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自己紹介

初めまして

初めまして、グッドパッチ人事のベンアハメッド絢之です。
私は生まれつき、障害等級2級の重度聴覚障がいがあり、両耳聴力100db超です。どのくらいの感じかというと、補聴器を取った状態だと耳のそばを飛行機が通ってギリギリ分かるくらいの状態と思っていただければいいかな。
ここまでだと、多分皆さんが想像している私は、「手話を使っている」「声をあまり出さない」「筆談が必要」な聴覚障がい者だと思います。

ところがどっこい、私は出会った人達に「良い意味で聴覚障がいがあることを忘れてしまう」と言われるのです。

私の聴覚障がい

口元の動きが見えれば通常の口話はできる、声もそこまで違和感ないらしい(名前のこともあってむしろ外国人が流暢な日本語を話している方の感覚らしい笑)、筆談も必要最低限。手話はある程度は分かりますがネイティブレベルではない。
言語聴覚士の先生に依頼されてリハビリ専門学校で講演をした際には大変な衝撃を受けた学生の方々がいらっしゃったそうです。自分で言うのもなんですが、それくらい自分は聴覚障がいがあることを周囲に感じさせないように生きています。

勘違いしないでいただきたいのは、他の聴覚障がい者はダメだと言っているわけではないのです。
それぞれに合ったやり方生き方があって、たまたま私はこのやり方生き方が自分に合っていたというだけなのです。
今は合っていた、と言えますが、私がこのやり方生き方に至るまで、正直言ってネガティブな感情やら出来事やら色々ありました。

ネガティブな感情

父は高校の国語教師、母は病院関係。聞くからに厳しそうな(笑)両親の元に生まれてすぐに耳が聴こえないということがわかり母は大変絶望したそうです。新生児室の前で泣いていた母に父が一言、「自分達の子であることには変わりない」と、母がそこで目が覚めたと言っていました。
それからとにかく世の中に出ても困らないように、とひたすら色々な教育を受けました。
今でもよく覚えているのは2つあって、1つは何も聴こえない電話の受話器をとにかく握って耳を当ててよく聴いてと繰り返され、私が最終的に受話器を投げ捨てて、母が失望した顔を見せたこと、もう1つは父がひたすら私に文章が書けるまでのレベルを叩き込んだことです。私は小学校上がる前にはもうすでに簡単な文章が書けていました。

多分人生でしんどかったことをいくつかって言われたらそれ挙げるなあ〜ってくらい辛かった時期かもしれない(笑)
今ではあの時間があったからここまでのレベルになっていることを感謝しているので、たまに母がドヤ顔見せてくるのがちょっとうるさいです(笑)

ドロドロの世界

高校までずっと聾学校ではなく通常の学校に通っており、まあいじめとか色々ありましたがこの辺はありきたりな子供の無知識だったりするので割愛。
大学は学費を出してもらうので親と相談の結果、日本唯一の聴覚障がい者・視覚障がい者専門の国立大学、筑波技術大学にいきました。
私にとっての第一の転換期はここだと思います。
聴覚障がい者同士だからうまくやれるはずだと思うでしょう。違うんです。
私にとって初めて感じたドロドロの世界でした

卑怯な蝙蝠の話って皆さんご存知ですかね。
鳥のグループにも入れず、哺乳類のグループにも入れず、双方に良い顔し続けた蝙蝠は結局ひとりぼっちになってしまうという話。
話の蝙蝠は卑怯なことをしたから結果ひとりぼっちになっていますが、現実の蝙蝠は卑怯なことをしてもしていなくても入れないんですよ。だって同じじゃないから。

現実の蝙蝠が生きる道を模索していた

そんな現実の蝙蝠は親の説得で一時期は留年してまで頑張ったけれど、耐えきれず逃げて、ウロウロしていたらみんな知っている(多分)りんごの会社にたまたま拾ってもらったんです。
たまたま足を運んだ障がい者採用イベントの、あるブース。
大手の外資系だからやっぱり人気だなー、めちゃくちゃ行列できてんなー、ダメもとで行ってみっか。
そこにいたのが当時の渋谷ストアの店長でした。
そこから1週間で入社が決まり、日本のストアで初めての障がい者スタッフとして入社し、全てが初めての世界でした。
私が今のやり方生き方が自分に合っていることを認識し、私のように迷う障がい者のために障がい者採用に関わっていきたい、と考え出したのもここでした。
3年間。ひたすら必死に走っていました。上海出張も行かせてもらいました。
人生で一番苦しくて楽しくて素晴らしい、忘れられない3年間です。

障がい者の就労支援を行なっている会社から障がい者の就労支援に関わらないか、とお誘いを受けたので障がい者採用に関わるなら知っておく場所であると思い転職。
利用者さん達は私という自分達に近しい存在がスタッフにいる!と驚き、喜び、色々相談したり話したりしてくれました。
問題は私が上司達と上手く噛み合わず、1年で「アメリカニズムな考え方は要らない」と契約終了となりました。

アメリカニズムな考え方のどこが悪いのか。そもそもこの人材が必要だ、と雇ったのはそちらではないか。
色々な気持ちが渦巻く中、とりあえず色々やっていくか〜と営業事務とか色々やり。
遅発性リンパ水腫(メニエールみたいなやつ)発症し、治療したり。
接客業に一旦戻って楽しくやっていたけれど手術が必要になり入院中に「術後の状態が思わしくなく、退院が延びます(延びる可能性があることは入院前に報告済み)」「退院翌日からのシフト出てくれないと困るんだよ!」と一悶着あり(流石にこの件は他のスタッフからも憐れまれた笑)、楽しかった接客業も辞めたり。

蝙蝠の現在

そんな色々流れ流れて今、縁があってグッドパッチ入社。

まあ、何が言いたいかって、結局、波瀾万丈な方が楽しいよねって話です(笑)

ネガティブな気持ち、出来事、全て今の自分に繋がっていて、
やりたいことはやりたい、多少遠回りをしてでも最終的に自分のやりたいことができるなら、
今が楽しいと思えるならもう何でも良いんじゃないかなって今は思います。
あれ?結局聴覚障がいの話関係なくなってる、自分で忘れちゃってるな(笑)

皆様が自分の生き方で楽しく生きていけますように!
グッドパッチで自分の生き方で楽しく生きていける世界を目指します。

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