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初めての……… care8

※このお話にはグロテスクな表現や差別的な表現が含まれます。また実際の医療とは異なります。
妄想の産物でありフェティシズム、広義の官能小説でもありますが、世界観も重視し、物語としての面白みにも注力した結果の表現・設定であります。
少々、異質な社会、家族、パートナーであれ、そこに愛情や信頼があるのなら、何ら問題はないと作者は考えております。
ご了承下さい。
悪しからず。



「つぎは看護婦さんごっこするのー❗」
「やだよー❗お医者さんごっことおなじじゃん❗」
休日の公園は、ちびっこたちの歓声が爆音となって乱射される無法地帯である。色とりどりつ、ユーモラス、しくは前衛的なデザインの遊具が鎮座ましまし、それを、寄ってたかって、子供たちが攻略している。あたかも合戦、城攻めの様相を呈していた。
「たかちゃん、待ってよー❗看護婦さんごっこしようよー❗」
「やだって言ってるだろー❗」
幼い女の子が、それよりは幾らか年上に見える男の子に遊んで欲しくてせがんでいる。男の子はにべもない。鬱陶うっとうしげに逃げ回り、遊具から遊具へ、忍者さながらに、女の子を躱していく。
駆け回れば汗をかき、
走れば砂埃が立つ。
男の子はクマだか犬だか分からない遊具に潜り込み、女の子の追撃を躱す。
「ねえー❗」
「しつこいなあ❗じゃあ……」
体操選手のように、隣接する遊具、ジャングルジムへと飛び移った男の子はするすると瞬く間に天辺に登頂した。
「ここまで来れたら、一緒に遊んでやるよ❗」
「えー……」
女の子が高いところが苦手なのを分かった上でそう告げる、ささやかな意地悪だった。ちっぽけな優越感だった。
男の子は、忘れない。
この日の己を呪い続ける。
女の子は、忘れない。
この日を乗り越える為に生きていく。
「は・や・く❗️」
「そんなー💦」
ニヤニヤと笑って、男の子はジャングルジムの天辺に腰掛けた。
汗と、
砂埃と、
慢心。

“ずるっ”

「!!!???」

不幸は何処にでも転がっている。
誰にでも平等に不平等はもたらされる。
それを知るには、二人は幼すぎた。

梅雨に入るというある日。
空模様まで不安で涙ぐんでいるような天気だった。
先ほど看護婦がカーテンを開けていったが、窓からの陽射しは弱く、明るさもぬくもりも、怯えているようにか弱い。
太陽までもこれから起こる事を見ていられないと、ブルーになって、重たい雲でまなこを塞いでいるかのようだった。
「ゆうくん、お注射しましょうねー💉」
スラリとしたパンツの白衣姿。もうすっかり看護婦たちと親しいのですぐに誰なのか分かる。担当でなくとも、たまに夜勤で巡回にくる他の10階の看護婦たちも、みんな大体、顔馴染みになってもいる。
注射の上手な三谷看護婦だ。
「お注射するの?」
絶食の為、既に鼻カテーテルは抜去されているので言葉は明瞭だが、その声の大きさは消え去りそうな小ささだった。
「うん、手術の前に、不安がラクになるお薬を注射するのよー❤️」
いつもより一際ひときわ優しげな三谷看護婦の言葉に、ゆうの心臓の鼓動は急速に早まり、にわかに気が遠くなった。何だか、却ってこわい。
布団がめくられる。
既に早朝から浣腸をされて排便・腸洗浄をしていたので、おむつはキレイだった。
「ちょっとごめんねー🎵」
寝巻きの前をはだけられた。その右肩を大きく露出させられ、アルコール綿が消毒していく。
「肩にするの?予防接種みたい」
「そうね、人によってはこっちの方が痛いかもしれないけど、手術が怖くなくなるようにちょっとだけ我慢してねー❤️」
手術の30分から1時間前に前投薬として筋肉注射する鎮静剤である。結構、体質によるとされるが、おおむね痛い。比較的難易度の低い手術や、侵襲の少ない手術には不要との論もあるが、患者の不安をやわらげ、感覚器を鈍らせて苦痛に鈍く、反射を緩慢にする為には必要不可欠である。
ちなみに、帝王切開カイザーで下手な麻酔を行うと、赤ちゃんにまで害が及ぶので、全身麻酔は推奨されない。
脊髄くも膜下麻酔ルンバール(背骨にぶっとい注射で局所麻酔をする。大体、胸から下の感覚がなくなる)か、硬膜外麻酔エピドラ(同じく背骨にぶっとい針を刺し管を留置することで、強烈かつ長期間の麻酔効果を発揮するが非常に難しく職人技。赤ちゃんにはほぼ害がない)が計画的手術の帝王切開では行われるが、妊婦と赤ちゃんの大きさにもよる。持病のある方、極端に痩せている方、太っている方、高齢、若年、緊急手術etc……イレギュラーなものほど麻酔は困難となり、仕方なく吸入麻酔による全身麻酔となる。当然、赤ちゃんに害が及ぶが、仕方ない。帝王切開は最も歴史の古い手術の一つであると同時に、古来、妊婦の死亡率は100%に近いものだったのであるから。さっさと分娩させなければ、どちらも死んでしまう。むを得ない。
それも出来ない場合は、お腹に執刀医が直接、局所麻酔(浸潤麻酔)の注射をして開腹する事となる。
当然ながら、痛いどころではない。
だが赤ちゃんを死なせるよりはいい。
分娩不可能と見ると、赤ちゃんを殺害して娩出させる事がほんの百年前まで行われてきた。
現在でも無いとは言えない。
赤ちゃんを失った母親の苦しみは如何ばかりか…………
その喪失感たるや、、、、
否、
赤ちゃんだけではない。
四肢や臓器もそうだろう。
失った虚無にファントムペインという魔物が住み着く事となる……………

「チクッてするよー💉」
「う……いったぁ😭」
針は細いのだが、その薬液が痛い。染みる。少量だが、注入された腕がズキズキと痛んだ。
「ごめんね、痛い痛いね❗だんだん、ワケわからなくなってくると思うけど、怖くないからねー💕💕」
と看護婦は肩に絆創膏をあてがう。
よく、筋肉注射・予防接種などの後は揉む人がいるが、特に医学的な意味はないのでやらなくていい。というか、痛いだろうに。絆創膏やガーゼは、出血してるから貼ってるだけであって、血が止まればその日の内に剥がしてよい。何かを防いでいる訳ではない。
「大丈夫、大丈夫🎵」
着衣を整えて布団を掛けると、看護婦は少年の髪を撫でた。
ズキズキする肩、ズキズキする度に、なんだか気持ちがぼんやりふわふわとしてくる。
なんだろう、
なんだろう、、
なんだろう、、、
なんだろう、、、、


「ゆうくん、手術の時間よー🎵」
ぼうっとしていると何時の間にか小一時間経過していた。鎮静剤を打たれた体は気怠けだるく、どこか意識もぼんやりとしている。それでも迫り来る試練の時はまざまざと理解でき、四肢は強張こわばり、体がちぢこまる。
あやのの何時もとは違う、クリーンキャップにプラスチックエプロンという出で立ちも、なんだか怖い。
「がんばろうねー🎵」
ストレッチャーを押してきた三谷杏、小田歩美が、ベッドにくくりつけられたベルト……四肢を抑制していた手首・足首の抑制帯が外していく。久方ぶりに自由になったゆうだが、暴れたり抵抗する気力も涌いてこない。逃げる気も涌かないし、逃げたところで逃げ切れるとも思わなかった。
「あー、ダメダメ❗️」
それでも手術は恐怖でしかなく、少年はごろんとベッドの上で転がり、丸くなった。繭、貝のように身を丸める。抵抗にもならない、ちっぽけな駄々、イヤイヤに看護婦たちは苦笑する。
「手術嫌なの分かるけど、ダメだよー🎵」
「ヤダヤダって言ってると、もーっと怖い手術になっちゃうからね?」
と三谷看護婦が足首を掴む。
「んだべ。おっがな゛ぐども、がんばるずら❗️」
歩美がカテーテルが引っ張られないように庇いながら蓄尿袋ハルンバッグをストレッチャーに移した。
「はい、おっきして❗お帽子するよー🎵」


