだけの才能を持ち、うつくしく鮮やかな走りをする人も、私と同じように、ままならない現実を懸命に生きている。私が私の地獄を生きる横で、サイモンも打ちのめされたり、小さな成功を掴んだりしながら、彼の地獄を生きている。その事実が、どうしようもなく私の心を救ってくれる。そんな気持ちが、私の「好き」の正体である。
ロードレースでは、全てがさらけ出される。いいところも、悪いところも、全部だ。サイモンは強い選手だから、きっと誰にも見せたくないような姿も、全てカメラに撮られてしまう。勝ちたいと言っていたレースで力なく遅れていく姿も、フィニッシュ後に悔しそうにうなだれる姿も、全てが世界中にさらされる。
それでも、サイモンは再びスタートラインに立って、走り出していく。若い頃は無邪気に語っていた野望を、今は飄々とした大人の表情の裏に隠して、さあ今日はどうなるかな、とうそぶきながら。その姿に人生を見る。あがき続けるのも悪くはない。彼が頑張るなら、自分も頑張ってみよう。そう思えるのだ。
あとがき
この文章は私による、私のための文章だ。この秋のカナダ・ケベックから宇都宮に至る旅とサイモンとの思い出を、忘れないうちに書き残しておきたいと思ったのである。
自分のためだけに文章を書くことはあまりない。だけど書くことを決めてからは、糸を吐く蚕のようにするすると言葉が自分の中から出てきた。そうして吐き出した糸を織りあげた、重たくて、ちょっとグロテスクな布がこの文章である。
そういえば、私の名前は「綾」という。それは、色々な模様を織り出した絹織物の名前だ。