長寿アニメが醸成する”家族”の形というアンコンシャスバイアス...どこから無意識の偏見は生まれるのか
■無意識の偏見=アンコンシャスバイアス■
少し前まで、この無意識の偏見について考えている。
いわゆる、アンコンシャスバイアスと言いますが...
■アニメが幼少期に醸成する家族の形■
サザエさん、ドラえもん、まる子ちゃん、クレヨンしんちゃん
どの長寿アニメをとっても
このご時世、多様な家族の形があると言われている中、
絶対に両親が揃っている。
良いとか、悪いとか言っているわけではない。
でもそれが幸せな家族の形であると教えられてきているようだ。
じゃあこれは、家族観に対する偏見を生むのか?
おそらく少なからず、影響はされる。
無意識化において・・・それは醸成されていくものである。
かといって、アニメの中に様々な家庭環境を散りばめろ!というのもちょっと違うと思うんだけどね。
他者に対して自分のバイアスをかけないようにするにはどうすればいいのだろうか?
偏見と捉えるのは、相手が育ってきた環境にも起因する
同じ言葉を聞いても、なんの違和感もなくすんなり言葉として入ってくるかもしれない。
それはどこ、いつの時点から無意識の偏見は発生するのか?
「たぶん、生まれてきた瞬間はきっと”おっぱい”を飲むことしか考えてないだろう。」
早速デタ!!たぶん、これも無意識の発言!!であり、相手によっては偏見かもしれない。
なぜ”ミルク”と言わず、”おっぱい”と言ったのか。
私は子供たちを母乳で育てた経験があり、私自身母乳で育ったという過去がある。
こういう風に自身の育った環境や経験により、形成され醸成されていく自分の中の常識。
かといって、私のこの発言が、”ミルク”で育てている人を偏見しているわけでもないけど、もしかしたらそう捉えられるかもしれない
たくさんの無意識から出てくる言葉の数々は、
・誰が
・どのような角度から
・その発言や行動を受け止めるかにより
・”偏見”と捉えるかもしれない
特に幼少期に記憶されたことというのは特に無意識の偏見につながりやすいと思っている。
相手の育ってきた環境により醸成された無意識の発言に対して、わざわざ傷つかないために、自分自身がそれをどう捉えるのかということを考えていきたい。
■アンコンシャスバイアスに無駄に傷つけられないために...■
①認識すべきは、自分自身 ”も”「無意識の偏見」を持っているということ
②また、自分以外の人間 ”も”「無意識の偏見」を持っているということ
③お互い、悪気があるわけではなく、傷つける意図がなく、「言葉」に漏れ出てしまうことがあるということ
④それに対して、そんなに感情を揺れ動かさなくてもいいと思うってこと。
⑤その人があなたに対して偏見したとしても、あなたを認めてくれる人は必ずいるから!
⑥(難しいんけど)「それちょっと傷ついたよ!」「こういう風に聞こえるよ!」ってことを自然に伝えられる世の中にしたいねってこと
⑦何よりも、自分自身が自分を認めることから全てが始まるのだと思うってこと
⑧何よりも、自分自身が自分を認めることから全てが始まるのだと思うってこと(大事だと思うので、2回言ってみるw)
■私の考えをまとめる■
私は私の心の安定のために書いているだけで、無意識の偏見はそれぞれの相手の置かれているシチュエーションによって、様々な解釈がある。
それは誰にも否定するものでもない。お互いにそうだということ。
無意識の偏見に左右されない自分自身でいたいと思うし、誰しもがそれぞれ相手を思いやることができたら、それも少しずつ薄れていくものだと信じたい。
自分の発言が人を傷つける発言をしたら嫌だな!って思うし、そういう言葉を投げかけられても、過度に反応もしたくない。ごく自然に、そういう考え方もあるよね!でもこうも考えられるんだよ!!って言える自分でいたいと思う。
それは相手の考え方を変えたいわけではなく、自分自身が思うことを丸みを持って伝えたい。
尖った発言をすることでバズる世の中が少し嫌なんだ!ただそれだけ。
SNSにより「少数の大きな声」を尊重できるのは素晴らしいことかもしれないが、私が経験した家族は、一般的な家族観から離れるので、少数の意見である。それを悪戯にピックアップされることも違うと思う。
温かみを持って、丸みを持って伝えてたい。
こういう考えを持つ人もいるというだけで、それでいいんじゃないか。
それに触れることで「お!なるほど!!」って考えてくれる人が増えたらいいし、増えなくても自分自身が無駄に傷つかないための思考や行動を身につけていきたいと思う。
私にとって、それが持続可能な生き方だ!って思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?