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歌のこと〜自分の喉の現状

興味がない人も多いと思いますが、今日は自分の歌の現状を振り返る投稿です。ダッシュボードを見ていると、ドイツ生活/仕事のこと/ASDやHSP関連の記事がよく読まれているようなので、この記事は退屈かもしれません。そして長いです。が、今は時間も沢山あるし今まで忙しさにかまけて向き合えなかったことを一つずつまとめ/把握したいな、と思って書く事にしました。

自己紹介にもある通り、私は日本にいた時2022年9月までクラシックの声楽を生業としており/歌で稼ぎご飯を食べていました。2022〜2024年ミュンヘンにいた間はそのことはそれなりに周りにも話していましたが、去年10月ここハンブルクに来てからはほとんど人に言っていません。というのも今の自分の喉の状況はあまりに悪く・一曲満足に歌うこともできないので、そもそも恥ずかしくて人にも話せないのです。歌のキャリアのことを話すと、ほんと多くの人が悪気なくイノセントに「えー!なんか歌って!お願い、一フレーズだけでもいいから!!」と言ってきますが、今、それすら辛いんです。一人で練習してても満足に声が出ないのに、人前で歌うのなんてもっての他。明らかに音声障害レベルの声なので、そんなの聞かせてガッカリされるのも嫌で。

自分からすると不本意なこの現状。どうしてこんな風になっちゃったんだろう、って特にハンブルクに来てからはよく不甲斐無く思い、満足に歌えない自分が嫌になります。人にもうまく説明出来ない様な今の喉の状況、少し振り返ってまとめてみたいと思います。


現在の状態

まず問題が二点。音域を問わず息が続かない。そしてd〜fあたりで声帯が上手く合わなくて音が割れる。この二つの問題はいつからあったのか。そして今まで、どんな経過を経てきたのか、が以下。

・息が続かない

経過)呼吸の問題が出る様になったのは、2021年からでした。きっかけとなったのは2020年12月に受けていたマスタークラス。自分はハイメゾだと思っており・それまではどちらかというと高音&広い音域を強みにしていたのですが、そのマスタークラスで「コントラルトじゃないか」と言われ重いレパートリーを2ヶ月ほどインテンシブに歌っていた時期があります。そうしたらある日急に「フレーズ終わりまで息が続かない」という現象が起きる様になりました。それまで、そんなんなったことがなかったのでよく分からなくて、フレーズ終わりに必死で押したりする様になった。そしてレッスンでも「吐けてないから吸えてないんだ、もっと吐け」「一回一回深く吸え」という指導を受け続け(確かに言われていたことはもっともで正しい・正解だと思う。けどそこで私はさらに力んでしまった)、体を緩めたブレスでは無く、力で絞り出す様な呼吸で焦りながら歌う癖が2021年6月ごろから始まり出してしまった。息が続かない状態に対し精神的焦りが大きく、またコロナや当時の歌い手の元彼との恋愛などでもかなり塞ぎ込んでいてそもそも「歌うこと」自体が今まで通りにできなくなっていた(劇場が半年以上しまっていたりしたので歌の仕事自体もなかったし、元彼に口を出されるのが嫌で家では練習しなくなってしまったり)し。でもどうにかしないとと必死で自己流・筋力でどうにかしていた。でハイライトは2021年10月、ある晩急に右肺に激痛が起き、蹲り10分ほど上手く息ができなくなり、「これはおかしい」と思って病院で検査受けたところ気胸と診断を受けました。結局そこから騙し騙し2022年9月ごろまで歌っていましたが、やっぱり今日まで根本的には呼吸の問題は解決しないまま。そして気胸ももう癖になってしまったようで、2023年7月、2024年9月と11月に再発を繰り返しています。
今)2022年10月よりドイツでゼロから矯正を開始し、今は前よりも息が続くように/特に2024年11月最後の気胸からはかなり意識的に気をつけているので再発しないような呼吸の仕方に変わってきてはいますが、それでも急に切り替えることは出来ず呼吸がうまくいく時と全くダメな時の日替わりが続いています。どうも呼吸については精神的な状態がかなり大きいようで、正直ハンブルクに来てから4ヶ月/特にこの解雇騒動を受けてからはどうも調子が悪いことの方が多い様な気がしています。