あやのが不織布のクリーンキャップを被せた。頭髪の脱落、傷口への付着・混入、器材の汚染を防ぐ為に、どんな手術であろうと患者にはクリーンキャップを被ってもらう。その慣れない不織布の感触は、少年を更に緊張させた。
「あ、あしたじゃダメ?」
子供らしい事を言う。
「ダーメ❗」
言いつつ、あやのはゆうの上衣を脱がせていく。クリーンキャップとおむつだけの姿がなんとも言えない。
「自分で乗れるかな?」
「…………」
なるべく、もたもたと動いていると、直ぐに看護婦たちが手を差し伸べた。
「はい、いくよー❗️せーの❗️」
三人の看護婦が少年の体をなかば浮かせるように引っ張り、ベッドからストレッチャーへと移乗させる。寝台というには狭く、結構高さがあるので、怖い。
看護婦たちは、やんわりと少年を仰向けに寝かせ、ぴったり真っ直ぐに伸ばした体をベルトで固定していく。
これは、暴れないように、というのもあるが、転落やバウンドを防ぐ為である。患者を護り、安全に運ぶ為に固定するのだ。
「ぼく、う、うんちしたい」
「そのまましてていいよ?手術室でおむつ取る時にお尻拭くから🎵」
「…………」
脆弱ぜいじゃくで幼稚な逃げ口上も、あっさりと打ち砕かれ……いや、包みこまれて、かえって優しくなだめられる。通じない。
「…………」
これから、ちんちんを切られにいく、という恐怖に少年の恐怖心はこの世に生まれて最高潮に達している。
「……はーい、OKでーす🎵」
ストレッチャーの点滴スタンドに点滴バッグを移し、導尿カテーテルからの蓄尿袋ハルンバッグを引っ掛けると小田看護婦がにこやかに手で⭕のサインを示した。これから、ちんちんを切り取らせに行くというのに、看護婦さんは、病院というところは凄いなと、ゆうは変な感動を覚えた。
「さぁ、行こっか💨」
ストレッチャーが押され、廊下に出る。頭から進むと進行方向が見えずに不要な恐怖心を煽るので、一旦、方向転換し、足側を前にする。三人がそれぞれに左右と頭側を掴んで、ストレッチャーはゆっくりと10階病棟を進んでいく…………
「ゆうくん手術行ってきまーす🎵」
ナースステーションの前まで来ると、あやのは同僚の看護婦たちに呼び掛けた。
「あら🎵頑張ってねー🎵」
「行ってらっしゃい🎵」
「泣かないでえらいね❤️いいこだねー❤️」
と、やんややんやと、声を掛けられ、中には頭を撫でたりする看護婦もいた。みんなに励まされ、なんだかこそばゆい。
「ほな、行ってきまーす💨」
ストレッチャーがナースステーションから離れていく。
あっと言う間にエレベーターホールへと辿り着いた。
泌尿器科の手術室のある手術部は五階にある。
エレベーター前に、
「…………」
病棟主任、木村芽衣が居た。

彼女は小さく手を振ると、エレベーターのボタンを押し、ストレッチャーのかたわらに腰をかがめ、ゆうを覗き込む。
手が握られた。
小さい手。
荒れて擦り切れ、ひび割れた、働く看護婦さんの手。
その両手が少年の手を握り、包む。
熱く、強く、手を抱き締められる。
「あなたはよい子、美しい子」
何時もの、甘ったるい、イカれてんのか?というロリロリした口調ではない、強く、優しい口調。
「私たち、みんなの子。かわいい、かわいい、私たちのゆうくん。みんながあなたを愛してる」
そう言って、ゆうの額にキスをした。
「忘れないで。あなたは愛され、護られている」
微笑み、立ち上がると、エレベーターが到着し、ドアが開いた。
「大丈夫よ」
強い、
シンプルな言葉。
世界一優しい叱咤激励。
ストレッチャーはエレベーターに乗り込む。
閉まっていくドア。
主任は小さく手を振っていた。
ゆうは、彼女が何故主任なのか、解った気がした。

五階───────
手術部である。
姫川病院のオペ室は本館、つまり泌尿器科病棟だけで四部屋ある。これは、やや少ない。別館の外科病棟には八部屋ありそれぞれ1日に3、4件の手術をこなしている。大学病院などになると、手術室三十室❗️という巨大病院もある。中には、ここは心臓外科手術室❗️こっちは脳神経外科手術室❗️と専門的に特化していたり、遠隔手術や腹腔鏡など先端医療専用だったり、救命の処置室も兼ねる、という所もある。
これは痛し痒しで、オペ室の数が増えれば、当然、スタッフが必要となり、あっちで働き、こっちで働き、とオペ室を掛け持ちする羽目になる。ここまでやったから後ヨロシク👍次いかなきゃ💦は、医療過誤に繋がりかねないし、本人もやってられないだろう。
沢山、オペが出来れば助かる患者も増えるだろうし(決して相対的にではないが)いやらしい話、病院の利益にもなるが………
無数の手術室を備えた大病院の手術室稼働率は7割程度だとされる。要するに、使ってない、使えないのだ。
簡単なオペならこなせる設備のある二次救急程度の処置室と、それが出来るスタッフの育成や確保こそ重要に思う。
姫川病院はその辺、堅実で、無理はしない方針により、泌尿器科手術室四つ❗でやって来た。これでも、結構、厳しい。フル稼動するには、少なくとも、それぞれに執刀医が1人、助手が1人、器械出しナースが1人、外回りナースが3人、声掛けナースが1人を✕4しなければならない。最低28名。中々、厳しいものがある。
無論、各々の能力やシフトの都合もあるし、何より患者の容態に左右される。
現在、姫川病院には研修医含め12名の泌尿器科医がいるが、それは姫川院長を含めてのものである。外来と病棟、オペ室まで同時に回すのにはギリギリと言っていい。病院の役職はその個人病院と大学病院で異なるが、院長、副院長に次いで偉いハズの部長である如月医師が小学校の検診に自ら赴くのであるから、、、、
これでもかなり無理をしているのが伺える。
姫川病院の手術室が全て埋まる事は滅多にない。
それは『手が足りないので使うに使えないから』なのだった。

「………………」
空気が違う。
五階手術部は流れる空気すら清潔なようで、エレベーターから降り立った途端に、肌がぞわりと粟立った。
しーん、としつつ、びりびり、という張り詰めた目に見えない何かが支配している。
ストレッチャーは『人の体を切り刻む為の建物』という閉ざされた異界を進む。
大抵の手術部の造りというのは、外周に不潔区域であるエレベーターや廊下がぐるりと囲んでいて、中央に手術室が配置されている。ど真ん中に清潔区域の廊下があり、それぞれの手術室が包囲するようになっていて、上から見たら贈答品のクッキーの箱のような形だった。互いに連絡し易いようにとの配慮である。手術の準備や片付けにも楽チンだし、前述したように人手不足で掛け持ちする際に、オペ室間の移動を迅速にしている。
パッと見は妙な造りだが、ちゃんと意味があるのだ。
姫川病院には患者が搬入される外側のエレベーターホールから手術前室が中央の清潔区域を挟んで二つ在り、前室1が手術室A・Bに、前室2が手術室C・Dに繋がっている。
ゆうを乗せたストレッチャーは、手術前室1の前で止まった。
二重のガラス扉の向こうで、手術着の看護婦が待機している。
看護婦が会釈し、ドアが開いた。
「おはようございますー🎵鷲井ゆうくんでーす🎵」
「はーい」
と、あやのから渡された書類をチェックする。
「ゆうくん、うんちは?」
「あ、うんちですかー?」
オペ室の看護婦もゆうを覗き込む。
「……で、出そうだったけど出なかった」
本人も忘れていた先ほどの小さな言い訳の確認を取られ、ゆうはしどろもどろに答えた。
「したかったら、今のうちにしておいてねー🎵」

曖昧に頷いていると、すぐに数名の手術室勤務の看護婦たちに囲まれた。病棟看護婦からストレッチャーごと、ゆうは手術室看護婦に受け渡される。

「ゆうくん、病棟で待ってるからね❤️」
と三谷看護婦が手を振る。
「うぐっ……が、がんばるべぇよ😭」
目を真っ赤にして涙を滲ませる小田歩美。その尻を蹴るあやの。
「う、うん…………」
「じゃあ、またね🎵ほら、いくよ💦」
「じゅじゅづのぜいごうをいのっでるがんな😭」
感極まったらしい歩美を引き摺って三谷杏は去って行った。
あやのは………
「ずっと一緒におるで👍」
“声掛け”として、手術に参加するのだ。患者の全身状態を管理し、オペの機微を読み、治癒までの流れを作る……ゆうの生き死にを委ねられていると言っても過言ではない。
「ゆうくん、ラッキーだねえ❗あやのさん、ベテランだから安心して🎵」
「先生に文句言ったりするしねwww」
オペ看たちが笑う。そうなのか。
「しーっ❗」
ケラケラと笑い、看護婦たちはストレッチャーを運命のドアへと動かした。
手術室Aの足元のフットスイッチが蹴るように押される。
天の国の門ヘブンズドアが開いていく─────────
白い、
白い部屋だった。
まばゆく、
ひたすらに白く、
白く───────────


