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「観光しない京都」という旅の楽しみ方を知った日のこと
京都を1人で走る
午前7時、池袋から私を乗せた夜行バスが京都駅に到着した。
天気予報は、あてにならない。
昨日まで雨マークなんて付いていなかったはずなのに、バスを降りたら雨が降っていた。
しょんぼりしながらも、夜行バス用に履いていたむくみ取りソックスやリラックス着からとりあえずランニングウェアに着替えようと、コインロッカーを探した。
京都駅には驚くほど沢山のコインロッカーがある。国内外から大勢の観光客がこの地を訪れていることが、コインロッカーをみただけでもよくわかる。果てしなく並ぶコインロッカーの目の前でどれにしようかなと考えていると、見覚えのあるランニングウエアを着た人が立っていた。
まさかのOさんである。
Oさんは今日から京都で2泊3日を共にするメンバーの1人だ。今夜はオンラインコミュニティの、主に走る仲間たち約15人が各地から集合し、同じゲストハウスに宿泊することになっている。
時間もバラバラに来るはずなのに、こんな早朝に京都に着いてすぐ会うなんて悪いことはできないなと思った。
軽く挨拶をすると、足早にOさんは京都の街を1人で走り出した。私たちは偶然会ったからといって共に行動するわけではないのだ。
この程よい距離感が心地良くて、このコミュニティの仲間たちとは緩く長く付き合えている。
私も急がなくちゃ。
お昼ご飯の時間までに、私も京都の街を走ると決めていたんだ。多少の雨なんて気にするものか!
駅のトイレで着替えを済ませて、コインロッカーに荷物を預けた。
私もOさんに続くようにこの街のランナーとなり、小雨の降る京都の街を1人走り出した。
***
私は3年ほど前からランニングが趣味で、休日には10キロ〜20キロくらいの距離を自由に走っている。今回わざわざ京都へ来たのは、走るためと言っても間違いないだろう。
京都を走りたい、そう考えるようになったのは、雑誌『モノノメ2』の「観光しない京都2022」という記事を読んだからだ。
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京都の旅は「観光しない」ほうが楽しい|宇野常寛 - note
著者はかつて、この街に暮らした経験から「観光しないほうが京都の旅は楽しい」と述べている。なぜなら目的の場所へひたすら行き続けることは、京都という街が持つ本当の豊かさにあまり触れられないと感じているからだ。さらに、自分から見に行ったものからは実はあまり受け取れるものがないのだと言う。
記事を読みながら頭の中で京都のことをひたすら考え続けた。
歴史が日常の中に入り込んだ街で、いつもと同じような生活をしたり、走ってみるとはどんな感覚なのだろう。歴史に見られ、知らぬ間に変えられていくとは、一体どんな感じなんだろう。
いつか「観光しない京都」を実践してみたい。そう思い始めた。
そんな矢先に、オンラインコミュニティの中で京都のオフ会の開催が決まった。
これは行くしかない。行って京都の街を走ろう。自分の身体で体験してこよう!
こんな風にして、私の「観光しない京都」の旅が早々に叶うこととなった。
***
午前7時30分、私はいつもの休日のように京都の街を走り出した。最初の目的地は桂川。
視界を邪魔するGoogleMapsをなるべく見たくなかったので、先に桂川までのルートを頭の中にしっかりと叩き込んだ。
京都駅から桂川に向かって走る途中、目の前には東寺が現れる。観光しないとはいえ「おぉ〜」と心の中で叫んでしまう。
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この日は縁日が開催されていて、骨董から野菜まで、様々なものが売られていた。野菜の横には「PayPay使えます」と書いたのぼりが揺れている。
古いものの中に新しいものが混ざっているこの感じが、京都らしいなと思った。
そんな風景を横目で見ながらも、縁日には立ち寄らずにランニングを続ける。
少し進むと住宅街に入っていく。住宅街を走っているだけなのに、ちっとも退屈しない。昔からある建物が、色々なことを想像させてくれるのだ。
とある住宅には消防団の文字が書かれた消火器の入った木箱のようなものが玄関の横に取り付けられていた。京都市の消防団は、その前進となる町方火消しが誕生してから300年余りの長い歴史があると言う。
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別の住宅街に潜り込むと古い家がいくつも並んでいる。よく見ると、家と家の間に隙間がないことに気付き驚く。
こんなに家同士が密接にくっついているってどういうこと?
