航海日記その14~肯定主義の弊害~
イギリスに短期留学していた時のことを航海日記と称して記録に残しています。
前回はこちら。
留学中は英語の語学学校に通っていました。
日本以外の学校に通うという初めての体験です。
学校の様子などはこちらのnoteの中でも書きましたが、日本とは違うところがあってなかなか新鮮です。
たとえば、よく意見を求められたり質問をされること。
「この問題についてどう思う?」とか「あなたの国ではどうなの?」とか。
そう聞かれてすぐに答えられないことが多々ありました。
その度に自分のことや生まれてからずっと住んでいる日本のことを実はよく分かっていなかったんだと気づかされます。
また、先生が生徒の意見を尊重してくれることもかなり新鮮でした。
いわば肯定主義。褒めて伸ばす教え方に近いのかもしれません。
たとえば、あちらでは生徒が質問の意図にあっていない答えを言ったとしても、
「その答えもいいね。でも、今回はこの単語を使ってほしいから・・・」
と、まずは肯定してから軌道修正していく先生たちが圧倒的に多かったです。
全ての日本の学校がそうだとは思いませんが、少なくとも私の通ってきた日本の学校の先生だったら、
「そうじゃないよ。今回はこの単語を使ってほしいから・・・」
と、否定から入りそうです。
新しい言語を取得しようとするとき、
間違いは悪いことじゃない。
むしろ、間違いを怖がって何もできないほうがよくない。
どんどん間違っていこう!
そんな言葉をよく耳にします。
だから、間違ったときに否定から入らないことはとても良いことだと思ったのです。
しかしある時、この肯定主義の弊害が起こります。
先生が「僕に関するこの3つの文章のなかに一つだけウソの文章があります。君たちは僕にいくつか質問をしてそのウソを見つけ出してね」と課題を出しました。
グループワークだったのですが、いざ先生に質問をする場になると課題をよく理解できていないグループが3つの文章と関係のない質問を先生に訊いてました。
でも、ここは肯定主義の場。
先生は特に指摘せずその質問に答えてそのまま授業は進んでいきます。
その次もまた的外れな質問が出てきたところで、正しい質問をしたはずの生徒たちに混乱が生まれます。
「あれ?これって3つの文章に関する質問を考えるんだよね?」
ちょっとざわつき始めたのでもう一度先生が説明をしたのですが、伝わっているような伝わっていないような雰囲気。
結局、今回は嘘の文章を見つけるよりも質問の文章を考えるほうが大事というフワフワした空気感でそのコーナーは終了しました。
学校のクラスはレベルで分けられているものの、文法が得意でもリスニングが苦手な人、スピーキングはできても文法が苦手な人などクラスの中でも様々です。
クラス替えや先生の交代などで何人かの先生に教えてもらいましたが、先生によっても教え方は様々でした。
それでも、肯定主義なのはどの先生も共通していたように感じます。
今回書いたように肯定主義にも弊害は起こります。
でも、やはり外国語を取得するためにはミスを恐れない雰囲気づくりをすることは大切です。
これは異国の学校に通うことで気づかされたことの一つでした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。