「……ねえ、お姉ちゃんてお医者さん目指してるの?」
「そうよ」
何の合間だったかはあまり憶えていない。両親が席を外し、二人きりになった時だった。ふいに弟が問い掛けてきた。
「だからこうして受験勉強してるの」
と、先刻から開いていた問題集をバシバシ叩いて示す。
中三の夏だった。
暑い夏だったか、涼しい夏だったか、それもよく憶えていない。 
県外の有名校に受かる為、その夏は塾と図書館、そして病院との往復で全てだった。医学部受験すると決めてから、高校も偏差値の高い難関を狙っていたので室内で勉強漬けだった。
セミの声さえ聞いたかどうか…………
もっとも、そこから三年あまり、まともな記憶が残っていない。
子供でいられた最期の記憶は、入院している弟との病室で交わされる他愛もないやり取りだった。
「お姉ちゃんてカレーも作れないじゃん。お医者さんになったら超ヤバい。超怖い先生だよ」
「はぁ?何で料理がでてくるの?」
「お医者さんになったら手術するじゃん。包丁もつかえないでしょ、お姉ちゃん」
「カンケーないっての。外科医じゃなくて私は……」
内科医になりたかった。
手術、外科治療で助けられない患者も、内科的な治療で助けられる可能性がある。
既に三回手術をして、もうこれ以上は……と言われ、今は数%しか効果の期待できない抗癌剤にすがる弟を助けたかった。
「いいの、手術もうまくなるから❗」
「うまくなるまでに患者さん死んじゃうよwww」
「…………」
小児脳腫瘍。
10歳の弟がある日、激痛を訴えたことからこの日々は始まった。
もう1年、か。
まだ1年、か。
発見された時、既に脳幹にまで浸潤し、最初の手術では半分近く摘出できず、更に大きく開頭した二度目の手術では言語や四肢に麻痺が及びかねないギリギリまでアプローチしたが、それでも全ては摘出できなかった。
二度目の手術から半月もしない内に水頭症を起こし、脳脊髄液の排出の為に脳から腹腔へ管を通すシャント連絡手術を受けた。命は助かったが、圧迫された視神経が完全に元通りになることはなく、弟は弱視となってしまった。
これら一連の手術は延命であり、治療ではない。
「ぼくも死んじゃうだろうけどね」
「やめなさい」
「しょうがないよ。あのすんごい痛みをとってくれただけでも先生たちに感謝してるもん」
「やめなって」
「死ぬとき痛いかなあ。まあ、死んじゃえばわかんないよねwww天国あるといいんだけど」
「私が医者になって治すからっ❗」
「無理無理wwwそれまで生きてんの無理くさいよwww」
弟は、既に達観し、全てを受け入れていた。
姉は、現実を受け入れられず、幼い現実逃避をしていた。
「世界中のお医者さんが、何百年も研究しても、治せないんだから。お姉ちゃん一人で治せるわけないじゃん。きっと、これはなんか、運命とかかもしんない」
「そんなの認めない」
問題集がくしゃくしゃに歪む。死への認識5段階【否認】【怒り】【取引】【抑うつ】【受容】というものがあるが、弟は完全にこの最終段階【受容】の状態だった。
「ねえ、僕の為にお医者さんになるとかゆうなら、いいよ別に。ありがと」
「…………」
「あ、お母さんもママも、いないから言うけど、そんなにお金ないでしょ、うち。医学部ってお金大変なんでしょ?」
「国立受けるから大丈夫なの❗足りなきゃバイトするし❗」
「ふーん??」
そう主張する姉の方こそ年下のようで、弟の方が年上のような、奇妙なやり取りが続いた。
「そうだ、お母さんたちいないから、ついでに」
「なによ」
「お姉ちゃん、ごめん。お姉ちゃんのブラジャーつけてみた事あるんだ」
「はあ?」
急に何を言い出すのか。
「キレイだな、って思って。ブカブカだったけど。かわいいんだもん」
「…………」
「ちんちん切ってもらいたかったなぁ……どーせ手術するなら、脳みそだけじゃなく、ちんちんも切ってほしかった。同級生は精通がくるの怖いってゆうけど、僕は、こんな気持ちわるいの早く手術でとってもらいたい、って思ってるよ。ずるいじゃん、女の子って。オシャレでかわいくてさ」
それはもう、叶わないだろう。
仮に本人がどれほど陰茎切除手術や精巣摘出手術を望んでも、体力的に、もたない。そのまま術中死亡テーブルデスするだろう。
女子の制服を着て登校することも。
下着を選ぶ悦びも。
その未来はついえた。
「僕は、なんていうか、キレイなものが好きなんだよ。ファッションデザイナーとかになりたかったなぁ」
「な、なれるよ」
「無理だって。来週あたり死んじゃうかもしんないし」
涙が溢れた。
弟の前で、問題集に顔を突っ伏して泣いた。
「お姉ちゃん、泣かないでよ💦」
「……っ……っ……」
「えーと、あのね、お姉ちゃんのブラジャーとパンツはいて、制服着て、僕、ちんちんいじっちゃった❗ごめんっ❗️」
「そ、んなこと今言わないでよ……っく……しってたし……」
「え!?マジで……ご、ごめんなさい、変なキモチで……」
「下着の畳み方とか変わってるし、制服シワになってたから、なんかいじったなと思ったよ……」
「ほんとごめん💦」
「もういいよ……っく……しょうがないよ……ちんちんあるからしょうがないよ……」
「ごめんね、あーあ、ちんちん取ってもらいたかったなあ……ちんちんと一緒に死ぬのかぁ……」
「お、お姉ちゃんが医者になって、ちんちんも取ってあげるよ……」
「だからぁ、もう間に合わないってwwwでも、ありがとう、お姉ちゃん。お姉ちゃんの妹になりたかったけど、弟でも僕、幸せだったよ」
それから一週間。
弟は天の国に召された。
神様は美しいものばかりを地上から摘み取ってゆく。
姉はそこから数年の記憶がまともに無い。
我武者羅がむしゃらに勉強した。
あの日の約束はもう守れない。
それでも約束を果たす為に。
約束を破らない為に生きていく。
あの子の姉であった事を忘れない為に生きていく。


「こんにちわー🎵」
手術の準備をしていたオペ看……器械出しであろう
看護婦が、微笑んでいる。
まず感じたのは冷気。
手術室は涼しい。年中24℃程度に保たれ、手術が始まると更に冷やされる。骨の内部をいじくる整形外科など場合によっては16℃にまで室温を下げられる事がある。これは、感染症の原因となる菌を抑える為と、単純に、手術着やマスク、手袋を重ねて無影灯の強烈な光を浴びると、暑くて堪らないからである。
「鷲井ゆうくんねー❤️今日はがんばりましょうねー❤️」
あやのと同年代であろう、一人だけ手術着にガウンに重ね滅菌手袋をめている大柄な看護婦は、凛とした声でそう述べた。怒ったら怖そうな人だが、熟練した風格がある。
「器械出しナースの北川さんやで」
「ど、どうも」
何と挨拶したものか困っている内に、北川看護婦は、手術の準備に戻った。器械台、メイヨー台と呼ばれる滅菌された被布で覆われた台に、手術器械を準備している。
手術直前まで、この台は邪魔にならないように手術室の隅に追いやられ、はじっこで器械出しは黙々とセッティングしている事が多い。この器械台も含め、手術室で青または緑の滅菌されたドレープと呼ばれる布は『これは清潔なので執刀医、助手、器械出し以外は触らないで』というサインでもある。何故、青・緑なのかと言えば、血液の赤を見続けて残像現象で目が霞んだりしにくいように、補色となる青・緑が多用されているからである。
「…………」
ストレッチャーが手術台の横につけられた。
ゆうは一瞬、見てしまった。
器械台に並べられた金属たちを。
ギラギラと輝くあの鋭く硬い鉄のカタマリが、これから自分に突き刺さるのだ、あれは全て自分に使う為に用意されているものなのだ、と悟ってしまう…………


手術台─────────
初めて見るそれは、無数の固定具や四肢を抑制する為のベルト、脚を開かせる為の支脚器のついた、何か、巨大な節足動物を思わせる。
巨大なさそりの胸に抱かれた獲物となるのか、
毒針の尾を突き立てられるのか。
手術台、それ自体が怖い。
凄まじいインパクトだった。
その脇にストレッチャーが…………


「ゆうくん、手術台に移るよー❤️」
看護婦がそう告げて、ストレッチャーのベルトが外された。看護婦たちが手を添えて少年を起き上がらせ、手術台へと移そうとする。
「…………」
震えていた。
小刻みに体が震えている。
「ゆうくん?」
「こ、こわいよ……やっぱりやだよ」
「こわくなっちゃった?大丈夫、大丈夫❗️」
背中を撫でられるも震えは止まらない。
「手術やだよ……」
「こわいね、でも頑張ろう❗」
看護婦たちは頷き合い、オペ看たちが脚と腰を抱え、あやのが脇を抱えた。
「は、はなして❗やだぁぁぁ😭」
有無を言わさぬ看護婦たちに少年は怯え、抵抗する。
「あちゃー」
「ダメよー❗」
「暴れないの❗️いい子にしててー❗」
「大人しくしないと、手術出来ないでしょー❗」
鎮静剤の影響下でもがもがと緩慢に暴れる少年は、4人の看護婦により強引に抱え上げられる。鎮静剤で朦朧もうろうとした状態の非力な抵抗は、あっさりと終了した。点滴とカテーテルにより繋がれてもいるので、そもそも逃げようもない。
「やだぁぁぁぁ😭やだよう😭」
少年は手術台へと移された。
「じゃあ、ごろーんしよう❤️頭こっちねー❤️」
「お手てはこっちだよー😄看護婦さんにちょうだいねー🎵」
「鎮静剤、強くしまーす🎵」
体重を掛けて押さえこみつつ、手早く看護婦たちは少年の両腕を真っ直ぐ左右に伸ばし、手術台のベルトで抑制していく。点滴がストレッチャーからスタンドへと移され、バッグもより強い薬剤へと交換される。膀胱留置カテーテルのハルンバッグも、手術台へと移し替えられる。