・音が割れる

経過)自分はそもそも学部時代からずっと、正しいパッサッジョの越し方が分かっていませんでした。でも上記の通り声質的にはハイメゾなので、D〜Fあたりが出るモーツァルトなどをレパートリーにしたいのにそこの音域が苦手、という状態。大学院受験時にはかなり発声も安定していたので、この音域で勝負できていたのですが、院に入り新しい先生につきだしたらあれよあれよとまたパッサッジョが崩れ。得意だった持ちアリアも院2年間で歌えなくなっていきました。でも大学院は歌曲専攻だったこともあり、パッサッジョに留まらないで済むような作品を多く歌い&根本的な解決をしないまま逃げるように修了。今振り返れば情けないのですが、大学院時代は本当に何も結果が出なくて・周りは上手な子ばかりだし、先生のレッスンも全然腑に落ちないし正直院に通うのも怖くて逃げるように2019年修了した自覚があります。今思えば、あの時に根本的に発声をどうにかすべきだったのかもしれません。でもつきたい先生も見つけられないし、とにかく授業をこなして・論文を書く事に必死で、発声の立て直しをするという頭はありませんでした。それでもなんとか誤魔化せていたのがいよいよ問題浮上となったのが2021年7月。息が続かず音楽的フレージングが出来なくなってしまって間もない頃に、いよいよ「今までの様に歌う」のではパッサッジョ越せなくなりました。でとにかく焦って押す・力で歌う。で息がさらに自由にならなくなる。
今)2022年10月来取り組んでいる新しい方法に対して体の信号がまだ上手く出せず/昔の悪癖がまだ取れず、この音域になると音がザラつき声が掠れ完全に鳴らない、という状態です。

今日までの時系列

・それでもどうにかしがみついていた2021年6月〜2022年9月

上記の問題が起き「今までの様に歌う」ことが不可能になったものの、新しい発声ややり方も分からない、教えてくれる人もいない、でも歌いたい、と路頭に迷っていたのがこの時期。当時はまだコロナの影響もまだ強い時で恋人、仕事、家族関係等全てに問題だらけでどうしていいか分からず、「日本から逃げよう」とミュンヘンの職を手にし・2022年9月の渡欧を決めました。逆にいうとこの上記の期間は、問題を解決することもなく・騙し騙し昔の栄光に縋って歌っていたと、今なら告白できます。

・ミュンヘンでの新しい学び2022年10月〜

ミュンヘンで新しい先生と知り合い、本当にゼロからやり直し出しました。それでも2023年5月頃まではまだプライド?などが邪魔をしていたのか、自分の状況を受け入れきれていなくて、すぐにまた人前で歌えるようになると思っていたのです。それがいよいよ「あ、私の楽器は壊れてるんだ。これは何年かかるだろう」とうっすら感じだし、覚悟が決まってもう焦ることをやめよう、となれたのは正直2024年に入ってからだと思います。今はもう、歌の仕事に戻ることは極めて難しいだろうと思っています。それでも、仕事にならなくて良いから、また自分の歌いたい曲を好きなように自由に歌いたいという思いでいる。2024年5月頃からは勤務先での多忙も手伝い毎日練習することが出来ない日も増えて、でもそれが功を期して喉の調子は良くなるという私的には「???」なDeskrepanz経験を経て、いよいよ良くも悪くも「歌にしがみつく」ことが減りました。そのくらいのリラックスが良かったのか、2024年後半は結構調子が良く、いろんな曲が歌えるようになり・また「歌いたい!」って気持ちも湧き上がっていた。そんな中2024年9月にミュンヘンをさり、土地も新たにハンブルクでも新しい先生を見つけてワークしたい、と本当は思っているのですが…もはやジストニアレベルのこのヤバい状態に伴走してくれる人を見つける勇気が出ず。こんなヤバい状態、誰も引き取ってくれない、って。決めつけかもしれないけど、そう思ってしまっているのです。それで、もうミュンヘンの先生も正直離れたいと思いながらも(人間的に彼女とのワークがもうこれ以上は難しいと感じているので)、惰性で彼女とのオンラインレッスンを続けていました。

・低迷すぎる2025年1月〜

あまりに自己中心的な先生の態度に対し、我慢していたものが爆発・ダムが決壊したのが1月中旬(こちらの記事でも書きました。)

そして受けた解雇通知。就活や生活の立て直しにも慌ただしく、またこんな精神的に不安定な状態では体も全然リラックスしなくて、最近は声の調子も変。声よりは体ですね、呼吸が乱れまくっていて一時ほどブレスが安定しない。逆に声のポジションは良くなってきていて、音割れの方はなんか少しずつ改善の余地・新感覚が湧いているのに、とにかく体がガチガチで。息が流れないとポジションにも乗らないので、最近は本当に苦しいです。

それでもどうにかしないと、と思い来週は二つ新しいアクションを取ることを予定しました。就活の経過報告も来週には来るはずなので、どうかどうにか人生が好転して欲しいです。

