「普通と違っても大丈夫だよ、ちゃんと愛されてるよ」
「どうせわたしなんて愛されない」という圧倒的に強烈な思い込み。だいぶ手放したつもりでも、まだこんなにも強固にわたしの内側にへばりついていたのかと思う出来事があった。
ちょっと話は過去に遡る。
ちょうど自粛期間が始まる直前、当時お付き合いしていた相手に別れを切り出した。そして世界が新しいウィルスに怯え始め、外出や出会いのきっかけが極端に制限された。
これまで通りに出会えなくなったことに最初はすごく戸惑い焦ったし、全然好きじゃないし向いてもいないのに恋活マッチングアプリ「with」をインストールしてみたりもした。(案の定、全然上手くいかなかった。)
しかし、逆に自分と四六時中向き合うことで自分にとって心地よいものを感じ取る「オーダーメイド審美眼」がメキメキ発達した。モノの断捨離をしたり、時間やお金の使い方や部屋のインテリアなど、違和感のあるものを手放して心地いいものに変えたりすることで「オーダーメイド審美眼」が発達したんだと思う。
そんな精神と時の部屋状態とも言える自粛が緩和された6月。今の彼と初めてデートをした。細かいエピソードを上げればキリが無いけれど、これまで出会ってきた誰とも被らない強烈な個性や、わたしがデートをするときに繰り出す武器が全然通用しないことなど、様々な要因からその人に惚れ込みお付き合いがスタートした。
これもまた「オーダーメイド審美眼」が発達して、パートナーシップにおける大切なポイントがより深掘りされた結果だと思っている。
ちなみに出会いはこのイベント。彼はたまたまお客さんとして来てた人。
そして時を戻し、先日のこと。
わたしが自分のセクシャルなことに関してnoteで発信をしていることについて、二人で話すタイミングが訪れた。
出会ったときから伝えていたため、そういう発信をしていることは知っていたけれど、相手からすると「なぜわざわざ書かんでもいい個人的な内容をネットで発信するのか」という単純な疑問があったそう。至極まっとうな疑問だ。
なんだけど、わたしの内側では激しい怒りが渦巻く。「最初から伝えてたし、そういうわたしも含めて好きになってくれたんじゃなかったの?今頃になってそんなことを聞いてくるなんて裏切りだ!!」
渦巻く怒りから過激派アヤノの登場。自分の好きなものを否定したり、隠したりしたくないこと。好きなことは好きだと表現したいこと。書くことはわたしにとって不可欠の表現であること。書かないと気持ちが滞って消化不良を起こしてしまうこと。自分の中身をさらけ出すことで合わない人は去っていくし、気に入ってくれた人が近づいてくれて心地よい環境ができるというメリットがあること。
過激派アヤノが言葉を尽くしてありたっけのプレゼンをすることで、彼の中でも完全に理解したわけでは無いけれど、少しずつ腑に落ち始めたようだった。
さらに、そもそも理解したいから聞いてくれたわけだし、セクシャルな投稿が嫌だったらそもそも付き合ってない、一緒にいたいから知りたいんだよと言われたとき、過激派アヤノの「中の人」がスーパースネノだったことに気づいた。
スネノとはスネてるアヤノ。勝手にいじけて勝手に自分をネガティブに捉えるスネノちゃんは時々現れる。そして今回スーパースネノが出るくらい、何に勝手にいじけてスネているかを冷静に見ていくと「どうせわたしなんて愛されない」だったんだよね。(あんた、まだそこにいたのかーい!!)
好きで書いているセクシャルな発信も、心のどこかでは「こんな発信をしているわたしなんてどうせ受け入れてもらえない。」個性的な生き方や思想を持つ自分は好きだけれど、「”普通”じゃないわたしが、深く愛されるわけがない」金髪で柄や色に溢れたファッションは大好きだけど「人と違う身なりをしていたら、キワモノ扱いされて受け入れられない」などなど
こんなに”非一般的”なわたしが”一般的”に愛されるわけがない
この思い込みを強く握りしめていたことに気づいた。そりゃスーパースネノも出てくるわ。そして、スネていじけまくってるスーパースネノであるがゆえに、そのパワフルな悲しみが怒りに変換されて過激派アヤノも発動したんだなと。一人赤べこ状態で納得しきり。
そして「オーダーメイド審美眼」によって出会えた相手だからこそ、この思い込みに気づき、昇華させることができた。最高のキャスティングがなされていたことに心が震えたのでした。
今日は魚座の満月。しかも天赦日。握りしめていた「何か」からそっと手を緩めて手放すのには最適な日だという。
「普通と違っても大丈夫だよ、ちゃんと愛されてるよ」とスネノちゃんには言ってあげたいと思う。
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