「脚ひらいてー❗もーっとおっきく開いてー❗️」
「お股閉じたら手術できないでしょー?」
「はい、脚上げてー🎵えらいねー🎵上手よー💕」
ジタバタともがいていた両脚が大きく開脚させられ。支脚器に載せられてベルトで膝を縛り付けられ
た。
砕石位さいせきいと言う。
泌尿器科、肛門科、婦人科の手術の際に取られる体位である。
分娩時の体勢に似るが、こちらは上半身を起こさず、頭は完全に仰向けになっている。その状態で、両足を開き、浮かせて、陰部を全開に広げた恥ずかしくも恐ろしい体位だった。
股関が、丸出し、全開、無防備の観音開き、大股おっぴろげなのだ。
そして縛られている。
もう、
動けない。
「……っ……っ……」
恐ろしく狭い。
手術台とは、ベッドではなく手術をする為のテーブルであると、思い知った。
その狭いあたか俎板まないたのような手術台に横たわり、幾人もの看護婦たちに取り囲まれ、覗き込まれ、様々な準備・処置をされる。これももう既に恐怖だ。萎縮し怯えない者はいないだろう。
オマケに頭上に鎮座まします2つの無影灯だ。
筆者は常々つねづね、その2つの巨大な光源を、火星の衛星フォボスとダイモスに似ているとか思っていたりする。無数のライト一つ一つの凹凸おうとつは、衛星のクレーターっぽい。蜂の巣や蓮の実にも似ているので集合体恐怖症トライポフォビアの人を刺激しかねないが。
大抵、大と小のセットなのも、フォボスとダイモスらしさがある。月~地球間よりも、距離が近い為に地表から巨大に見えるのも、手術台から無影灯の近さ・圧迫感に似る。
火星の地表から見上げた空に、太陽光を受けてきらめく2つの衛星────────
2つの無影灯はまだ点灯しておらず、邪魔にならぬよう、患者に不要なプレッシャーを与えぬよう、アームが畳まれ、脇にけられている。
朝焼けはまだか。
「お手てごめんねー❤️ぎゅーってするよー🎵」
血圧計のマンシェットが上腕に巻かれていく。結構キツイ。
「ゆうくん、お母さん指ぱっくんするねー😄」
その間に、洗濯バサミのような形をした血中の酸素濃度を計るパルスオキシメーターが、ゆうの右手の示指じし(人差し指)を、ぱくりと指先をくわえた。尿を溜めるハルンバッグも新しいものと交換される。
「お胸ごめんね、ちょっと冷たいよー❤️」
心電図のパッドがペタペタと胸に貼られる。冷たく、ちょっと皮膚が引っ張られて痛痒いたがゆい気もする。
手術の準備は着々と完了していく…………


「ストッキングはこうねー❤️」
「え……??」
心電図など、ここまでは何となく分かるが、ストッキング?
おびえながらも不思議に思ったゆうは首を捻って下半身に目をやった。
オペ看が白いストッキングというかハイソックスを用意している。脚が膝までしか拘束されておらず、膝下はプラプラしているのはこれを履かせる為らしい。
「??」
「あんよをずーっと上げてると、血液が回らなくなってまうからねえ。ストッキングでぎゅーってするんよ」
弾性ストッキングを履かされる己の脚を不思議そうに見ていた少年に、あやのはそう伝えた。
下肢は巨大な血液タンクであり、第二のポンプでもある。それをストッキングで外から圧迫する事で補うのだ。上半身の外傷に対するショックパンツというストッキングの上位互換のような代物しろものすら存在する。胸を銃で撃たれたりした際、最悪、下肢を犠牲にして心臓に血液を送り救命するという手段まで在る。
「きつくない?」
「……うん……
そうする間にも、他のオペ看が、手首に抑制帯をめて、くくりつけている。広げた両腕、左右上腕は手術台の固定具で挟まれ、胴体も挟まれ、更にウレタンの保護材でくるむように挟まれ、緩いところは包帯とテープでぐるぐる巻きになっていく。
暴れないよう、手術がしやすいよう、もがいて余計な不慮の傷を負わないよう、しかし、苦しくないように、痛まないように…………
優しい思いやりに満ちた、拘束だった。
「はーい、履けましたー💕」
ストッキングというかハイソックスというか、爪先が出ているのでトレンカが一番近いか?兎に角とにかくそれを履かせ終わると、
「レビテーターつけまーす🎵」
巨大な長靴にアームがついたような物体が手術台に取り付けられる。白いストッキングに包まれた少年の膝下がその長靴に突っ込まれベルクロで、ばりっ❗と閉じられた。クリーンキャップにおむつ、ストッキングに長靴というイカれた己の姿にゆうは眩暈めまいを催すが、そんな異様な姿も看護婦には日常茶飯事で、何ら意に介さない。
「よいしょっと」
左右両脚を長靴に突っ込むと、レビテーターがガチャガチャと持ち上げられた。爪先を天井へと振り上げた『どひゃー❗』と、ずっこけたような体勢となる。ペニスだけなら必要ないが、会陰部までのオペとなると、このようにレビテーターで下肢を挙上する。従来の、縛ったり、吊り下げたりよりも“履かせた靴を持ち上げる”というこのコンセプトは有効で、泌尿器科、肛門科、婦人科の手術に欠かせない。
寒い手術室の中、足だけ暑いような、ヘンテコな状態だった。
「な、なにこれ…………」
両腕だけ大の字で、下半身どひゃーにされ、途轍もなく居心地が悪い。
「ごめんねー、おちんちん手術するには仕方ないのよー😄」
下肢の関節が無理な角度になっていないか看護婦がチェックしていく。神経、血管、靭帯などを傷めないように、各関節の向きや角度を計っていく。
「うう……やだよ……手術しないで……」
ゆうの頬を涙が伝う。
やっぱり怖いものは怖い。
「いややなぁ、こわいなぁ」
その涙を拭き取り、少年の胸を撫でるあやの。

ゆったりポンポンと叩く。
「いい子、いい子…………」
少しだけゆうの恐怖や不安が麻痺していく。
手当て、という言葉は読んで字の如く、患者に手をあてがう事から来ている。
太古の昔、恐らくは、人類最初の医療が手当てだろう。
人は優しく触れられると精神的に癒される。慰められる。ハグの威力も同様である。
そして、痛む患部に手を当てていると苦痛が和らぐ。
これは、痛覚を伝達する神経よりも皮膚感覚の方が強い為で、部位や痛みの程度にもよるが、打撲や肩こりなどは最大60%も痛みを抑えられるという。これをより医学的・解剖学的にして一人でも可能としたのがテーピングと言える。
「いい子、いい子…………」
撫でられている内に、ゆうの全身抑制と、手術準備はおおむね完了した。
「出来ましたー?」
と手術室の隅っこで手術器械を準備していた器械出しの北川看護婦が訊ねる。
「あと体温計でーす」
オペ看が答え、
「はい、ごめんねー🎵」
と、ゆうのおむつをぺりぺりと開き、取り去った。
「❗❗❗」
陰部を丸出しにされ、ゆうの体が強張る。
「うんちでしたっけ?もう出ないかな?ゆうくん、うんち平気?」
「……………」
小さく頷くと、あやのが、
「大丈夫ー👍」
代わりに答えた。
「じゃあ、体温計ねー😄」
とても体温計とは思えない、チューブを用意する。
「力抜いてねー💕」
「あっ……」
肛門にチューブ状の体温計が挿入された。くにくにと突き進み、ある程度で停止する。それをお尻にテープで張り付け、肛門ごとシーリングされた。
直腸から正確な体温を計測する為の直腸体温計である。脇の下に挟む体温計や、非接触体温計は、予測値であって実測された体温ではない。手術の際に、手術という脅威から患者の生命を守る重要なデータとして、正確な体温を計る事が求められる。膀胱から計測するものもあるが、泌尿器科の手術なのでそれは使えない。
「……ううっ……ぐすっ……」
おむつも無くなった。
キャップに長靴という、ほぼすっぽんぽんで縛られている。
羞恥心と、それに倍する不安感に体が震える。
「寒い?」
手術中、患者の体温が下がれば、毛布を掛けたり、温めた点滴を入れたり、電気ヒーターを足元にセッティングするのは外回り看護婦の役目である。時には、体温が下がりすぎると、手足をさすり続けたり、手術台の下に潜り込んでヒーターを下からセッティングして温めたりもする。
「…………」
小さく首を横に振る。
最早、言葉にする余裕もない。
「はーい、オッケーでーす🎵準備できましたー🎵」
「はーい🎵」
北川看護婦が、器械や被布を満載したメイヨー台をカラカラと移動し、ゆうの左側面に陣取った。

「ゆうくん、おちんちん消毒するねー💕」
ポピドンヨード液のたっぷり染みた綿球が、ゆうの陰茎や陰嚢、鼠径部、会陰部を消毒する。
へそから肛門まで、ポピドンヨードの禍々まがまがしい暗褐色でびちょびちょにされていく…………

執拗に感じるほど、看護婦は少年の股関の消毒を丹念に続けている。精液採取の為に毎日、片方ずつ針を刺されていた陰嚢は、ちょっと染みた。
「手術は、まず陰嚢……タマタマを切って、おちんちんを切って、そのあと、おまたにおちんちんを分解して埋め込むからね❤️最後に鼠径部、おちんちんの上をちょっとだけ切って、悪い臓器を取り出すねー💕」
縦に横にと、何度も綿球を変えて消毒しつつ、北川看護婦はそう述べた。それは、あらかじめ聞かされ、分かってはいたが、改めて言われると、恐怖しかない。
ゆうの頭が真っ白になっていく…………

“ちんちんを切ってお腹に埋め込むってなに??”