今やっている練習方法

そもそも声を出す前に体のほぐし・呼吸法・タングロールを一通りやってます。下手したらここで既に30分くらいかかる。その後やっと「声」にする作業。大体Aから始めています。で3度・スケール・5度・跳躍・旋回音型・母音などをに日によってその時の調子を見ながら選び、温まったら曲を歌う。上述の通り、一曲通して歌うことすら出来ないような状況です。まずブレスが問題があるので、ぶつ切りになってしまう。それでも一時期よりはだいぶフレーズ感を持ったブレスが出来るようになってきました。そして件の音域では音が掠れるので、そこも追求しすぎずに飛ばして先に行く、みたいな感じで少しずつやっています。

問題が起きている理由

・頭声に入れていない

日本にいる時、長いこと自分の声を偽り「アルトっぽい立派な声」を舌を使って作ってきたと思います。押した声で中音域を歌ってた為、そのままのアプローチをパッサッジョでも続けて引っ張り上げていて・声をひっくり返し裏声に入る事が出来ない、というのが今の状況。それでも前より喉周りの無駄な筋肉が死んでくれるようになって、筋肉を使わないで息でA〜Esくらいにアプローチできるようになってきました。抽象的な言い方になってしまうのですが、「息が太い」ことも頭声に入れない理由。声帯を薄く引き延ばして軽く息を使い、息の流れだけで声帯を震わせる。その際に軟口蓋を高く上げるんだけど、私の長年の誤った使い方で軟口蓋をあげる時に舌が奥に引っ込むという誤った連動が起きてしまう。そうするとブレスの位置が高くならず、息が太くなり、いらない筋肉が働き出して、押し始めちゃう。この改善は長い戦いだと思います。脳の信号を全て書き換えないといけないですからね。どこまでも突き詰められてしまう自分なので、今まで千本ノックで誤った練習をしてきて、今の状態が仕上がってしまった。だから今は、とにかくこんがらがった糸を地道に解くしかない。焦らず毎日コツコツ取り組んでします。

・息が上手く流せていない

これは本当に改善が難しい。多分なのですが、私は歌うときに限らず人生全て「息を止めて頑張る」ことで今日まで色々達成してきたようです。音楽を聴いていても、運動や仕事をしていても、気づくと息が止まってるのです。もう幼少からの癖なんだと思います。昔の家庭環境を言い訳や理由にしたくないですが、生まれてから20になるまで、家にいるときには常に緊張していました。同居していたおじいちゃま・おばあちゃまから叱られたくなくて良い子でいないと、親同士の喧嘩する声や姉達がヒステリーを起こし泣き叫んだりものを壊したりする音が怖くて、いつもビクビクしていました。19歳で初めてドイツに来たとき、初めて自分がのびのび生きていることに気がつきました。この間一時帰国をして気づいたのですが、今でも実家に帰ると体がおかしくなってしまいます。なんていうか息苦しくて全くリラックスできないのです。もうあの土地と自分の細胞の記憶が結びついてしまっているようだと残念だけど、こないだの一時帰国では思い知りました。日本には帰りたいけど…今度帰国する時はホテルを取ろう、と思っています。
話逸れましたが。なので最近は、歌わないときにも瞑想のような呼吸のエクササイズをしていて、日常生活でもとにかく息が止まっていないかをにするようにしている。ただ、上にも書いた通り、呼吸ってそもそも精神状態とも密接だと思います。昔、とある先輩が「命がいい方向に向いていないと歌なんて歌えない」と言ってことがあり、当時の私は「なんかカッコつけてんのか?意味不明」と生意気にも感じてたのですが、本当にその通りだと最近は痛感しています。「歌う」っていうのは元来、「楽しい」「生き生きとした」「アクティヴェートされた」体の状態であってこそ出来る行為なのです。顔の筋肉が死んでたら出る音も出ないし、体がオープンな状態で心地よい呼吸が出来ていないと入るポジションも入らない。そういう意味で歌い手はOBAKAな人が多い、というのはさもありなんなのです。そうじゃないと、歌うモードにならないんだよ、体は。

私はそういう意味では、「歌うほどに、人生を謳歌できていないのでは」と感じることがたまにあります。特にハンブルクに来てから「ああ〜ここで暮らすことが出来て幸せだな」と感じた日がありません。ミュンヘンでは感じられてたはずなのに。今、周りの人には助けてもらえて・恵まれ有難いとはいつも感じるけど…過去3ヶ月間は会社のせいでほぼ毎日泣いていたことを加味したり、今の無職ステータスの中にあってして、「私って幸せ者だなぁ」とはここては到底感じられないのです。この3日間は本当に落ち込んでいて、もうドイツから引き上げようかといよいよ考えました。疲れちゃって。でも日本に帰ったってこの孤独感は消えないでしょう。だからドイツに来たんだから。結局自分の中にある、満たされていない気持ちを解決しないと、どこにいったて一緒で/そもそも歌うことなんてできないのかもしれません。

つらつらと書き綴りました。少し整理された気がします。


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