短歌もらいましたⅢ✧♡
穂村弘さんの「短歌ください」の三冊目。
早速、いただきます。穂村さんのコメントは太字。私は細字で!
人類の進化が逆に進む感じがいい。ジャングルジムで野生が蘇ってきた。
老後の事とか、我が母がホームに入るまでは考えたことが無かった。たぶん、ほとんどの50歳前の人が考えたことはないと思うが、自分が1人で生きるチカラが落ちた時に、どこかのホームに入るのであれば、その生活は、案外、絶望的なものだなと思った。誰もが年をとるのに、その最後の時が、一番快適なように考えて社会を準備している大人は誰もいないのかもしれないこと。なんだかそれに衝撃を受けた。
かくいう私も、今そのために何の働きかけをしているわけでもなく、老後の、ちょっとそうした恐怖を感じる歌。
「キュピンと光る」がまた凄いですね。「キュピン」なんてちょっと思いつかない。細胞レベルで好きなのがわかります。
あ、猿へのターンと同じ人!
冬の満月が、誰の味方でもなく、誰にも等しい無慈悲であることが、とても納得。そういう冷たい冬の月を見ている光景が目に浮かぶ。
不思議なほのぼの感の魅力。真面目な顔で、そんなこと考えていたんですね。「鶯餅」と「天麩羅蕎麦」の組み合わせが絶妙です。漢字ばかりのところもさすが「大仏」って感じ。
おお?同じ人の歌を3首も選んでいる!私は彼の歌がスキなのか。
過ぎてきた過去の少年である自分を思い出して、さみどりを見るしかない大人の男の姿が目に浮かぶ。
身も蓋もないところがいい。「ハブられた」「イケてる」「ワンランク下」というベタな表現の連続が裏返しの詩的価値を生み出しています。この辺りが詩歌の不思議で面白いところですね。素敵っぽい言葉を使ったり、イメージの飛躍を生み出したりすることだけがいい歌への道ではないことがわかります。一首からは学校という閉鎖空間におけるカースト制度の残酷さが浮かび上がりました。
こちらは「少女としての仕事」の歌。ちゃんと遂行してもお金は貰えない。けれどもそれはやっぱり社会から要求される「少女」の「仕事」に違いない。批評的な視点の鋭さを感じます。
「不意打ちの言葉」という作者コメントがありました。気障だけど魅力ある言葉ですね。これが「空」でも「海」でも「草」でも、「心を持って行かれる」ことはなかったでしょう。
うちでも、大根の煮物食べたいとダンナにリクエストして煮物を作ってもらったこの初雪の降った日。コンビニでおでんを買った作者が俯瞰して世界を見たらそんな光景が見えたんでしょうね。列島全国で、大根が!
現代だなと思った。めんどくさい時代だとも思います。なんか怖い!
会わない時間が2人の愛を育てたりしない時代。つねに四六時中、つながることが可能。まてよ、スマホの電源切ればいいだけか( ´艸`)!
戦争が日常茶飯事の国ではコンビニにマシンガンが売っているかもしれない。なんてamazarashiの歌詞にあるようなことを想像してしまいました。
amazonで何か買うと、送料がかかるのに、なぜ、同じ箱に詰めて届かないのか?とか、同じ本を2冊買うとかあり得ないだろ(←自分のミス)とか、昔は、これは何かの間違いではないかと人間に気付かれたことが、まったく気づかれず、ものが届くことがあります。機械って、頭悪いんだなと思う瞬間です。人間が判断していた良さを失って、どうでもよく膨大にモノが手に入るようになったんですね。
意味がないようで意味がある。効率が重視される都会にいると押し潰されてしまうもやもやした生命力が蘇るようです。
お握りが鮭の死だとは思ってもみなかった。大好きなものが冷たい残酷なものに変わる瞬間。同じ作者の「動物は何も言わずに死んでいく人間だけがとてもうるさい」という短歌もスキだ。
この人の歌もこれで3首、選んでいることになる。
気が付かずに、同じ作者のものを選んでいる。
気が付かずに、直感で、ピンポイントにその人の歌がスキなのだ。
間違いなく選び取ってる。
それが好きってことなのだ(⋈◍>◡<◍)。✧♡