ピッピッピッピッピッピッ、、、
放心していると、電子音に我に返った。
心電図の音だった。
「ゆうくんの心臓のドキドキね🎵ちょーっと、ドキドキ強いかな……怖いもんね、しょうがないよねwww」
「あらっ……」
北川看護婦が驚いた声を上げた。
看護婦たちが一斉に注視する。
「わぁ」
「あらま」
口々に驚愕する。
ゆうの陰茎は勃起していた。
カテーテルを突き刺したままで、カチカチにっている。
「あら~………」
あやのがこれまで見たゆうの勃起の中でも最大だった。
今まで、彼の勃起したペニスを赤楝蛇やまかがし、青大将と例えるならこれはアナコンダだった。
青黒い血管を浮かべ、張り裂けそうに屹立していた。
最早、
首長竜か。
「……カルテは見たけど、ホントに凄いのねえ」
北川看護婦が感心する。
「かなりのM型ですからねえ」
「どうしよう?邪魔よね……テープで固定できそうもないし、ペニスクランプ使いましょうか?」
亀頭部分を挟んで固定するペンチのような恐ろしい金属を示す。
「まあ、先生来てからでええんとちゃいます?」
「そう?じゃあ、亀頭だけキレイにしましょ」
「ううっ」
パンパンの陰茎先端から包皮がずり下ろされ、そこも念入りに消毒される。
「はい、キレイよー🎵」
消毒を終え、
「ドレープかけまーす🎵」
北川看護婦は、青い滅菌ドレープと呼ばれる布を広げ、少年の体に掛け、覆っていく。
出来る限り、傷口と外部を遮断する為であり、血飛沫などにより汚染されるのも防いでいる。ある程度は保温の役割も兼ねる。滅菌されている為、これを患者に掛けるのは器械出しナースの役割となる。ゆうは、様々なサイズの複数のドレープで、股関と下腹部、顔だけを出した状態にされた。
消毒されたちんちんだけ丸出しという姿は、
まさに『手術』の状態だった。
「……………」
涙がぽろぽろと止まらない。
怖くてたまらない。
なのに、
ちんちんは痛いほどに勃起している。
「先生遅いなぁ」
「ねえ」
時刻は11時くらいか。
精巣摘出に30分、陰茎切除から膣形成に3時間、精嚢などの摘出に1時間、今回、ゆうは忍との事があった為、通常は少しずつの手術を一気に全て行う完全去勢、性転換手術となる為、所要時間はおおよそ5時間を予定しているが………
執刀医の如月医師が遅れている。
既に薬剤は投与してしまっているので、これ以上遅れると、更に増やさなければならない。
「遅いねー」
「ゆうくん、ごめんねー」
すっかり準備を終えた看護婦たちはぼやいているが、ゆうとしては永遠に遅れていて欲しかった。
何なら、このまま今日はキャンセル❗️くらいになったらいい。
と思うのに、陰茎は勃起したままでズキズキと痛む。
心のどこかで、やっぱり病気なんだなぁと納得してもいた。
極度の緊張状態のまま待たされるというのはキツい。
手術室Aの壁の二つの時計……現在時刻と手術時間の二つの表示は、前者ばかり進んで後者は一向に進まない。
30分経った。
看護婦たちはゆうにたくさん話し掛け、なるべく患児を落ち着かせるべく努めた。怖いのを待たせる事ほど、かわいそうな事はない。一体、如月医師はどうしたのだろう………
気の早い医師だと、さっさと入室して待っていたりする。親しいナースとお喋りしたりする人すらいる。
何かトラブルか。
執刀医はまだしも、助手まで遅れるのはおかしい。何か、手洗いユニットが故障したとかかもしれない。
執刀医、助手、器械出しは、手洗いユニットと言われる水道で、指先、爪から肘までをみっちり洗わねばならない。洗った手を拭く為のペーパーすら、このマシンが出してくれて、滅菌状態がキープされる。その所要時間は最低10分。脳外科などの丸1日掛かる手術では、途中でトイレに行ったり、食事に行ったりするので、その度に洗い直す。手洗い待ちはざらにあるが……
そのマシンが何か故障して、自力で洗ったりしているのかもしれない。
「ちょっと見て来ようか?」
外回りナースの一人がそう言った。
手術室は完全に外部と遮断されている。何も聞こえないし、見えない。それは当然、第三者に手術の様子・患者の様子が見えない為でもあり、患者の悲鳴・叫び声が外に漏れない為でもある。
連絡だってそれぞれの部屋の内線にかけるか、かけてもらわないと外の様子は分からない。
外で、例えば、テロリストが立てこもっていたとしても……まあ、そんな事はまずないが。
「先生どうしたのか見てきまーす💦」
ドアに向かった。
その時────────

ういぃぃんん

ドアが開いた。


「うわっ」
入室してきた人物にぶつかりそうになり、つんのめるナース。
手術着姿のその小さな女医は、
「す、すいませんっ❗❗️急患がたてこんでっ❗️❗️如月先生は手一杯なんですっ❗❗️❗️」
石黒ゆうか医師は、周章狼狽し上ずった声でそう告げた。
先日、外科で受け入れていた急患を、泌尿器疾患の場合、直接、本館、つまりこの泌尿器科病棟の手術部で受け入れる事となった、と芽衣主任が言っていた。それが、よりによって今日、実際に起きたのだ。
「ごめんなさいっ❗❗️遅くなってしまって……他の先生方も出払っていて、今、全部のオペ室フル稼動なんですっ❗❗️先天性尿道狭窄の赤ちゃんと、尿管結石からの腎盂炎起こして腎瘻造設術の子と、精巣捻転で破裂ラプチャーの子と如月先生が掛け持ちして他の先生に指示出してて、捻転の子が3日も我慢しちゃったから重体で……本日予定していた他の子は全部キャンセルで、計画手術はゆうくんだけなんです❗️❗️❗️如月先生は捻転から壊死ネクった子から手が放せなくて、それで私が…………」
一番、下っ端の彼女が緊急ではないゆうの所に回されたのだろう。
「お待たせしてしまって、ごめんなさいっ❗❗️❗️」
石黒医師は、スタッフと患児に低頭し、でっかい声で詫びると、
「その間、私が……とりあえず、去勢手術だけ執刀しますっ❗️❗️❗️如月先生が終わり次第、来てくれますからっ❗️❗️❗️」
看護婦たちは息を呑む。まだ経験の乏しい未熟な、石黒医師が執刀する?
一番震えたのは、声掛けのあやのか…………
「……くふ……」
変な笑いが出た。
患児より看護婦たちが恐れおののいた。
「ゆ、ゆうくんっ❗❗️❗️私もがんばりますからっ、ゆうくんもが、がんばりましょうっ❗❗️❗️❗️」
声が震えている。
北川看護婦が差し出した手術用の滅菌手袋に突っ込むその手は、それ以上にぶるぶる震えている。
怖いのだ。彼女も、まだ数回しか経験のない執刀が恐ろしくて堪らないのだ。
患者を病魔や外傷、不条理なハンデから救う為に、患者の体を切り刻み、責めさいなみ、命を危険にさらして、絶体絶命の危機の中から勝利を掴むような行いが外科医療、手術と言っていいだろう。
肉を切らせて骨を断つ、とも言えるか。
まともな神経でできる事ではない。
殺人鬼でもない限り、躊躇ちゅうちょなく、抵抗なく人体を切ったりはできないだろう。しかも助ける為に切るのだ。ハードルはとんでもなく高い。解剖実習の献体を切るのとはやはり違う。
特に、
この小児泌尿器科のクランケは、幼く、痛いと泣き叫び、暴れるのだ。
「……は、はいっ、ありがとうございますっ❗️❗️❗️」
滅菌手袋を装着させてもらった石黒医師が、ゆうの両脚の間に陣取った。小柄な女医の体は、更に一回り小さく見える。
マスクの下のかお、シールドの下の目が、笑っていない。


「………ごめんやけど、ちょっと酸素マスクとガス用意しといて」
あやのに耳打ちされた外回り看護婦が、無言でうんうんと頷き、そそくさと手術室を後にする。
「……無影灯お願いしますっ❗️❗️❗️」
「は、はい」
看護婦が無影灯のアームをスイングさせ、患児の真上に移動し角度を調節する。カッと点灯され、目もくらむ破壊的な光がゆうの体に降り注ぐ。
メインとサブ、二基の無影灯が互いの影を打ち消すように交錯し、術野、ゆうの剥き出しの陰部に光の奔流を浴びせた。
それは曙光しょこうであり閃光だった。
太陽からのフレアに衛星たちは猛烈に輝いている。
その強烈な光が、女医の眼前に屹立した少年のペニスと、ぷっくりとした陰嚢を照らし出す。
火星ならばオリンポス山か。
神々の住みたもう天空のいただき─────
此処ここを、切るのだ。
「先生、ゆうくん、勃起がおさまらないんです」
「え?あ、ほ、ほんとだ……すごいおっきくなってますね……」
今頃気付いたのか、北川看護婦に示された膨らんだペニスに石黒医師は驚いた。
「どうします?ペニスクランプで固定します?」
「え、えっと……とりあえずは、このままで大丈夫です……私は精巣の去勢だけなんで、終わる頃には如月先生いらっしゃるでしょう……」
「分かりました」
と、器械出しはゴムリングを用意する。
「はい、ゆうくん、ごめんねー❗タマタマ縛るからねー❗」
「う……いっ……」
看護婦が、ぎゅうっと陰嚢をゴムでくくった。精巣が、ぷりんとはち切れそうにせりだす。既に看護婦はメスに手を掛けている。
後はもう、、、、、、
後は、、、、、
「……先生」
「は、はい」
びくっ、と肩を震わせた石黒医師は、全てが整ったのを悟り、震える手を差し出した。
「そ、それでは手術を始めますね……」
何時もの大声はない。消えそうな声で女医は宣言した。「……メス……」
手術が始まった。
初めての手術が、、、、、、

