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8月の短歌
さて、今日は月に一度の短歌の会だった。
今のところ、外出の予定はほぼこの会だけ笑。
ちょうどいい。ちょっと緊張して外に出ること。
いつも30分前には家を出ようと思っているのにいつの間にか時間が遅れ、結局、2分前頃に着く。ぎりぎり間に合う。
しかし、車の鍵かけたか気になって鍵かけに行ったら、会は始まっていた。反省。いつもぎりぎりか、ちょっと遅れる。
しかし、必ず、私より遅く教室に飛び込んでくる人が居る。
私も彼女も性分なのかもしれないと腹の底で笑う。
自販機は 震災遺構に並び立ち 愁いたずぬる吾にうるさし
震災遺構の場に観光客用の自販機が並び立ち、色々な音がしてなんだか五月蠅い。作者は愁いを感じたいのに、自販機のうるささを詠んでしまったことが、生きるおかしみというか、ちょっと笑えるところがある。
作者はそのうるささが、とても気になったんだなと情景が目に浮かぶ。
繚乱の春はたちまち過ぎにけり緑の梢(うれ)を風わたり行く
全く大共感の一句。毎日散歩していると感じる春の花の多さと、その後の新緑の美しいこと!誰かは、最近、時間が過ぎるのが早いと言っていたが、私が共感したのは後半部分。この初夏の緑の美しさをどう読もう?って時に、後半の上手さが心に落ちた。えりりん先生曰く、うまいひとは、言葉の流れがうまいのです、と言った。梢と書いて、「うれ」と読むとは。
小夜しずか戻り太鼓の音消えて児らは褥で眠りにつきし
この歌も祭りの情景が見えてくるような歌である。祭りが始まり、その祭りが終わり、日常が戻ってきた。祭りのあとの寂しさも漂っている。この歌の中の戻り太鼓というのは弘前ねぷたのことで、たしかに弘前のねぷたは、出かける時、街を引いている時、帰って戻ってくるとき、太鼓の音が違う。
「ねぷたのもんどりこ、ヤーレヤーレヤレヤ」という囃子と共に帰ってくる太鼓の音を思い出した。褥(しとね)という言葉も、ぽんと出てくる言葉ではないし、この短歌もスタッと流れてまとまっている。
続けざま水鉄砲に打ち抜かれ揺らぎ立つなりわが気化熱は
暑い夏に幼子と水鉄砲している情景が目に浮かぶ。初めは子供相手に遊んであげようと思っていたのが、続けざまに打たれたことで、自分の熱いカラダからもじゅっと気化熱があがるのだけど、作者の中にも大人の本気が、揺らぎ立ったようで面白い。はじめ遊んでいたけどガチになるオトナ。気化熱という言葉を選んでいるのもいい。えりりん先生の歌でした。
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「あどけなき昼顔持ちて帰りたし 花摘む我は源氏の君か」
本当はこの歌は、
「あどけない昼顔持って帰りたい 花摘む我は源氏の君か」
と、あまりに直球すぎる表現だったが、これは、文語調にすればもっといい歌になりますよとえりりん先生のアドバイスがあった。
う~ん、確かに、全然違う。
源氏の君が生きてくるし(⋈◍>◡<◍)。✧♡
これは本当に、朝顔には見ない昼顔のピンクが淡くてかわいいなと思うのと、そうやって好きな花を摘んで帰る、ある意味勝手な自分のことを、思ったら、ふと光源氏のことを思い出した。たしか夕顔という人もいた。
えりりん先生曰く、
「源氏物語には夕顔も、朝顔の君も出てくるけど、昼顔はいない」
というお話。
何?狙っていたら相当かっこいい( ^ω^)・・・
ってことで、またしても自分の未熟さを知らされた8月でした。
やはり文語調の短歌をもっと読んでそのリズムを自分のカラダに入れねばならぬのじゃ( ̄m ̄〃)ぷぷっ!
課題が見つかりました。
流れがすたっと納まるまで詠むことを心がけます。
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