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短歌もらいました⑪✧♡

 短歌タイムカプセルより、毎日短歌をもらいます( ´艸`)

はい、あたし生まれ変わったら君になりたいくらいに君が好きです。

岡崎裕美子

 いい。好きすぎて君になりたい。
 好きってそういうことだ。

(略)最後に書かれた「。」が思いを打ち明けた充足感を表している。

(C)

 編者のCさんの一首鑑賞。「。」にも読み取るんだ( ゚Д゚)


白というよりホワイト的な身のイカの握りが廻っています

岡野大嗣(だいじ)

 ホワイト的という言い方に、自分がかつて、イカをイカ的なものと言っていたことを思い出した( ´艸`)



まだ何もしていないのに時代という牙が優しくわれ嚙み殺す

荻原裕幸

 令和の若者かな?と思って作者の生年を見たら、私と同じ年生まれの還暦を過ぎた年の人が26歳の時の歌だった。そう考えると、いつの世も、若者は、期待され、時代の閉塞感を背負い、希望の持てない世界の荒野を見て、どこか自分が殺されていくような気分でいるのかもしれない、と思う。
 20歳を3回生きた自分がわかることは、NHKの連ドラみたいな主人公のように生きていると神様が応援しやすいだろうなということ。自分の目の前に横たわる宇宙に不平不満を言わず、にこにこ乗り越える人には、誰だってエールを送りたくなるなと、一視聴者として思っている。
 しかし大概20歳の時は「この年齢が一番美しい年齢とは誰にもいわせない」というような有名な文学にある台詞(うろ覚えw)をつぶやき、ぐれているのが若者なのだ。


犬はいつもはつらつとしてよろこびにからだふるはす凄き生きもの

奥村晃作(こうさく)

 犬、そのまま✧♡キャオワン💖



五線紙にのりさうだなと聞いてゐる遠い電話に弾むきみの声

小野茂樹

 ここには、歌人の年齢も表記していないので、ほんとうに若者の時代の短歌は、どの時代になっても同じなのではという気がする。小野さんは1936年生まれ。この歌集は32歳の出版です。恋人の声は耳に楽しい。まるで歌うように彼に何かを話している。この感動はたしかにいつも繋がれる現代と違って、固定電話で話していた時代の恋人たちの素朴な会話のように思う。
 そして私は以前彼の短歌をもらっていたことに気が付く。

あの夏の数かぎりなきそしてまたたった一つの表情をせよ

小野茂樹


男性は、素敵な女性を思い描いてね💖


一冊の未だ書かれざる本のためかくもあまたの書物はあめり

香川ヒサ

 アゴタ・クリストフの「悪童日記」。

映画も観た!


 好きな小説だが、中に、本当に好きな言葉が出てくる。

 人は誰もが一冊の本を書くために生きている。

 それを読んで以来、私も、自分の本を一冊世に出すことを夢想している。
 こんなに紙の本が駆逐されていく世界においてそれは可能なのかわからないけど、自分は本を紙で読みたいから、そんな自分の感覚を信じてみよう。作者もそういう思いを持つ人の一人ではないか。

 

大空の斬首ののちの静もりか没(お)ちし日輪がのこすむらさき

春日井健

 読書会のメンバーに向けて色の授業をした時に、短歌の先生でもあるえりりんが、紫を好きだということを紹介してこの短歌を教えてくれた。
 それで印象に残ったのだが、意味を自分がわかっているとは言い難い。
 さっきまで青空だった大空が斬首したかのように静まり、日が落ち、太陽の残照は紫を描いている。日没を斬首っていったのが、ドラマティックだ。彼の短歌はどの歌も、劇的な雰囲気が漂っている。


荷車に春のたまねぎ弾みつつ アメリカを見たいって感じの目だね

加藤治郎

 若い恋人たちの歌は、なんだか可愛らしい。
 荷車に春のたまねぎが弾んでいる。春はどうしたってうきうきするものだが、春の玉ねぎだ。カレーでも作ってくれるのだろうか。二人で囲む食卓を空想する。春で、玉ねぎの美味しさが弾んでいるのに、彼女がキラキラした目でこちらを見ている。その目をアメリカを見たそうな目っていう彼。きらきらした目の彼女を心から可愛いと彼は思う。映画の1シーン?
 読んでいるこちらが微笑みたくなる歌だ。

 同じ歌人からもう一首!