精巣摘出術、または除睾術は比較的簡単な手術である。
単に精巣を取るだけなら、陰嚢左右を数センチ切開して精巣を引き摺り出し、精索を結紮けっさつ切除して閉じるだけで済む。片方だけなら鼠径部からのアプローチも可能だ。ベテランドクターなら助手も使わずに、20分ほどで済ませる事も出来る。だが今回は陰嚢を膣形成に再利用する為、縛られた陰嚢の真ん中を正中切開してアプローチする。出血は増えるし、操作も難易度が上がる。
「…………」
滅菌ドレープにより少年から女医はよく見えない。
女医からも少年の顔はよく見えない。
だが見えなくとも分かる。
患児は震えて泣いているであろう事が分かる。

“見えなくて良かった…………”

研修医石黒ゆうかは、自分と同じ名前の少年の陰嚢にメスを入れた。

小刻みに震える刃が患児ゆうの陰嚢に接触する───────

ずっ

「い゛っ゛!?!?!?」


予防接種など比較にならない激烈な痛みが来た。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
「ゆうくん、我慢、我慢❗️」
「がんばってー❗」
「いい子だから我慢ねー❗」

ぞっ

ぞ─────────っ

「先生、浅いです。もっと深く。もう一度」
器械出しの北川看護婦が厳しい声でそう囁く。
「は、はい………」

ずっ

ず───────っ

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛…………」
パックリと、
木通あけびのように、
陰嚢が開いた。
じわりと出血が始まる。
「も、モノポーラ」
「どうぞ」
器械出しは使い終えたメスを受け取り、既に用意していた電気メスを手渡す。
組織を高周波電流で焼き切り、血液を凝固させる為、皮下組織を焼きつつ止血させられる。
「ゆ、ゆうくん、えと、電気メスで血を止めますね❗」
「ゆうくん、熱いからねー❗️」
僅かに動かせる太ももを閉じようともがき、泣き叫び続ける患児ゆうの頭を、あやのは両手で抑えつける。他の看護婦たちも上半身を抑える。

ジッジッジジジッ

「いだいいい❗️❗️❗️やだぁぁああ❗️❗️❗️こんなの我慢できないよぉぉぉお❗️❗️❗️看護婦さん、助けてぇ😭😭😭😭」

細い煙と肉の焦げる臭いが

出血が収まっていく

「……お上手です」
焼いた端から北川看護婦がガーゼでぬぐっていく。
「あ、ありがとうございます」
石黒医師は必死だ。
電気メスの熱ではない熱で、シールドの中は玉の汗を浮かべている。
「偉そうにすみません」
「い、いえ❗……どんどん教えて下さい」
ベテランの器械出しは経験の浅いそこらの医師よりも遥かに手術に詳しい、分かっている。何が要るか、どうすべきか、取捨選択、優先順位を熟知し、予測している。圧倒的な経験値に裏打ちされたアドバンテージがある。


「……もういいと思います」
「は、はい」
電気メスを戻すと、今度はハサミをバシッと手渡された。ベテランの器械出しは、異様に素早い。次に何が必要か、無数のパターン、選択肢、そして最適解を先読みしている。
「痛いぃよぉぉぉ❗❗️❗️❗️もうやだよぉぉ❗️❗️❗️手術やだぁぁぁ😭😭😭ママぁ😭😭お母ぁさぁん😭😭😭あやのお姉ちゃぁん😭😭😭おうちにかえるーっ😭😭😭」
「…………」
渡されたメッツェンバウム剪刀せんとうは、組織を剥離しつつ細かく切り取るのに用いる。その為、非常に細く、鋭い。


「ゆうくん、は、ハサミでチョキチョキしますね❗」
この状況で震えながらも患児ゆうを気遣い声を掛ける石黒医師を、看護婦たちは立派だと感じた。
患児ゆうの開かれた陰嚢がゴムにより、ぶりんと 精巣鞘膜せいそうしょうまくと呼ばれる皮下組織を露出している。そこからうっすら見える精巣は前後に折り畳まれるように固定されており、これを切り離し摘出していく……………
「まず右からいきますよー…………いい子ですねー❗️えらいえらい❗」
未熟な女医は己を見失わないように、患児ゆうに声を掛け続ける。
声を掛けながら、如月医師の鮮やかな手技ならこんなに痛がらせる事もないのに、と歯痒く思う。
ぶるぶる震えながら不器用にメッツェンを操作する自分の未熟さに絶望する。もたつき、余計な傷をつけ、患児ゆうを余計に苦しませる。これで医者なのかと情けなくて涙が滲む。
それでも剥離を終えた。

“ぶるり”

右の精巣が引っ張り出された。

「………キレイ……」


白く、
弾力のある、
ライチのような宝玉タマ
精巣上体部がどんぐりの帽子のように重なり、そこから精管やリンパ管、動脈、静脈、神経を包んだケーブルのような精索が精子や血液を運ぶ為に伸びている。
「うっ……ううっ……」
激痛に患児ゆうは震えて泣くばかりだった。
「先生……」
「はい……」
クーパー剪刀が渡された。
クーパーは、いわゆるハサミである。あらゆる物を切るのに用いる。ブレードは幅広で分厚い。
これで、
切り離すのだ。
これが……とてつもなく痛い。
精巣上体部は神経の塊とも言える。そこから伸びた同じく神経の束でもある精索をなるべくお腹側から引っ張り出して、切除する事になるが…………
指を切断するより痛いと言う人すらいる。
「ゆ、ゆうくん❗それでは切り離しますねっ❗あ、あの、とっても痛いですから、せーので切りましょうね❗わ、分かりましたか?」
「…………」
既に返事するゆとりなど患児ゆうには無い。
石黒医師が困っていると、
滅菌ドレープの向こうからあやのが顔を出し、手でOKのサインを返した。
「で、では、少し引っ張りますっ❗」
「ゆうくん、気持ち悪くなっちゃうかもしれないから、吐きたくなったら教えて❗️ね?」

「ひっ……や、ややら…………んっう……」
出来る限りお腹側で切り離す為に精巣、精索が引っ張られ、途端に患児ゆうは吐き気を催しえずいた。あやのはガーグルベースン(多くの看護婦が好んで用いる空豆型の器、小さな洗面器)をすかさず宛がう。
「いきますよっ❗せーの…………」

ぶつっ……ん

「あっあっあっぐぎぃいぃぃぃぃ…………っひ…………ィィィィいいぃっっ…………………❗❗❗」
少年のものとは思えない絶叫。
それも一瞬で、患児ゆうはぐるんと白目を剥いた。
精巣そのものよりも痛いと言われる神経の束を切ったのだ。
利き手の親指を切り落とすようなものだろう。

「と、取れましたよー❗️えらいえらいですねー❗ほーら、キレイなタマタマでーす❗️」
摘出した右精巣を器械出しの北川看護婦が受け取り膿盆に載せる。
再びモノポーラが渡され、切り離された精索の動脈・静脈を止血していく………
「っ、は……ううっ……痛ぁい……痛いよぉ😭😭😭」
一瞬、意識を失った患児ゆうだが、すぐに取り戻した。
再び焼き焦がされる痛みに耐える。
今回、これから性転換手術も行うので、縫合する必要はなく、一時的に止血すれば問題ない筈である。
「ゆうくんは本当にえらいですねー❗右側はこれでおしまいですよー❗がんばりましたねー❗️」
モノポーラを戻し、再びメッツェンを手渡される。
今度は、
左側である。
人の精巣は、実は左右で大きさが異なる。
これは卵巣も同様で、左側が大きく、そちらがメインで、右側はサブでしかない。故に、左側の精巣・卵巣を失うと、妊娠できる可能性(生殖能力というと身も蓋もないが)が6割も低下するとの話もある。
右側を先に取ったのは、左の方か辛いからに他ならない。
「やだぁぁぁ😭😭😭はなせぇぇぇ😭😭😭もう痛いのやだよー😭😭😭タマタマとらないでよー😭😭😭」
想像を遥かに超える激痛に患児ゆうはパニックを起こした。閉じられない太ももを、懸命に閉じようとするが僅かに揺れるだけだった。
マズイか、とあやのは考える。
ムダな体力を使わせたくない。まだ始まったばかりだし、血圧も上がっている。そして経験の少ない石黒医師を、泣き声が怯ませてしまう可能性が高い。

