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「人と一緒にいること」の政治学

山の上にある居心地の良い本屋で、宇野重規「未来をはじめる」という本と出会いました。作者は、普段は大学の先生です。しかしこの本は、女子中高生にむけての講義内容をまとめたものなので、身近な人との関係から政治を考えさせるという分かりやすいもので、とっても良かったです。考えさせられすぎて、病みました。

みんないろんな考え方をもっている中で、何かの規則を作る時、どうやってその規則をつくっていけば、みんながハッピーになれるのか?ということを考えてみようってのがこの本のテーマです。

そこで、過去にその方法を考えてきた人たちの考えが紹介されました。とりわけ印象的なのはルソーでした。ルソーが現代に生きていたら、Twitter廃人に違いないといいます。ルソーは、人と深くつながっていたいけど、自分の個性も大事にしたいという考えをもっており、それをどうしたら実現可能なのか悩みまくる生涯を送ったとのことです。

後悔というか過去の回想というか自己分析

しかしそもそもですが、個性が十人十色だということを私は最近やっと気がついたようなところがあります。(もちろん、十人十色だとわかってはいたはずなんだけども…と、わけわからない思考なう)なので、みんなで話し合って決めるというのがいかに難しいのかを、やっっと実感し始めたところがあります。

私は中学生の頃に対人関係において思考を止めてしまったようです。自分が悩むのが嫌だから、他の人も自分と同じ考えを持っているということにしたのです。全部その判断にしてサイコパスな極端にKYな性格になったわけではないですが…多少は対人関係に悩む時間が少なくなっていたと思います。しかしそれと引き換えに、悩まなかったが故に残念に思うものがあります。それは、相談や説明が苦手になったのと、自分はミーハー過ぎてつまらない人だと思うようになったことです。

相談や説明が苦手だから、よく人から「あなたはAからすぐにBに行ったけど、その過程がわからないから理解できない」と言われることがあります。私としては「そんなん説明しなくてもわかるじゃん」と思ってしまいます。相手も当然同じ思考をすると思ってしまうので、そう考えてしまうのだと思います。

次に、みんなと同じことを自分も考えているから、自分の考えなんぞ面白くもなく価値はないと思いがちです。だから、自分の考えを伝えることに苦手意識がものすごくあります。逆に、みんなが変人に思える時もよくあります。友達にそのことをいうと、あんたに言われたくないと言われますが。

なんやかんやがあり、やっと、人の考えって色々なんだなと実感し、人の内面に興味を持つように、やっとなったため、この本を手に取りました。

さらに反省と気づき

で、この本では、どのようにいろんな意見を集約していくのかについて書かれています。多数決ってそもそもどうなの?とか、投票するにしても重みづけをした方が良いのでは?とか。決め方についてあんまり考えたことがなかったので、今の政治の投票方式がとても偏りが出てしまう方法だと知って残念に思いました。

ということを本で学んでいた頃、ある友達グループで遊びに行く予定を立てていました。その時のまとめ役の子がとてもよく合意を得ていて感動しました。子供やみんなの住んでる場所がバラバラなため、結論としては私が予想していたものと同じだったのですが、ちゃんとその過程をふんでいるから、少し損をしてしまう子も納得がいくようなものだったのです。もし私がまとめ役だったら、色々とすっ飛ばして、損してしまう子には察してもらって、強引に決めてたような気がする…と思うとめちゃ恐ろしいと思いました。

このような丁寧な決め方を私ができるのか…まぁ仕事ではむしろ自分が相手のことをあまり考えないと意識してるから逆に悩みすぎて毎度苦しく感じてるのですが…バランスですね。こういう決議のときにバランスよく進められる人になりたい。そうでありたい。そんなことを思ったわけです。

追加の反省と自己嫌悪

で、この本の最後には、ハンナ・アーレントという政治思想家の紹介があります。「思考しないことが凡庸な悪を生む」とのこと。上記のとおり、私は思春期の頃に思考しないことを選択したので、グサッときました。ハンナがこの言葉を話したのは、戦争でたくさんの人を虐殺した人に対して「この人は上からの命令にただ従っただけ」という例を用いていました。思考しないことが兵器になるとはおそろしや。コンプライアンスの違反とかよく言われてますが、私もそういった類のことはちゃんと自分の良心に問いかけるタイプだと思ってましたけども、まぁわからんですな。勇気を持って、問いかけられる人でありたいです。

ということで、思考停止していた過去を反省してたら、なんだか自分がダメダメ人間だった気がしてとても辛いんですが、まぁなんか、すいませんでした、です。

からの、感謝

こんなふうに思うと、まじで本当にこのしょーもない私とお付き合い頂いていたandいる、皆々様に敬意と感謝を感じ、一礼からのでんぐり返しをしたいくらいです。

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