マガジンをまるめて歩くいい日だぜ ときおりぽんと股(もも)で鳴らして

加藤治郎

 短歌を詠むnoterさんのnoteで紹介されていた歌だ。
 不思議なのは、短歌って、一瞬見ただけの歌をなぜ思い出すのだろうということ。語呂がいいからか?リズムが心に残っていたから?加藤氏の陽気な詠み方が愉快だったからかもしれない。

 1959年生まれの作者が若い頃の日本も上昇志向で、入ってくるアメリカにもまだ憧れがあったそんな時代の空気を感じる。



恋なのかどうかはわからないけれど一緒に見たい景色ならある

加藤千恵

 友達以上恋人未満な男の子と。この人なんかいいなと思ったその瞬間が、一番甘やかかもしれない。1983年生まれの歌人が25歳の時の歌。
 男の人の歌が続いたので、彼女の軽やかな歌が心に次々と飛び込んできた。共感の嵐( ´艸`)!
 作者の年齢と共に紹介する。

3人で傘もささずに歩いてる いつかばらけることを知ってる
いつだって見えないものに覆われて知らないものに守られてる
そんなわけないけどあたし自分だけはずっと16だと思ってた
自転車の高さからしかわからないそんな景色が確かにあって
傷ついた方が偉いと思ってる人はあっちに行ってください

2001年(18歳)

「わけもなく悲しくなる」の項目に丸をつけてる性格テスト
わたしたちは甘やかされて育てられてろくな傷つき方も知らない

2002年(19歳)

ドリブルとシューズが床をこする音だけを味方にジャンプするから
この場所が海だったように教室は確かにわたしたちのものだった

2008年(25歳)

さわってはいけないものをこっそりさわる子どものときからの癖
好きなことを好きなだけする生活に一番好きなあなたがいない

2011年(28歳)

女子たちが幸せでありますように(男子の分は男子が祈る)

歌集未収録

 彼女の短歌は、短歌の歌集を初めて出した18歳の頃の瑞々しい感覚を舞台にしたものが多い。彼女の短歌をこんなに沢山、もらうとは思っていなかったけど( ´艸`)自分の胸に次々入って来たのに驚いた。どこか高校時代の女子の普遍的な感情が詠まれているからかもしれない。
 そして、今、41歳の彼女はどんな歌を詠んでいるんだろう。
 18歳から、ずっと歌を詠んできたとすれば、その短歌は日記のようにその時の彼女の年齢と感性を映し出しているはずだ。短歌を初めてまだ2年にも満たない私は、そんな早くから歌を詠んでいる彼女が羨ましい。
 しかし、短歌で面白いのが、タイムマシンのように、自分のあらゆる年齢に飛べること。幼子の気持ちになったり、恋に憧れていた頃、恋人が出来たとき、結婚、中年、親しい人の死など、いつの時代にも飛んで、詠むことができる。18歳の時の感情を詠んだっていいわけだ。


遊ぶ子の群かけぬけてわれに来るこの偶然のような1人を抱けり

川野里子

 たくさんの子供達が遊んでいる群れの中で、1人、自分めがけて走ってきたのは我が子であった。それを見て、偶然のような1人を抱けりという不思議な気分になる。その我が子は偶然のようで偶然でない。スピリチュアルな本で、魂が、母親が選ぶシーンを読んだ。生まれる前の魂たちが、スクリーンに映し出されたいろいろな女性を見ている。ある魂が、ぼくはこの人の所に生まれることにしよう!この人のところに生まれて、この人を幸せにするといって、母を選ぶ。この話が本当だと言う証拠も何もないが、素敵な話だなと思って印象に残っている。
 
 そう考えたほうが面白いなと言う方をいつも選んで生きてきた。

 「三歳までは神」という言葉も好きだが、小さい子には本当に驚かされる。先日、友達が公園で太極拳の教室をやるというので、出かけた。
 そこに若い母親と小さい男の子が通りかかったのだが、男の子は、とことことこと歩いてきて、いきなり、見ず知らずの私を抱きしめた( ´艸`)

 続けて、彼はそこにいたみんなを抱きしめて愛を与えたのだ。

 子どもってスゲー( ゚Д゚)

(略)世界でたった一人の、今目の前にいる子どもと、たった一人の母として自分が向き合うということに「偶然」という言葉を与える客観性。それは、母親の愛が絶対的なものであるとする母性神話に現実的な一石を投じることでもあるだろう。強力な結びつきのようで、意識一つで崩壊することのある家族。その原点を見つめ直した歌とも言える。

(H)

 私の鑑賞が、ただ連想に流れていくのに対し、
 編者の一首鑑賞は今日も流石であった( ´艸`)

 
 道長さまあ~~~💖

 今日は会える!
















 

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