短歌もらいました⑬✧♡
昨日はイケメン歌人の写真までもらって嬉しい。さあ、今日も意外な贈り物をもらうかも!短歌もらいます💖
この歌はもう言葉の羅列がオサレで素敵なので選んだが、あいにく、森鴎外にも詳しくないので編者の鑑賞文を引用する。
全然、書けないよ( ´艸`)
水仙の清楚な姿に似て、うす青くてまっすぐで若い少年が2人寝ている。兄弟だろうか。友だち同志だろうか。水に移る自分の美しい姿に恋をして、水仙になったのはナルキッソスだから、この少年たちにも、ある種の美しさがあったのかもしれない。しかしそれはまだ性愛には届かないうす青い寝姿である。
京都で学生時代を過ごした。振り返ってみると、何も起こらない毎日の日々の退屈さえ、愛しい日々。京都という得難い都で過ごした贅沢。
歌人が別れをつげたのは、京都の町と青春の日々だろうか。
中二病のような彼と僕の説明。今の世でなんの力も持たない2人の様子がうかがえて、おもしろく、寂しい。
黒瀬珂瀾という名前、どうやって出すかとネットでひらがな検索。
画像、歌人の顔が出てきた。
1977年生まれ。住職。春日井健に師事。
(春日井健は大空の斬首の人だ(^^♪)
日本は四季があるので、それぞれの季節が過ぎれば、前の季節を忘れるようなところがある。春の芽吹きに感激して気が狂っていたのに、夏のうだるような暑さにはうんざりし、植物の成長も日常となり、秋は、全てのものが力を落とし、落ち葉が重なり、それをすっぽり覆い隠すような白い冬が来る。そして春を迎えた私は、梅を見るまで梅をわすれていたなと思うのだ。
日々を忙しく生きる人間の記憶のたよりなさ。冬の後に来る梅の命の鮮やかさ。その両方を感じる歌である。
木の下を映える~とか言いながらスマホを持った人間が行き交う様子が見えるようだ。木は自分の身に巻き付いた電飾をどう思っているんだろうか。
木が好きだから、樹の歌が続く( ´艸`)
母の故郷の十三湖の蜆が美味しいのだ。こういう小さな物語も好き。
この歌、初夏と共に紹介したかった。読んだ途端に「やられた!」と思った歌。自分が詠むはずの歌だったという悔しさがある。青と緑のあいだの色が全部好きな私にとっては°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
生活の中で食器を置き、配膳し、食事の後も洗い、乾かし仕舞う女性ならではの生活からの視点がいい。普段身の回りに溢れている言葉が、もっと違う顔で登場するような、新鮮な、表現がどこかにあるはずだ。私が詠む歌がそこにある。
今回の「短歌もらいました」で、「ゐ」とか「ゑ」とか旧仮名遣いの字が出てくる歌が4首ぐらいあった。この歌も失われていく日本というイメージで、さっと選んだが、雪占(ゆきうら)という言葉もわからず、鑑賞文を書けなさそうである。消えゆく日本に待った!という気持ちで選んだ一首。
「雪占」というタイトルの歌集であった。
愛する人を亡くした悲しみは、意味不明の方法でしか癒されない。音楽をただただ聴くとか、羊羹をまるかじりしながら一升瓶を立てて日本酒を飲むとか、しかし、すべては、時間が癒していく。悲しみが身に満ちるまでじっくりと悲しみから逃げず、味わうのがいいのだ。
前回、自分が言っている言葉の現象を宇宙は返してくると書いたのだか、「短歌タイムカプセル」から短歌をもらうことが、道が長すぎると書いていては、本当に、終わらないのではないかと、不安になって来た。
まだまだ道長様~~~って言いたかったのにwww
そこで、道長様を呼ぶのを我慢して、「光る君へ」つながりで別な方を呼ぶことにする。
光る君でもいいんじゃないかという美しさw
光る君ってつまり、道長とか一条天皇とか、高貴な方のいいとこどりの男です。つまり紫式部の、理想の男コラージュなのですね。