早速調べてみると、昔ながらの京都の家は間口が狭くて奥に長いのが特徴で、このような家は「うなぎの寝床」と呼ばれていたことが分かった。
江戸時代京都の家は「道路に面する間口の長さ」で税金が決まっていたために、「間口が狭く奥行きの長い家」が増えていったそうだ。
立ち並ぶ町屋からも、過去との繋がりが見えてくる。
1時間近く走ったり歩いたりを繰り返して、ついに桂川に到着した。すっかり雨も上がって、水面は綺麗に光っていた。
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ここは、私が日頃走っている近所の川と違って遠くまで見渡せる、とても気持ちの良い川だった。観光客がいる様子はなくて、学校に向かう学生や犬を連れて散歩をする人とすれ違う。
桂川沿いを走りながら、私はここに住む人たちが感じている緩やかな時間を、走ることで自然と感じることができたような気がした。
時計を見ると8時30分だった。そういえば昨夜から何も食べていなかった。
お腹が空いたので方向を変えて、行きたかったパン屋まで走ることにした。
来た道を戻る形にはなるが問題ない。美味しいものを食べるために走るのは、私の日常だ。
場所が変わっただけで、やってることはいつもと変わらない。だから疲れてきても、腹ペコでお腹がくっつきそうになっても、どんなパンが食べられるのかと想像し、走り続ける。パン屋までの道のりは、パンのことで頭がいっぱいだったので他のことはあまり覚えていない。
桂川から1時間近く走り、ル・プチメックというお店に到着した。ここは職場の人から勧められたパン屋であり、「観光しない京都2022」にも登場している。
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小さな店内には、ギュギュギュッと沢山の種類のパンが所狭しと並んでいた。迷いに迷った結果購入したのは、プチバーガー2種とチョコレートのパンと紫蘇&ベーコンのパン。
店内に売っていたお茶を買って、食べ歩きをしながら京都駅へと戻っていく。
今回買った中で特に気に入ったパンは、チョコレートのパン「チョコメック」だ。パンの生地はモチモチしている。チョコレートはそんなに甘くなくて、パン生地の上品な甘さを引きててくれている。パンとチョコレートの味のバランスに感動しっぱなしだったけれど、このパンの横には「東京で大人気!」と書かれたPOPが飾られていた。
どうやら東京の日比谷にもお店があるようだ。
せっかく京都に来たのに限定のお店じゃないんだとガッカリしそうなところだけれど、東京でまたこの味が楽しめるのも嬉しい、そんな前向きな気持ちになれたのも「観光しない京都」だからこそ。この旅にあまり特別なことを求めてはいない。
パン屋から京都駅まで歩き、ほどよい疲労感でお昼を迎えた。
食べたばかりだけど、この後お昼ご飯は仲間たちとうどんを食べる約束をしている。目的のうどん屋までは京都駅からバスで20分程だった。
コインロッカーに預けた荷物を引き取り、バスターミナルに向かった。しかし、いくら探しても探しても、私には目当てのバスが見つけられないのだ。
京都駅のバスターミナルを甘く見てはいけなかった。信じられない数のバスが、人が、わたしに襲いかかってきたのだ。
どうやっても見つけられないバス。私は迷子になった子供のように半べそをかきながら、自分が慣れない土地にいることを思い出していた。
走っているときは感じなかった街のよそよそしさみたいなものを強烈に感じて、一気に居心地が悪くなり、嫌な緊張感に襲われた。
耐えられないこの現実から逃げるために、私は咄嗟にタクシーに飛び乗った。
無事に仲間と合流し、気持ちを落ち着かせた。
お昼ご飯は「岡北うどん」の天とじうどんをいただいた。甘味が強く、出汁の味と香りがしっかりとしていて、ふわふわの卵に絡んだ麺がよく合う。大きな海老天が2本、最後までサクサクな衣とプリプリの海老がとても美味しかった。
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私は午後2時過ぎにゲストハウスでチェックインを済ませ、次々に到着する仲間達を迎えた。
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夜は、京都で有名な「ジャンボ」のお好み焼きと焼きそばを中心に、各自持ち寄った料理などを食べた。
基本的にオンラインで繋がる私たちは、念願の初対面に涙したり、久々の再会に感激したり、おしゃべりに花を咲かせた。
1人の時間も良いけれど、こうしてみんなと過ごす時間も良い。そして、お店じゃなくてこのゲストハウスの中でみんなと食事できるのも、気兼ねなく過ごせて居心地が良かった。
まるで誰かの家に遊びに来ているような、我が家に遊びに来てもらっているような、そんな感じが「観光しない京都」らしくて、とても気に入ってしまった。
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京都をみんなで走る
翌日は午前8時30分にゲストハウスを出発して、ぞろぞろとみんなで二条城前まで歩いた。
少し前にモーニングで食べたチーズトーストがお腹で揺れている。
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この日はさらに人数が増えて、20人以上の仲間が集まる。ランニングチームとウォーキングチームに分かれて、京都の街を観光せずに走ったり歩いたりして過ごすのだ。
私は約8キロを走るランニングのチームに参加し、仲間達と鴨川を中心に走った。
昨日走った桂川とは違って、人も多く賑やかだ。
休日を楽しむ若者や家族連れが目立つ。
川沿いには沢山のお店が並んでいて、どのお店も魅力的に見える。
この川と同じように、私も今日は仲間達と賑やかなランニングをした。
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気温も高く、ちょっとバテそうになったけれど、仲間たちの存在が私を走らせてくれる。
1人で走ることが基本好きなのだけれど、みんなで走る楽しさも知っている。
昨日とは違う、仲間たちとのランニングを、京都の街と重ねながら楽しんだ。
