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良いセラピストはクライアントに「お母さーん」と甘えるように自分を乗せる。
約10年前、ロミロミ(ハワイアンマッサージ)を習っていた。
ロミロミでは、手の力ではなく、セラピストの体重を使う。
そうすることで、深部の筋肉をじっくりほぐしていくことができる。
だが、ド素人で、当時、競技チアリーディングをしていた私はついつい、手でぐいぐい押そうとしてしまっていた。
これでは、その場では気持ち良くても、実は浅い部分の筋肉を破壊して、嫌な揉み返しを起こしてしまう。セラピーとは名ばかりのただの危険行為である。
そんなとき、先生にこう言われた。
「子供が『お母さーん』って甘えるように、体重をかけるのよ。
そのとき、子供は遠慮なんてしないでしょ。
全幅の信頼と愛情を持って、思いっきり体重をあずけるのよ。」
そう言われても、私には、最初意味がよく分からなかった。
セラピストがクライアントに甘えるってこと・・・?
自分が父母にどのように甘えていたか、はっきりとした記憶があるわけでもない。
だからひとまず、先生に言われた通りに、そのイメージを持ってやってみた。
するとすぐに、
「ああ、これか。」
とわかった。
頭での記憶は無い。
でも、「確かに私はこうやって、誰かに全幅の信頼という重みを乗せて甘えていたんだ」と体を使って確信を持てた。
それからは、手技に集中してついつい力任せになりそうな時も、クライアントに「お母さーん」と体重を乗せることを思い出す。
そうすると、またあるべきところに戻ってこられた。
最初に思った「クライアントに甘えるってこと?」というのとは違って、
「クライアントの本質を信頼する」というこだと今は理解している。
クライアントには、本来の自分に戻ろうとする力がある。
ロミロミセラピストはそれに関わらせてもらっているだけ。
その人が信じているもの、その人に力をくれるものと仲介をするだけ。
できることは、クライアントの力、本質を信頼すること。
私は今39歳。
生後10ヶ月でハイハイとつかまり立ちが盛んなベビーに、毎朝、全幅の信頼と愛情(?)を使って起こされている。
「痛っ」と自分の声で目を開けると、顔に乗っかられているとか・・・
「ああ、これか。」
と、実感する毎日。
きっと記憶には残らない。
でも、こうやって全力でぶつかって受け入れられる経験を繰り返して、人を信頼したり、自分の存在を肯定できたりの素地ができていくのだろう。
あと何年こうやって全身をあずけてきてくれるのかしら。そう思っては寂しくなり、だからこそ今、触れている温かさ、肌のすべすべ、ぽちゃぽちゃ、小さくてもしっかりした息遣い・・・ずーっと忘れたくない、と味わっている。
まだ10ヶ月ぽっちの子育てで、自分のこれまでの事柄が幾度も参照される。
答え合わせ、というと語弊があるが、「ああ、こういうことだったのか。」とつながることが多い。
もっと若くで産んでいたら・・と思うこともあるけど、この歳までの経験があってこそ感じられていることが、毎日毎瞬、恵みの雨のように降り注ぐ。
だから、この人生が最善最良なんだと思う。
(おしまい)