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本日の目的地は奈良市の霊山寺(りょうせんじ)です。 近鉄富雄駅から2K程度の道なので歩いていくことにしました。 川沿い東側は3車線道路。西側は農道か河川管理道路?のようで、事前にちらっと地図で確認したところでは、これを道なりに行けばつくはずです。 ここら地域の水辺は、ガードレールとかないので、ふらふらしてたら容赦なくポチャる。ここら辺、ため池とかも柵なしなので、こどもの自転車練習とかをこういうところでやったら危険かと思われます。 そういえば私や同級生は、自転車練習時に
奈良公園、6月は小さい鹿ちゃんがいます。 遠くからみまもって🦌 公園内のあちこちに、小さいのがいる!! この日は三月堂(法華堂)へ。 ツアーや学校行事の場合、目的はは大仏殿なので、この日に奈良公園を訪れた中で大仏殿より東に進んだ人は、1~2割くらいだと思う。 東大寺を建立した、45代聖武天皇の皇太子で、生後1年足らずで夭逝した基王の菩提寺。 観音様が手にしている羂索(けんざく)で、一切の衆生を捕縛するようにもれなく救う。 という意味らしいのですが、狩猟道具か武器だ
10月17日は、年に一度の南円堂開扉日です🦌 仕事の都合上、当日の朝まで東京にいました。 私は前日の夜より当日朝の移動のほうが楽な、朝型人間です。 JR奈良駅着9:20 開扉9:00から 到着9:30頃でだいたい30分待ち。 南円堂は、奈良公園の中のお堂の一つです。 猿沢の池の近くにあるので、奈良に行ったことのある人はみんな目にしていると思う。しかし中に入ったことのある人はとても少ないと思う。一年に一日のみの開扉なのですよ。 南円堂は、八角円堂。 八方を統治す
飛ぶ鳥の飛鳥にいます。 飛鳥寺から歩いて、「飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)」。 この神社、国譲りの事代主(ことしろぬし)が「八百万の神々を統率して天に昇った」ことを称ています。 国譲りをさせられた側が「統率して天に昇る」がどういうことかって、標準的な想像通りでいいんだと思うんですが・・・ 本社の御祭神、正確には「八重事代主」とされています。ほかの祭神は鎮座しているんですが、筆頭は「八重事代主」。 ヤエと言えば出雲に「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る
橿原神宮前駅から、歩いて飛鳥方面に行くに。 向原寺 崇仏論争の時に蘇我稲目が仏像を安置した寺。そのあと疫病が流行って反仏の物部中臣勢力に原因視されて焼き払われてしまった。持統天皇時代に栄えたけれども、平城、平安と遷都があって衰退。今もお寺は静か。 この日は9/8(日)。 翌九月九日は重陽で登高の日。 陰陽的に、偶数が陰で奇数が陽。 九は陽の最大値が重なるので重陽。 この日に高いところ(山とか丘とか)に登って 茱 萸(しゅゆ)をさして無病息災を祈るという風習があります。
9月の初めの土曜日に信貴山。 信貴山下駅から歩いていきます。 駅前は大雑把な案内地図しかありませんでしたが、見えている山の方向を間違えるわけもないと思い、とりあえず道なりにアスファルトの通りを上りました。 ハイキングコースを出てからも舗装路を暫く上ります。 舗装路になると虫は消えました。
キキお薦めの社寺① 賣太神社 〝記紀〟ゆかりの地を訪れている私としては外せない神社です。『古事記』の語り部 稗田阿礼をお祀りされている賣太神社。 Facebookの社名が「Meta」になり、メタバースのサービスが急速に普及する昨今。そして昨年、阪神タイガース優勝で岡田監督の「A.R.E.」が流行語大賞に選ばれるなど、〝めた〟に〝あれ〟ですから(運気)来てますよね!賣太神社 稗田環濠集落 『古事記』『日本書紀』ゆかりの地を訪ねています。よろしければフォローお願いします。
唐招提寺の最寄りの駅は奈良市近鉄西ノ京駅。 京都から見て西ではありません。平城京宮を真ん中に考えて西ってことです。京終(きょうばて)も、平城京からみてのはなし。奈良市民でもまさかの誤解をされている人が少なからずいるのですが・・・ 駅から唐招提寺へ、道なりにいくと素敵なレトロ看板があります。 初夏は唐招提寺を含め、西ノ京~西大寺の西大寺・喜光寺・唐招提寺・薬師寺がちからをあわせてロータスロードという企画をしているらしいです。共通パスとか記念品とかがあるらしいです。でもわたし
大和神社 奈良県天理市新泉町 ご祭神 日本大国魂大神(大己貴神の荒御魂) 八千戈大神(大国主神の異称) 御年大神(素戔嗚尊の御子神) オススメの社寺と言いつつ、古代史の謎へご案内します(笑) 『好去好来』 私が大和神社に興味を持ったのが、山上憶良の歌『好去好来』です。「さようなら、ご無事でご帰還を」という意味で、遣唐使として出発する(733年)多治比広成に向けて詠んだ歌とされます。山上憶良自身も702〜707年、遣唐使随員として唐へ行っていますので、命がけの旅であるこ
神武東征の旅第19話 論功行賞を行うの巻 『古事記』には記されませんが、『日本書紀』では東征メンバーに論功行賞が行われたことが記されます。 順番に見ていきましょう。 道臣命 東征出発時点では日臣命でしたが、八咫烏の先導により、久米部を率いて宇陀への道を切り開いた功績で神武天皇から道臣命の名を賜る。天孫降臨で瓊瓊杵尊に随伴した天忍日命(別名 日臣命)の子孫。大伴氏の祖。「宅地を賜った」とされる築坂邑は、現在の橿原市鳥屋町付近。 集落内にある鳥坂神社です。現在のご