ランニングを終えると、高瀬川沿いにある梅湯へ行き、汗を流した。
お風呂の後はもちろんご飯。空腹なままカフェに向かい、総勢24名でお昼ご飯をいただいた。
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この楽しい時間がずっと続けば良いのに、そう思いながらも迫ってくる別れの時。オフ会はランチ時間で解散となった。
その後も残れる人だけでゲストハウスへ戻り、後夜祭をした。久しぶりに夜更かしをし、夜中の2時まで楽しい時間を過ごした。
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観光しない京都の先に
楽しい時間はあっという間過ぎ、とうとう旅の最終日だ。
15人で泊まったゲストハウスも昨日は8人に減り、今朝も1人また1人と旅立って行った。
みんなを見送り、最終的には4人が残りチェックアウトを済ませた。
「なんだかテラスハウスみたいだね。みんな卒業していくのに、卒業できないままシーズンが終わっで強制退出させられるみたいだね。」そんなことを話しながら、笑っていたけれど、みんなとの別れが淋しくなっていた。
また会えるはずだけれど、いつ何があるかは分からない。だから、この旅でのみんなとの時間も大切に過ごした。また、必ず再会できますように。
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せっかく京都まで来たので、帰りに琵琶湖大橋を走ろうと計画していたのだけれど、荷物の問題などもあり、今回は断念することにした。特別なことをしようとすると何かしらの無理をする必要が出てきてしまうし、今回の旅に、ストレスを感じたく無かった。
とりあえず京都駅へ向かい、仲間と別れて1人で新幹線の切符を買おうと券売機の前に立った。
すると突然、このまま帰るわけには行かない!という強い気持ちが湧いてきたのだった。
降車駅を選ぶボタンを押す瞬間に途中下車をして走ろうと決断し、気がつくと米原駅前までのチケットを購入していた。
京都駅で鯖寿司を買い、新幹線に乗り込んだ。
約30分後、次の米原駅で降りた。
本当に降りてしまった。
食べに行きたいお店があるわけでも、観光したい場所があるわけでも、走る以外に何の目的もないこの米原駅で本当に降りてしまった。
駅の外にある公衆トイレで着替えを済ませて、荷物をコインロッカーに預けた。手荷物は何もなく、ウエストポーチにスマホが1つ入っているだけの身軽な体に変身した。
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誰がどう見ても、私はこの土地の住人だ。
走る前からこの土地に馴染んでいる。
滋賀県は祖母が生前に住んでいたけれど、祖母の家は蒲生郡の日野というところで、米原からもなかなか遠い。
乗り換えに使っていた米原駅は、日野よりもずっと栄えているように思えたけれど、駅の外に出て走ると、なんとなく抱いていた米原のイメージとは全く違っていた。
駅前に繁華街など存在しない。新幹線の駅とは思えないような、これといって何もない、そんな場所だった。果たして米原を走って楽しいのだろうか。途中下車した意味はあるのだろうか。不安な気持ちが頭をよぎる。
考えても仕方がない、とりあえず走ろう。私は琵琶湖方面に向かって走ることにした。
駅から少し進むと、広がる水田。
何だろう、この気持ち。
胸が高鳴っているのが自分でもよく分かる。
なんと美しいのだろう。わたしは水田の美しさを知らぬままこの年になった。
あまりの美しさに感動して、しばらく動けなくなってしまった。
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さらに、私の今いるこの場所は、人間よりも鳥や虫の方が圧倒的に多い。人の声なんて全くしない。それなのに、生き物たちの鳴き声や風の音や水の流れる音でとても賑やかだ。
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水田を越えて進んでいくと、真っ直ぐに伸びる川があった。これはきっと琵琶湖に続いていくのだろう。川沿いの景色も美しい。
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しばらく走り続けると、目の前には琵琶湖が広がっていた。
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誰もいない、何もない、だけど私は、今日ここまで走りに来て良かったと、心の底から思った。
京都からの帰りにふらっと寄った米原で、これだけ感動する出来事が起こるなんて、正直びっくりしている。
目的も何もない土地で走り、その土地を身体全部で感じることの素晴らしさを知り、私の中の走る世界は確実に広がった。
京都の街を走った体験から自然と生まれた米原駅での途中下車ランは、旅をした3日間の中でもかなり衝撃的で、感動的な出来事となった。
***
旅からあっという間に2週間が経った。
京都という街で、暮らすように過ごすという体験は、シンプルだけどとても贅沢で、街と繋がれる貴重な時間になった。
京都に観光せずに走りに行ったと言うと、勿体無いとか、色んな人に驚かれるけれど、こんなに素晴らしい体験を知らないみんなの方が勿体無いなと、今なら胸を張って言える。
相変わらず週末は近所を10キロくらい走っている。走るコースはこれまでと変わらない。
走りながら、また新しい場所にも出会いたいな。そんなこともよく考える。
来年も、京都に行こう。観光せずに、走りに行こう。京都のゆっくりとした時間や空を思い出しながら、理由はよく分からないけれど、前よりも走るのが楽しくなったいつものコースを、私は今日も走っている。
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私の今回の旅のきっかけとなった雑誌はこちら。
モノノメ2
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旅を共にした仲間のOさんのnoteはこちら
センチメンタルな旅、春の旅 “ 旅先で『日常』を走る〜spin-off⑩ ”|蒲 公英