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人間の弱さを識る〜悟りの境地の巻

先日、「怒り」の感情を相手に向けて抗議しました。相手は歌の先生で、2022年10月からの付き合い=もう2年3ヶ月なのですが、この2年以上ずっと我慢して積み重なってきたものが堰を切った感覚でした。もうすぐ一週間経つというのに、やはり気持ちが整理されないのでちょっとつぶやき投稿をします。

まず私は「遅刻する等時間が守れない人」が苦手。あとは、「知性を感じられない人」「人と会話できない人=自分の話だけを長くする人」や「プライベートに土足で入ってくる距離感のバグった人」も得意では無い。「報連相が出来ない人」も嫌い。恐ろしいことに、件の先生はこの上記の条件を全て兼ね備えた人物。ガクブル。レッスン開始時刻を守らない、連絡がまめでなくその理由を事前に伝えたりすることも出来ない、レッスンが始まっても数十分お喋りしてばかりで一回のレッスンは数時間にわたる、私の生活習慣や思想から全てに関与され色々ダメ出し・否定をされる(と感じる)等等。何度かこれらの受け入れ難い点と不快感を冷静に伝えたが、逆ギレされたこともあったからもう面倒臭いと感じて無視していたし、そんな人であっても「テクニック面ではこの人から学ぶものがある」と思っていたので、自分の気持ちと葛藤しながらも2年3ヶ月頑張って折り合ってきましたが、先日いよいよ相手の無神経さに「抗議の声」を挙げました。相手のリアクションは「開き直り」でした。まじか。

「確かに言われた通り自分は嫌な奴だと思うし、だから皆離れていってる。けど貴女はそれでも毎回来るから、私と繋がりたいんだと理解している」とのこと。その後に、自分だって余裕がないということを切々と訴えられた。なんていうか言い訳がましい子供っぽい先生を見て、「呆れ」に近い感覚が湧いてきて怒る気力も無くなった。「正直貴女からはテクニックさえ学べれば良いと思っている、人間的な部分で理解することはもはや諦めていて二の次なのですが…」とすら言いたかったけど、そこまで相手にナイフを刺す必要もないかと思ったし、とりあえず言わなかった。最近こういう感覚になること多いです。

最近感じてることは、「人間は皆んな未完成で不完全である」ということ。私は今まで、どこかに完璧な人がいるのだと思い込んでいて、自分自身もそういう人間になることを目標にしていたし、上司や先生・先輩や目上の人には、自分より優れていることを求めていた。でも最近、そういう人って少ないって分かってきた。自分が上位パーセンタイルに居て優れているとかそういう意味じゃなく、人という存在が押し並べて「弱い」ものなんだっていう悟り。怠けもするし、意地汚かったり性格が悪かったりする。この間書いた「ネガティブな感情を受け入れる話」とも繋がってくるけど(下記参照↓)。

人間には誰しも「善い部分」と「悪い部分」が共存していて、代わりばんこに顔を出すのだと、100%のものはないんだっていうことを理解してきた、というか。私もまた然り。北ドイツに来てから、いや2024年8月頃からだな、自分でも結構信じられない失敗をしたりして、自己嫌悪になったりするような経験を結構重ねてきた。正直最後の半年は自信を失った。その中で、人間にはそれぞれの「キャパ」というものがあって、自分と比較・自分から見たら不足に映る部分が相手にあったとしても指摘してはいけない、というか意味がないのだ、ということも分かってきた。課題の切り分け、というんでしょうか。もしもそういう人と共同作業や関係性が発生する場合、イライラもするし・折り合うのは凄く難しいけれど、でも相手の課題や問題はその人のものなので私がそれにイラついたり・指摘をするような立場でもないのであれば、静観するに越したことはないのだと。最近は、そういうドライさが自分の中に生まれてきました。前まではもっと、自分の思いをぶつけていたと思います。けど、最近はもう疲れてきた。思いをぶつけてしまうと「面倒臭い人」とか「感情的な人だ」とかレッテルを貼られてしまうだけ=損をして、相手には全く響かない。それってコスパ悪すぎません?悲しいけど相性ってある。

昔の私ならこういう考え↑は打算的で寂しいものだと感じていたかもしれないけど、もう今はそれこそ自分を守ることのが最優先で・外に無意に労力を向けるようなそんな余裕ない。後今日までの人生で感じたことだけど、私人から甘えられて・頼られがち。AYさんは話も聞いてくれるし、どうにかしてくれる、って思われがち。確かに猛獣使いなとこあって、どんな癖がある人でも結構てなづけられて(言い方が悪い)誰とでも仲良くなれる。けど、それは諸刃の剣で、「貴女はパワーがあるからどうにかしてくれるはず、助けて!」というストーリーになってきたことが今迄あまりに多すぎた。正直歌の先生も、私に「甘えてる」んだと思います。「貴女なら分かってくれる」も一種の甘えだよな。流石にもう無理。助けて欲しいのは私の方や。私は女神やない、人間や。もう、利用されたくありませんので、少なくとも仕事がらみではある程度打算的に生きようとなんだか最近思ってきました。

ああ、これが社会なのか。悲しい。

ASD38歳女性。大人の階段を一歩上ったようです(遅)



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