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「生きる理由。」蕾と私のゆるーいはなし。

先日、友人と目黒川沿いを散歩していた時のこと。

目黒川と言えば、春になるとどこまでも続く桜のトンネルを見ようと大勢の人が訪れる桜の名所だ。しかし、冬にわざわざその蕾(つぼみ)を眺める人は少ない。私はというと、咲いている姿は散ってしまうことの始まりのようでちょっと寂しくて、実は蕾を見るのが好きだ。
どんな風に咲こうか、自分は咲けるのか、準備している頃。ワクワクする。

そのまだまだ硬く閉じられた蕾を見ながら、ふと言葉が漏れた。

「桜って蕾をつけて、咲いて、散って、また蕾をつけて・・・大変だよね。なんのためにそれを繰り返すのかなあ。」

人間に見せるために咲いている訳でもないだろうに、来る年来る年このルーティンを繰り返している。まるで毎年出産しているようで、考えただけで大変そうだ。

すると友人がこう答えた。

「生きるためじゃない?」

「うーん、でも桜はなんのために生きるのかなあ?」

「難しい質問だね。じゃあ、あやちゃんはなんで生きてるの?」

「・・・生まれてきたから。」

「そっか、桜も一緒じゃない。」

「そっか、みんな一緒、みんな生きる仲間なんだなあ。」

そう思うと、目に入るものが全部仲間に思えてきた。
「お疲れっす!」とでも話しかけたくなった。

「人それぞれ今世のテーマや乗り越えるべき課題を持って生まれてくる」というのは、占星術や宗教などでよく耳にする話だ。先日参加したスウェットロッジセレモニーでも「みんな自分で生まれてくると決めて生まれてきたんだ!それを皆、忘れてしまっているんだよね」とお話されていて、私もそれを信じている。

でも私は未だ今世のテーマが何か、使命が何かわかっていない。

私は「私と会った人が、その人自身で自分の中に光を見出せるようになる」
、そんな存在になりたいと常々思っている。
でも残念ながらこれが本当に今世のテーマなのか使命なのか、まだ理解できてはない。

しかし上述の会話を通して思ったのは、生きる理由って深く考えてしまうと「このままで良いのかな」と焦るけど、「だって生まれてきちゃったんだもーん」ぐらいのあえての他責思考で捉えるのも悪くないな、と思った。
「どうせ生まれてきたんだから全うするぞー!じゃあ、どう生きる?」と。

仏教の「四苦八苦」という考え方でも、生まれる苦しみが堂々のランクイン。生まれるということは死に向かっていくということで、それ自体が苦なのだ。考え方としては、それに近しい。

「生まれた」という過去にとらわれるのではなく、「生きている」の今にフォーカス。
うん、マインドフルネス。

私は今を生きながら、今世のテーマを問うのだー!

(おしまい)

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