![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/165487302/rectangle_large_type_2_5b2c89f88cbcbb48a6f926b2e63edb76.png?width=1200)
国民作家夏目漱石の意外な言葉:警察官は人間失格である!?
夏目漱石が国民的作家だということは知っていたし、『吾輩は猫である』や『坊っちゃん』『こゝろ』なども読んだことがあった。『吾輩は猫である』には不 思議な面白さがあり、『坊っちゃん』にはムチャをするものだと驚かされ、『こゝろ』を読んで「漱石は、暗いな」と思ったものだ。
子供の頃、わたしは読書家ではなかったから、
始めて漱石の作品を目にしたのは、国語の教科書であっただろうと思う。
漱石は教科書に採用されることが最も多い作家の一人だということだから、ほとんどの日本人が「教科書で」ということなのだろう。
最近では、漱石は日本語学校の教科書にも登場するということだから、日本語を話す人ならだれもが、漱石の名前を知っているということになる。
漱石は、日本を代表する世界的な作家なのである。
不思議なことに、この日本を代表する作家漱石の処女作『吾輩は猫である』(『ホトトギス』一九〇五年一月―一九〇六年八月)は、発表の翌一九〇六年(明治三十九)に教科書に採録されている。『再訂女子国語読本』に『吾輩は猫である』が採録されたのが漱石の教科書デビューなのだ(橋本暢夫「中等国語教材史からみた夏目漱石」『国語課教育』一九九一年三月三一日)。
つまり、文壇にデビューした翌年に、早くも漱石の作品が教科書に採録されたということになる。
そんなこともあってか、鴎外が『夏目漱石論』(明治四十三年七月)と題して、以下のような随筆を書いている。「一、今日の地位に至れる径路 政略と云う ようなものがあるかどうだか知らない。漱石君が今の地位は、彼の地位としては、低きに過ぎても高きに過ぎないことは明白である。然れば今の地位に漱石君が すわるには、何の政策を弄するにも及ばなかったと信ずる。」と、たしかに政略や政策がなかったにしては、教科書採用が迅速に過ぎる感がある。
漱石はデ ビューの時から、国民的作家であったかのようである。
その後も漱石の作品は国語教科書に採録され続けて、戦前の国語教科書には欠かせないものになっていく。
現在の中学・高校の国語教科書に相当する中等学校 国語科教科書には、『草枕』、『吾輩は猫である』などの小説ばかりでなく、随筆、紀行文、評論、日記、書簡、俳句など多岐に及ぶ漱石作品が教科書に採録さ れていたというから驚きだ。
さらに驚くことには、戦後もその傾向は続いて、一九九二年(平成四)頃までは、国語教科書の八〇%以上が漱石作品を採録していたという。
ここまでくると 国家的作家にすら見えてくる。どおりで読書家でなかったわたしが漱石を読んだことがあるはずである。だれもが教科書で漱石の作品にお目にかかっているのだ。
漱石の人となりについても、教科書や国語便覧、国語教師の説明などを思い出せば、少しは話せる。
漱石といえば、東京帝国大学を卒業して大学院に進学して、イギリスに留学したエリートで、神経質で胃が弱い英語教師だった。これくらいのことは、国語で満点を取ったことがなくても、何とか思い出すことができるはずだ。
そして多くの人が漱石はそんな人だったろうと思っているに違いない。じつはわたしも、漱石はそんな人だと思っていた一人だ。
だが最近、その漱石像が間違いだと気付いた。それはたまたま、漱石のショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer, 1788年2月22日―1860年9月21日、ドイツの哲学者)引用個所を調べていて、『文芸の哲学的基礎』を読んだときのことだった。
『文芸の哲学的基 礎』というのは漱石の講演をもとにした論稿で、この論稿を読んで、これまでの漱石のイメージが一変した。
わたしは、漱石についてあまりに知らなすぎた。と いうより、知っているつもりになっていたことに気付かされた。
今思えば、まるで漱石に興味を持つ前に、漱石像が教科書や国語便覧によって作られてしまって いたかのようでさえある。
驚くことに、『文芸の哲学的基礎』で漱石は、こともあろうに「警察官は人間失格である」(講演を要約するとこうなる)と述べていたのだ。
最初は冗談で述 べたのかとも思ったが、冗談にしてはあまりにも危険である。
戦前の警察を批判しても一銭の得にもならないし、わざわざ冗談で、警察を非難する必然性はどこにもない。
漱石の経歴から考えても、漱石が「いや、ちょっと冗談で…」とか、「いや、ついうっかり…」とか言って警察を非難してしまうようなうっかり者に はとうていみえないのだ。
となると、どう考えても漱石が意識的に戦前の警察を批判したと考えるよりほかないのである。
にわかには信じられないのだが、たしかに漱石は第二次世界大戦前の、つまり、戦前の警察を批判していたのである。
これは想像を絶する覚悟がなければ、で きないことである。
そしてこれは、紙幣の肖像画にもなり、だれからも愛される国民作家、という漱石の優等生的なイメージからは、想像もつかないことなので ある。
漱石はいったいどんな思いで「警察官は人間失格である」などと述べたのだろうか。