「ゆうくん、ちょっとモグモグしようか?」
あやのは口枷くちかせを取り出した。驚く少年の口を強引に開かせ、球状の猿轡ギャグを捩じ込む。

「うえっ?っぐっ?」
「ゆうくん、がぶーっ❗って噛んで❗痛い時は、いっぱい噛むの❗️わかった?出来る?」
患児ゆうは素直にギャグをくわえこみ、歯を食い縛る。
「先生?」
「は、はい、もう出せます❗」
左精巣があらわになる。
やはり、少し大きい。
精索も若干太く見える。
「う~っう~っっっ😭😭😭😭」
涙を溢れさせ、少年は左の精巣に宛がわれるクーパー剪刀の刃を感じた。
「いきますよ、ゆうくんっっ❗」
「がんばってー❗」
「がんばれー❗」
外回りの看護婦たちが手を握り、声援を送る。
「ゆうくん、いい子、いい子、楽しい事考えよ❤️ほら、忍ちゃんとお買い物して、楽しかったなぁ❤️忍ちゃん、キレイだったねえ🎵ゆうくんもああなれるんよ?楽しいことこれから、いーっぱいや💕」
あやのは患児ゆうの頭を胸に抱き抱えた。
優しく、
優しく、
囁くようにさとす。
幼児をあやすように。
助からない負傷兵にオピオイドモルヒネを与える従軍看護婦のように。
患児ゆうの実の姉のように。
慰め、励まし、慈しむ。
「…………うぅ…………」
看護婦の胸の中で、患児ゆうは小さく頷いた。

「せーの……」

ぶっづん

二枚貝の貝柱を切り離すような硬い手応え────────

「✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕…………」

言語にならない絶叫。

そして、、、、、、、、

「えっ??」
石黒医師の素っ頓狂な声。

びゅっ
ぶびゅっ
ぴゅっ
ぴゅっ
びゅるっ
びゅるるるっ
ぶびゅるるるるっっ

「は?」
「え?」
「あ?」

あやのも、石黒医師も、北川看護婦も、外回りの看護婦たちも、
何が起きたか分からなかった。
左精巣を摘出した刹那、
患児ゆうは射精したのである。
無論、尿道から膀胱へカテーテルが挿入されているが、その僅かな隙間から、まるで水道管が破裂したかのように、四方八方へと精液が飛び散った。
それは、誰も見た事のない、噴水のような大量の精液だった。
カテーテルで封じられ、行き場のない精液は、それでも狭い隘路あいろを我先にと駆け巡り、ペニスそのものがぶるん❗️ぶるん❗️と脈動し暴れ回った。
全員が一瞬、動脈血か!?動脈を傷つけてしまったのか、と狼狽し、すぐにそれが白い事に気付いて、唖然としてフリーズした。

(なにコレ?)と。

流石と言うべきか、
一番早く金縛りが解けたのは北川看護婦だった。
「先生っ、取り敢えず切除した精巣下さい❗️それから精索の止血お願いします❗️」
と石黒医師から掴んだままだった精巣を引ったくり、モノポーラを押し付けた。
「え、は、はい……こ、これ、精液ですよね??」
ペニスの真ん前にいた為に、全身に精液を浴び、シールドからだらだらと流れ落ちる白濁液を見やる。
「手技に集中して下さいっ❗️」
「は、はいっ❗すみませんっ❗」
叱責され、石黒医師は口をつぐんで処置に専念する。

去勢されて射精した??


┃┃┃┃┃┃┃┃┃┃┃┃┃┃┃┃┃┃┃┃⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▲▼▲▲▲▼▼▲▲▼▼▼▼▲▲▲▲⚫⚫⚫⚫⚫⚫⚫⚫⚫⚫⚫⚫⚫⚫⚫⚫⚫⚫⚫◯◯◯◯◯◯◯◯◯……………。

「あ…っぐ………ううっ……うーっ……😭😭😭😭」
一瞬、失神したゆうだったが、意識が戻り、余りの痛さに震える。お腹まで痛い。行き場のない精液の一部は、逆行性射精となって膀胱に押し寄せたのだ。カテーテルを通したハルンバッグに濁った尿がたらたらと滴っていた。
「えらいえらいやで、よく我慢したなあ❤️」
なだめるも、癇癪を起こしたように首を振り、動かせない体で踠く。
出血よりも涙の方が多く、
痛みは天の国か、地獄への階段を開き、
子供とは思えない力でレビテーターは揺れ、
心電図がけたたましく鳴り、
看護婦たちは懸命に声を掛ける。

「……あの、も、もう止血すみますけど、閉創した方がいいでしょうか……?」
と誰にともなく石黒医師。
如月医師は、まだ来ない…………
「看護婦の私が言うのも烏滸おこがましいですけど」
答えたのは北川看護婦。
「いえ、そんなっ❗ナースもドクターもないとわたしは思いますしっ❗北川さんは優秀な器械出しで先輩ですっ❗どうぞ、アドバイスして下さいっ❗️」
「アドバイスというか……あの、石黒先生は陰茎切除術はどのくらい……?」
「……恥ずかしながら、助手しかしたことありません。それも三回」
「では今日が四例目で初執刀です」
張り詰めた表情、声音で北川看護婦は告げた。
「ゆうくんは、M型の進行性陰茎石化症だと思います。先ほどの射精と同じ症例を以前一度だけ見ました。激痛で射精する特徴が一致します」
「え…………」

【進行性陰茎石化症】
陰茎海綿体に大量の血液が流入し続け、やがて凝固し、コンクリートのようになる疾患である。胆石や尿管結石に似るが、臓器そのものが石化するのが異なる。
原因は陰部の末梢血管の血管新生・血管増殖により無尽蔵に海綿体に血液が送られる事による。また血管は精嚢や前立腺にまで増殖していき、そちらから大量の精液を生み出す事もある。進行性であり、陰茎の巨大化・石化は疣贅イボの増殖にも似て、無数の血管から養分を吸い上げ劇的なスピードで硬化していく。発症から一週間かからずに陰部全てが石のようになり、循環器疾患、脳神経疾患を併発する。精巣を除去しても前立腺から大量の前立腺液が作られる為、射精は起こる。過度に敏感になる為、射精は大量かつ頻回となり、止まらなくなると脱水・失血による意識喪失や心停止からの多臓器不全も有り得る。
初期には全く自覚症状はない。進行すると外見は勿論、激しい痛みと絶え間ない射精を伴う。
原因は不明であるが、早くに自慰を覚えた子ほど発症するとの報告もある。
発生率は百万人に一人とされる希な疾患である。
生存率は二週間で絶望的だが、早くに陰茎と、その根本となる増殖した血管を手術により除去すれば、予後は驚く程良い。


「い、陰茎石化症??」
呆然と石黒医師は呟いた。
「そうです。あの射精は間違いないと思います。他に大量の射精を伴う疾患は殆んどありません。最初、やけにおちんちんの大きな子だな、と思ったんですが……」
「た、確かに……」
「先生、臨床経験は?」
「あ、ありません……見た事もないです」
ふるふると力なく首を左右に振る。
「でも基本は陰茎切除術と同様です。大量出血の危険や前立腺への転移の可能性はありますが、今日は完全去勢の予定でしたので、これは幸運だと思います。少し難易度が上がりますけど、元より陰茎も精嚢も切除予定ですから」
それはつまり、
「如月先生を待ってはいられません。閉創するという選択肢はないです。一刻も早く切除しないと、どんどん予後が悪くなります。石黒先生、オペをお願いします」
そう言って、
北川看護婦は石黒医師にメスを握らせた。
殆んどおさまっていた震えが再発する。
「わ、わたしが……石化症を……」
おこりのようにメスを握った手が震え出す。
「わ、わたし……」
「先生っ」
「先生、やりましょう」
看護婦たちが激励する、
が、
「……わ、わたし……私には無理です……そんなの……私には……出来ません……ゆうくんを死なせてステルベンしまうかもしれないです……如月先生を待ちましょう」
ぶるぶる震える右手が握ったメスを左手で引き剥がし…………

「アホか、あんたは」

「❗️❗️」
驚いて顔を上げると、あやのが忌々しげな顔で睨んでいた。
「リスクのないオペなんてあるかいな。そんならあんたいつ上達すんねん?背丈もチビなら心臓もチビやな」
「……っ……はい……そうです……小心者で……ずっと治らない……私はなにもできないんです……」
「ええからはよオペせぇよ。ゆうくん痛がっとるやろ。閉じるか、続けるかはっきりしろや」
「で、では閉じましょう……」
縫合糸と持針器を貰おうと器械出しの方を見やるが、
「先生、閉創はないと言ったはずです。どんどん悪くなります。明日になったら前立腺まで浸潤しているかも」
「で、ですから如月先生を……」
「もうええわ。うちが泌尿器科認定看護婦なん知ってるやろ?後であんたの名前で指示書だしてーな。うちが切ります」
「あ、あやのさん!?」
泌尿器科認定看護婦は、医師の指示・許可があれば外科処置、早い話が、手術が法的に認められる。どんな手術でも、という訳ではないが、精巣捻転や精巣腫瘍、陰部外傷など緊急性の高いものと、去勢手術が行える。
「うちかてそないな難病、切ったことあらへんけど、やるしかないやんけ。今、いきなりの土壇場やで。手洗いしてきますから、ゆうくん看たって下さい。それと、うちの病棟主任に助っ人頼んでもらえます?」
木村芽衣主任も認定看護婦である為、手術が可能だ。
あやのが手洗いとガウンを纏ってこようと手術台から離れ、意を決した外回りナースたちは木村芽衣主任を呼ぶ為に内線電話に走り…………

