父の死について時が経って思うこと
これはずっと自分の中に閉じ込めていたことです。もうあれから数十年経ちますが、たまに思い出しては泣いてしまいます。実家を出て、遠くの街で就職して結婚して、父のことは何となく吹っ切れたかななんて思っていたけど、そんなのやっぱり無理で。きっと吹っ切れることなんて一生無いんだと思います。ずっと、父のことを思いながら生きていくんだと思います。
父は、私が中学生の頃に自殺した。突然だった。中学生の頃の日々の日常なんてもう全然覚えていないけど、その前夜の日の事は何故かよく覚えている。
その日は12月中旬で、翌日が国語の漢字の小テストだった。中学生になって一人部屋を与えられたのが嬉しくて、自分の部屋にこもってこたつの中で翌日の漢字のテスト勉強をしていた。わりと難しくて、これは無理かもなーとか思ってた。深夜12時をまわって、もう眠くなってきたので寝ようと思い、布団にもぐって就寝した。
朝方、いつもより早い時間に母にたたき起こされた。
家がざわざわしていて、何とも言えない雰囲気で、
母が「お父さんが死体で見つかった」
って言った。
私は、意味がわからなくて、とりあえず今日は学校に行かないのか。漢字の勉強しなくて良かったんだとか思っていた。
私の部屋は2階にあって、1階に降りると父が運ばれていた。冷たくて、これが死体なのかっていうのを人生で初めて見て、本当のことなのか、これは夢なのか何なのかわからなくなっていた。
なんで死んだのか、殺されたのか事故なのか、頭が回らないでいると、衝撃の事実を伝えられた。父は、首つり自殺をしたらしい。遺書が家のポストに残っていた。
自ら死んだってどういう事なのか。いよいよとんでもない夢なんだなって思った。
この後のお通夜の説明等の後、父の遺体は葬儀場に運ばれていった。家には祖父や祖母が続々と集まってきて、もしかしてこれは本当なのかという不思議な気持ちになっていた。
父が運ばれて家から居なくなって、祖父祖母も一旦自宅に戻り、家には母と私と姉だけになった。
それまで葬儀屋や祖父祖母に対応していた母の緊張の糸が切れたのか、母がちょっと横になるね。と言ってリビングのこたつの中でくるまった。
私も、姉もこたつの中でくるまった。静かな時間だった。
平日の日中で、のどかに時間が流れている、今頃漢字の小テストしている頃だな、って私は頭の隅で考えていた。
お父さんのいない世界でも、毎日は静かに過ぎているのが不思議で実感が沸かなかった。何となく、泣ける気分ではなくて、テストの事とか漫画の事とかどうでもいいことを考えていた。でも隣で横になった母が泣いているのがわかった。
母が泣いたのを見るのは生まれて初めてで、いつもせかせか動いている母しか知らなかったから、こんな風にこたつでくるまっている姿を見るのも初めてで、そんな様子を見て、その時、ああ、本当にお父さんは死んだんだなと思った。同時に、お母さんを泣かせるなんて、お父さんはなんて酷い人だったんだろうと憎く、悲しく思った。
葬式では、中学校の友達が来てくれて、急に自分が悲劇のヒロインになったようで、でも申し訳なくて、悲しくて、父に一度も会ったことない友達も泣いていて、でも死因を言えなくて、色んな感情が混ざり合っていた。親が死ぬなんて漫画みたいだなとかのんきに考えたり、これからどうやって生活するんだろうとか思ってちょっと不安になったり、父の死因って誰が知ってるんだろうって思ったり。
子供の頃の私は、父が自害するまでに至った辛さや苦しみまでをくみ取ってあげる余裕がなかった。母を一人にさせた父が憎くて、自分達は捨てられたんだって考えて悲しくなったり、辛くなったり、そんな酷い父なんて死んで当然なんて思ったこともあった。
大人になった今となっては、なんで相談してくれなかったんだろう。辛いって言えなかったのかな、気づいてあげられなかったのかと悔やむ気持ちしかないです。一番近くで見ていただろう母に、なんで当時気づいてあげられなかったの?母と父の関係は良くなかったの?と母を不審に感じる時期もありました。でも、真面目な父は誰にも迷惑かけまいと自分で考えすぎてしまったのかな。
トラックの運転手をしていた父は、冬は繁忙期で朝早くから家を出て夜遅く帰ってきていました。亡くなる前の週の休みの日は一日家で寝ていて、ぐーたらしているなー。なんてのんきに思っていました。休みの日も動く気力すら無かったとは夢にも思っていませんでした。
葬式の後、数日学校を休んだ後12月の終業式で学校に行き、何か言われるのかなとか注目されるのかなとか意識してたけど、皆普通に接してくれて。何事もなく日常に戻っていきました。
日常に戻っても、母が晩御飯の材料を買い忘れたと言って出かけて家を空けるたびに、あの日こたつの中で泣いていた母を思い出して、もしかしたら母もこのまま帰ってこないのかなとか思って心配になる日々はしばらく続きました。
父の死因の原因について、私はいまだに母と話すことができません。本当の気持ちとか、何で死ぬまでに至ったのか知りたいけど、父の深い話をしない事でうちの家族関係は保たれています。
突然いなくなった父に対して、色んな感情があるけれど、父がいなくなってから大変だっただろう母。それでも何一つ不自由なく学校を卒業させてくれた母、あれ以来泣いている姿を見せない母、ちょっと抜けていて、そんなに賢くないけど考え込まないメンタルの強い母。
母は自分の親だけど、色んな感情がありながらも生きている自分と同じ一人の人間なんだと思うようになりました。父は父で、一人の人間という接し方をしていなかったかもしれない。父親はこうで当たり前、父親はこういうものという既成概念の中で接していたのかもしれない。それが父にとっては辛いものだったのかもしれない。
ずっと誰にも言わないでいたけど、私も30歳を過ぎて結婚することになって、自分の大事な人に自分の生い立ちを話せないでいる辛さと、知ってもらいたい、受け止めてほしい気持ちが強くなって、思い出して泣きながら気持ちを整理することになりました。
結婚式を、父にも見てほしかった。これからの人生を、今こうしてるよとか、いろんな話をしたかった。父と母がおじいちゃんおばあちゃんになって、仲良く旅行に行ったり、余生をのんびり過ごしてほしかった。街中で、おじいちゃんおばあちゃんを見ると、仲良しで良いなーと思いつつ、羨ましくてちょっと切ない気持ちになります。
父が居たおかげで、私はいまこうして生きています。
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