ドイツワーホリ | ドイツを選んだ訳
Guten Tag🇩🇪 Ayano(礼乃)です。
今回は私が"なぜドイツにワーホリを行くことにしたのか"という事についてお話しできればなと思います。
なぜドイツを選んだのか?
1.私のワーホリ歴
なぜワーホリでドイツを選んだのかのお話する前に私のワーホリ歴について簡単にお話すると、
2017年9月〜2018年1月 オーストラリア シドニー
2023年6月〜2024年9月 カナダ トロント
と実はワーホリで”The みんなが行く国"はすでにビザを使ってしまっていたのです。
また英語圏で行ける国に行こうと思っていたのですが
現在30カ国の国でワーホリが可能な中、意外と英語圏の国というのは少なくて、上記のオーストラリアとカナダ以外だと
①イギリス ②アイルランド ③ニュージーランド
の3つが当初の私の選択肢としてありました。
2.イギリスにしなかった理由
①イギリスは次の自身の進路を考えていた当時、倍率が高すぎて行ける見込みが薄いため、とりあえず抽選のみ申し込むつもりで計画を練っていました。しかし、2024年11月にイギリスワーホリの受け入れ定員数が増え、枠が6000人になったのです。
「え?じゃあ、これ今応募したらほぼ確でイギリス行ける?」
そう思ったら不思議なもので、抽選が当たったら縁があったんだと行くつもりだったイギリスも今度は後回しでいいかと思えてきたのです。
なぜそのようにマインドチェンジしてしまったのか?
実は私なりの理由がありました。
というのも、イギリスのワーホリは最長2年居れるのですが、
2025年の1月に29歳になる自分にとって、次イギリスに行ってしまうとワーホリでもう他の国に住めないなと思ったんです。
極力、海外に住みたい願望があり、そうなった時にビザの関係上、確実に海外で生活できるこのワーホリビザをギリギリまで伸ばして活用する道を考えると、イギリスはギリホリの選択肢に残しておきたい。そう思ったのです。
(※31歳になる1日前までにワーホリビザで入国すれば、イギリスだと最長32歳12ヶ月は居れるのでほぼ33歳までは海外に住むことが出来る計算。)
それと、現在のイギリスで仕事が見つかりにくいこともカナダ在住中に友達からも聞いていたので、選択肢として最後まで残そうと思い、このタイミングでイギリスに行くことはやめました。
3.アイルランドにしなかった理由
②アイルランドに関しては、今後イギリスに住む可能性が選択肢としてあったのが大きな理由です。
正直、アイルランド→イギリスだと、多少なりとも雰囲気が近い様な気がして次のワーホリでは行くのはやめました。
自分がまだ、あと何カ国も行けるのであれば、アイルランドも行ってみたかったとは思います。
残り期間が少ない中だと、こうして選択肢を絞っていくしかないのが残念です。
4.ニュージーランドにしなかった理由
③ニュージーランドに関しても、オーストラリアと少し似ていることが1つの理由です。
自分がアジア、北米、オセアニアと短期間も含め住む経験をしていたので、今後ギリホリでイギリスの選択肢があっても尚、やはりヨーロッパにも住みたい気持ちが先行してしまいました。
また、正直ニュージーランドは田舎だというイメージが強く、鹿児島のド田舎で育ってきた私にとっては折角海外に住むのだから、ガラリと変えて住みたい気持ちも強かったです。
5.新たな選択肢 オランダ
そんなこんなで、英語圏以外の国にも一度、目を向けてみようと思った時に出てきたのがオランダでした。(ドイツちゃうんかい笑)
カナダにいる際に、香港と韓国の友達に
「自分の友達も何人かカナダの後にオランダへワーホリ行く人多かったよ。結構英語通じるみたい。」と聞き、帰宅後直ぐに
『🔍オランダ ワーホリ』で検索。
問題と思っていた言語に関しても、なんとオランダは非英語圏の中では世界一と言われる英語力らしく、それなら働けるかも!と思い、
新しい道が出来たとすぐその気になってルンルンに。
更にさらに、オランダはヨーロッパの中で日本人が永住権を比較的に取りやすい国らしく、「それならワーホリに今後拘らずとも海外に住める選択肢できたかも!最高!」と一旦意気揚々になりました。笑
しかし、だからと言ってヨーロッパが自分にとって相性の良い地域なのかも、移民問題や差別がどれほどなのかも、食べ物や気候が合うかも、
まだ何も分からない訳です。
「でも、正直オランダを選ぶのが一番ワクワクするかもしれない。
ちょっとオランダの永住権を視野に、一旦ワーホリで行ってみて、
その国で生活してみよう。」
とその時、なりました。
ただ、ここで一つ問題が…
オランダビザ発給数200人のみ問題
ただ先着200名なので、4月1日に応募しさえすれば
ほぼ確でビザは取れるとのこと。(2023年は7月1日に満枠に)
それなら問題ないじゃないか。と思っていたら
まさかまさかのビザの申請がおりてから90日以内にオランダに入国しなければならず、もし4月に応募して直ぐに申請が降りてしまったら少なくとも6月には行かないといけない計算に。
