そこにパッションはあるか?について。
友人が最近転職して、こんなnoteを書いていた。
「こんな案件があるのですが」と上司に持っていったら「そこに(あなたの)パッションはあるか?」と問われたという話。
ここに着想をいただいて、私も自分がやっている諸々のことにパッションがあるかを問うてみた。
仕事もボランティアもプライベートも含めて、いくつか関わっていることに対して。
育休中の会社のサービス、ビジネス系の人材育成、Mindful.jp、マインドフルネストレーナー、コーチング、ファスティングコーチ、The Life School、Wisdom2.0、子育て、家事、ロミロミ・・・などなど(順不同)
そこにパッションはあるか?
と言われると「分からないなあ」って感じなんですね。なぜなら「私がやらなければ!」みたいな熱さは無いから。
物理的に私じゃ無いとダメなことって、上記で挙げた中に一つも無いと思う(育児もアウトソースできますし・・・)。
それでもやっているのはなぜか。
それが「合って当然のもの」と思っているからだと思う。
例えば、私は自然の中での学びの場「The Life School(ライフスクール)」を運営している。ライフスクールに関わり始めた年に創立メンバーが「もう僕たちはやらないから、やりたい人いたらどうぞ。やる人いなければここで終わり。」と言った。
そこで「え、ライフスクールは当然続くでしょ」と思い、いの一番に反応して仲間と引き継ぐことになった。
育休中の会社のITツールも「BtoB営業している会社なら、このツールを検討に挙げないってちょっとビックリ」ぐらいに思っている。だから入社した。
そんな感じで、これって当然あった方が良いよね、あるのが自然だよね、みたいに思っているものに関わっている感じ。
「当然」だから、「やってやるぜ!」というより、坦々粛々と動かしている。
パッションというより、信じていること、みたいな感じ。
「あった方が良い」「あるのが自然」というのはあくまで私の価値観。
価値観の押し付けにしたくない気持ちと鬩ぎ合って、特に自分初のものに関しては、それを知らない方への見せ方、アピールの仕方は苦手で課題。
冒頭の浩子さんの仕事は、ブランディングなので「そのサービスやプロダクトの、どこにパッションを向けられるのか?」が明確でないとできないのだろうなあ、というのも納得した。
私も自分が良いと思っているものを外に知ってほしい思いは当然ある。
「じゃあ結局、あなたはそれの何を信じているの?」
「どんな力を信じているの?」
に答えられるようにしていかねば、とただただ反省した次第です。
反省文かよ。
久々に自分のnote書いたー!
枠組み無く、徒然に思ったことを書く=ジャーナリングって、やっぱスッキリするね。
(おしまい)
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