【毎日習慣】反骨精神の使い道
落合陽一さんと冨永愛さんの対談を見た。
「80年代はいいよね まだ反骨する対象があったから」
「気合いと根性と努力でなんとかならないの?」
「突出していきたい」
「共感性が高くないと拾ってもらえない世界」
高いワードセンスが飛び交って、自分の耳では拾いきれなくて何度も巻き戻す。
わたしは「華の88年組」といわれるギリ80年代の生まれだが、反骨する対象なんてあったんだろうか。
さいきん、「反骨精神」という言葉を解釈しようと自分なりに考えている。
「誰にも負けたくない」「見返してやる!」殺意にも近い強い感情だ。
すこし自分の人生を巻き戻してみよう。
中高生のときの流行りや文化、カルチャーと呼ばれるものは時代を反映する。
朝の10分間読書で読まれていた本は『バトルロワイヤル』、山田悠介の『リアル鬼ごっこ』『親指さがし』、圧倒的なカリスマは乙一の『GOTH』だろう。“キレる10代”なんていわれたのも、その頃だ。
明確な殺意が書かれた小説だったように思う。思春期でホルモンバランスも不安定なわたしたちは、死の恐怖を感じるほどのスリルを欲しがったのかもしれない。
退屈な人生に刺激がほしい。確かに、刺激に餓えていた。それは他人から与えられるもので、巻き込まれるかたちで日常が崩壊していく。
反骨精神から受け取る飢餓は、退屈なんて生易しいものじゃない。食物連鎖の頂点に立つような孤独と、がむしゃらさ、自分を高める根性と努力が、一本の糸のような緊張感で張り詰めている。
わたしがいま手に入れたいのは、そういう「過集中」状態だ。
視野は広いほうがいいから、あらゆるソーシャルネットワークに回線を伸ばしてきた。電脳世界は限りなく宇宙のように広く時差がない。この広い宇宙のなかで自分に合ったコロニーを探したかった。
でも、やっぱり向いてないように感じる。
情報社会に疲弊する。ニュースは知っておきたいし、トレンドも追っていたい。でも、自己研鑽に勝る自己肯定感ってないと気付いた。
孤独はさみしいけれど、掴みたい光は極小の粒で、到底独りでなければ通れない細く狭い道だ。楽に生きる方法が無尽蔵にあるなかで、自分のやりたいことにストイックな自分でいたい。
まだまだ、反骨精神を解釈するには至らない。でも、途中点がほしい。
自分の行末と方向性を確かめるとき、フォロワーさんの「見守る力」はわたしに勇気をくれるだろう。
いよいよ、三が日が終わった。今日から職場復帰のひとも多い。
2023年の第一歩。「正月疲れ」を多くのひとが引き摺るなかで鼓舞し一歩でも前に進む力を与えてくれたのは駅伝競走かもしれない。甘えがもたらす堕落など身をもって知る歴戦の猛者ばかり。厳しい冬は2月がいちばん寒いくらいだ。
まだまだ凍てつく寒さのなか進むことになる。今年は誰にも覗かれず心のど真ん中に「反骨精神」を抱えていたい。
そのために今年最初に読む本はもう決まっている。