がしゅん、とドアが開いた。

「き、きさら……ぎ……」
ぱっと顔を輝かせた石黒医師が硬直する。
現れたのは、、、、、、

「どういう状況?ナース、報告しなさい」

石黒医師が毛嫌いする羽山千里医師だった。

「返事も出来ないの?状況は?」
厳しい叱責が飛ぶ。
ツカツカと患児ゆうの傍らに近付くと、ジロリと石黒医師に目をやった。
「……開始から50分で、まだ去勢しかしてないのね?」
「……はい」
嫌味な言い方に何か言い掛けたが、石黒医師は言葉を飲み込んで、素直に首肯した。
「羽山先生っ」
「大変ですっ」
看護婦たちが口々に現在の状況を説明する。
「陰…茎石化症ですって……?」
流石に羽山医師も驚き、目を見張る。
「確かですか?」
と北川看護婦に確認すると、彼女は大きく頷いた。
足元に飛び散った精液、石黒医師のシールドに付着した精液を無言で見やる。
「どいて」
研修医を押し退け、患児ゆうの陰部の真ん前に陣取り、陰茎を観察し根元に触れる。
「硬い……」
と一言。
普段、冷静沈着な羽山医師らしからぬその声は震えていた。

「あやのさんが切るって言うんですっ」
「無茶なことを……」
「そんなら羽山先生執刀して下さいよ?」
「…………」
「先生は経験おありですか?」
北川看護婦が尋ねた。
「……いいえ。学生の時に、一度見学した事はあるけど、臨床で実際に見るのは初めてよ」
力なくそう述べる。
ちっ、というあやのの舌打ちが手術室に零れる。
ピッピッピッピッピッという患児ゆうのバイタルを報せるモニターの音だけが響いているが、このままではそれも弱まっていくだろう。
誰も診た事のない、初めての症例、初めての難病…………
「使えへん連中やな……そんならうちがやるしかないやんけ。出来んなら医者なんかやめてまえ」
「…………」
罵られた羽山医師は、黙考し逡巡する事、数秒。。。。大きく溜め息を吐いた。
「……その通りだわ。切りましょう。手術再開、予定よりも大きく陰茎の切除を行う。ただし、温存できる部分はなるべく残して、膣形成に利用する」
「「「「はいっ」」」
羽山医師はそう宣言し、看護婦たちは作業を再開する。
「輸血準備して」
「はいっ」
きびきび、テキパキと働く一同を尻目に、石黒ゆうかはひっそりと手術室から退室しようとした。その後ろ姿へ、
「どこへ行くの?」
羽山千里は呼び止める。
「い、いえ、あの、もう私は……」
「あなたの力が必要なのよ」
そう言って患児ゆうの脚の間、執刀医のポジションからどいた。
「あなたが執刀医でしょ?」
「えっ?」
「あなたの患者でしょう?執刀医は責任もちなさい」
「で、でも」
「宜しくお願いします、石黒先生。この子を助けて下さい」
羽山医師は頭を下げた。

「わ、わたし、あの」
「陰茎は普通に切除して問題ないと思う。ただこれだと、大量出血するはず。あなたが切った端から、私が吸引、止血していくわ」
再びメスを握った執刀医、石黒ゆうか。羽山千里は患児ゆうの右側面、助手として立っている。手術台を挟んで左側面に北川看護婦がいる形だった。
ただ切るよりも、大量の出血を食い止めていく方が難しい。羽山医師は、冷静かつ的確に役割を分担した。
「わ、わたしでは」
「あなたしかいないの。私だけでは無理だわ」
「…………」
ごくん、と喉が鳴る。
ちんちんを、
切り取る。
ついにこの日が、と石黒ゆうかは息を呑む。
心臓が破裂しそうだ。
「わ、わかりました」
はぁぁ、と深呼吸する。
すると、羽山医師も同じように深呼吸した。
驚いて見やると、
「……怖いのよ、私も」
と自嘲気味に笑った。
この冷血の女医も、恐れる事があるのか、と面食らう。
そうか。
そうなのか。
なら、
「……わかりました」
頷き、
「これより陰茎切除術、および膣形成術を行いますっ❗❗️❗️陰茎石化症がどこまで進んでいるか分かりません❗❗️❗️❗️心して掛かりましょう❗❗️❗️❗️」
宣言したちっちゃい女医。
その言葉を耳にしながら、

「なんや、またオペのチャンス逃してもーた。まあ、嫌いやないで、あんたら」

闇の底から看護婦のぼやきが地に染み込んだ。

「くっ、か、かたいですね、本当にっ❗❗️❗️」
「ん゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
「先生、こっちの方がいいかもしれません。どうぞ」 

北川看護婦がノコギリを差し出す。
「わ、わかりましたっ❗❗️ゆうくん、我慢してくださいねー❗❗️❗️」
受け取り、石黒ゆうかは少年の陰茎にノコギリを宛がう。

ギコギコギコギコギコギコギコギコギコギコギコギコギコギコギコ∧∨∧∨∧∨∧∨∧∨∧∨∧∨∧∨∧∨∧………………

「ん゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛
「辛抱して❗」
羽山医師の叱咤が飛ぶ。
程なく、

ぶつん。。。

陰茎が、取れた。

「ん゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
「止血する❗️」
「うっ、こ、これは酷いですね❗❗️❗️」
巨大化した陰茎の付け根は、根のように末梢血管が広がっていた。あとから、あとから、出血が止まらない。
そこへ間髪入れずに羽山医師が止血鉗子を次から次へとぶちこみつつ、末梢血管を電気メスで焼いていく。

「……マスク使うか」
あやのは決断した。
先ほど用意して貰った酸素マスクとガスのボンベ。中身は高濃度酸素に亜酸化窒素を混合したガス、つまりは笑気ガスである。
「ゆうくん、ラクにしたげるねえ❤️」
ぐったりした少年の口元にマスクをあてがい、ボンベのバルブを開く。
ほのかに甘い匂いが漂う。
笑気麻酔である。
この気体を吸い込むと、ふわふわと多幸感に満たされ、心地よくなる。そして強い鎮痛作用がありながら、意識を失う事はない。幾つか副作用があるが、すぐに排出され、使い易い。認定看護婦には使用が認められている。
そもそも麻酔があまり用いられなくなったのは、ファントムペイン、幻肢痛の予防の為でもある。
失った手足があった場所、ないはずの手足が痛むのがファントムペインとして有名だが、実は手足に限らず内臓などにも見られる。
その痛みは猛烈で、失神する人すらいる。
そして、治療法は、ない。
原因は神経の錯誤、認識の混乱だとされる。
唯一、予防法とされるのが失う実感や苦痛を体に刻みつける事。
去勢法や性転換法が世界中に広まるにつれ、失くした男性器のファントムペイン患者が続出した。
故に、麻酔なしで去勢し、その痛みによる予防法が一般化したのだ。
「ゆうくん、吸ってー❤️うん、上手やねー🎵」
あやのは、ファントムペインの予防には充分と判断した。
想定外の事態ばかりだったから、もう致し方ない。

ピリリリーン❗ピリリリーン❗と心電図のモニターが心拍低下による急変のアラームを鳴らす。
「ん゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ。。。。。。。。」
徐脈により酸素が不足し、叫ぶ力もなくなっていく。
「ゆうくんっ、がんばってっ❗❗️❗️❗️」
「しっかりしなさい❗❗️❗️」
二人の女医は、懸命に患児を励ましながら、もちる全ての技術、知識を駆使して、手術を進めていく。
「負けちゃダメっ❗❗️❗️❗️」
あの日、女の子だった石黒ゆうかは戦う。
幼馴染みがジャングルジムから転落し、股関を強打して精巣はおろか膀胱すら破裂、地面にも頭を打って半身不随となり、転居していったあの日を乗り越える為に。
目の前で苦しむ血塗れの患児たかちゃんを、今度こそ助ける為に。
あの日、何も出来なかった己と闘う。
「しっかり❗️❗️❗️❗️」
あの日、姉だった羽山千里は戦う。
幼い弟を亡くし、医師になるという約束を生かし続ける為に。
呆気なく終わってしまう物語を、終わらせない為に。
キレイになりたかった、かわいくなりたかったではなく、キレイになれた、かわいくなれたという笑顔の為に。
嫌われたっていい。
怖がられたっていい。
永遠に姉として、幸せな妹たちを未来へ送り出す為に。
あの日、間に合わなかった己と闘う。


手術開始から3時間47分。時刻は15時34分。
会陰部と鼠径部、2ヶ所からアプローチし、増殖・浸潤した血管と不要な精嚢と精索の残りの摘出、及び亀頭と陰嚢の再利用、移植による膣形成手術の最中。
「ゆうくんっ❗❗️起きてっ❗️❗️」
「まだダメよっ❗️❗️かえって来なさいっ❗️❗️」

患児ゆうは心停止した。

「ごめんっ、遅くなって……ど、う、したの?」

疲労困憊の如月医師が来た時には全てが終わっていた。


こうして、

鷲井ゆうは、

死んだ。



(了)

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