正直、カナダには夏の期間までいたかったので今の自分とタイミングが合わないかもしれない。そう思い、カナダの夏を諦めるか、振り出しに戻るかで少し決断を先延ばしにしながら当時ゆっくり考えていました。
(ある意味、ランダムな抽選よりも運任せで考えることもできず、タイミングに縛られるという…)
6.ドイツ人青年との出会い
そんな時、カナダの日本食レストランで働いていた私の前にある1つの出会いがありました。
お客さんで来た高身長の"The ヨーロッパ"な見た目の青年から売っていたお弁当について日本語で質問されたのです。
海外で思わぬ人から日本語で話しかけられると「え?なんで日本語話せるんですか??」とつい尋ねたくなるものです。
話を聞くと、彼のおばあちゃんが日本人らしく彼はドイツと日本のクォーターで、トロントには3ヶ月留学で来ていることが分かりました。
実は、オランダワーホリについて調べていた際に
お隣ドイツのワーホリは、ビザの発給数無制限でどのタイミングでも渡航できることを知っていたので、ゆるーく選択肢の1つとしてドイツワーホリも考えていました。
そのため彼の質問に答えつつ、自分も次はオランダかドイツ辺りにワーホリ行くかもしれないと話し、そこではそれで一旦お別れしました。
ですがその1ヶ月半後くらいに、その青年ウィリアムとそのおばあちゃんが一緒に再来店してくれたのです。(ウィリアムは16歳の未成年なので、おばあちゃんは保護者代わりに一緒にカナダに来ていたらしい)
その頃には、いよいよ次の進路についてどうするか考えていて、尚且つやっぱりオランダはもう間に合わないかもしれないと思っていたので、元々軽く考えていたドイツに対して本気で行ってみようかと思っていました。
そんなタイミングで2人が来てくれたので
藁にもすがる思いで「ドイツ語話せなくてもドイツで生活できますか?」と聞いてしまいました。笑
するとおばあちゃんが、「多分行けると思うよ。もし、本当に来るなら何か手伝えることがあるかもしれません。」と言ってくれ、連絡先を無事交換。
またその際にドイツの都市選びについても色々と相談に乗ってくれました。
カナダにワーキングホリデーで行ってみて、現地に人脈が1つでもあるのと無いのとでは全く違うと自身の経験から分かっていたので退勤後、直ぐにお礼と自己紹介も兼ねてLINEすると
フランクフルトかデュッセルドルフなら家があるので泊まりに来ていいよとそのおばあちゃんが言ってくれました。泣
(ワーホリでの最初の家探しの大変さは本当に経験した人でないと分からないと思うくらい、すごくすごく大変でストレスなのです…)
とはいえ、そんな中でも日本語を分かってくれる現地の知り合いほど強力な人脈はありません。
「これはドイツに呼ばれてる!!」
そう思い、あれだけ悩んでいた国決めを速断し、今に至る訳です。
7.最後に
自分がずっと日本にいたら勿論無いご縁でもあったし、
そんな社交辞令のような話に日本人感覚の強いままだと行けなかったかもしれない。そう思うと、人生何があるか分からないよなと振り返ってみたりしました。
そして、あの時のあの決断は最初からここに来るまでの伏線のようにも感じられてくるのです。
というのも、カナダに来る前に結婚も考えていた彼氏とも別れ、
日本で転職した仕事もブラックすぎて病んでしまって辞め、
と一気に自分が日本で築いていたと思っていたものが同タイミングでダメになったのです。
更にその当時は、ちょうどコロナが終わりかけでPCR検査もいらないまま海外渡航できるようになったタイミングでもありました。
そんないろんな事が重なって、環境が海外へ行くことの背中を押してくれる感覚があったのです。そうして行ってみたカナダ。
本当にたくさんの素敵な人に出会えました。
現地に住んでるカナダ人は勿論のこと、現地で出会う日本人でさえ、日本にいた時は出会えないような人も沢山いて、本当に行って良かったと思っています。カナダでは、きっとこれからどこ行っても続くようなご縁に本当にすごく恵まれました。
そんなカナダの後に行く国を探して出会った、次なる国ドイツ。
自分が日本で色々ダメになってカナダに行くことを決断したのも、次のドイツに行くための伏線のようにも感じて、はたまたそのドイツが次の何かの伏線であるようにも感じて、こうやって流れに身を任せて行動してみること、何か決断するにも最初からこうなるために全部繋がっている感覚が最近はあります。
芦田愛菜先輩が言っていましたが
『自分なりに考えて、納得して行動する。行動した後は結果は決まっているから、なるようにしかならない。自分に人生の最終決定権があると思ってしまうと、うまくいかなかった時に自分を責めてしまうこともあると思う。結果は決まっていて、自分はそこに行くための方法を選んだだけなんだと思うようにしています』
という名言もお守りにしながら、ここで選ばなかった選択肢に後悔しないで生きていきたいと今は思います。
色んな事を肌で感じて、選択して、行動して、学べて、そのおかげで去年には想像してなかった道が拓けて。
ある程度の指標だけはもって後は流れに身を任せてみる事が自分にはあってるんだなと学べたそんな2024年でした。