漱石の作品にある松井茂の陰
漱石は『吾輩は猫である』で「不用意の際に人の懐中を抜くのがスリで、不用意の際に人の胸中を釣るのが探偵だ。 知らぬ間に雨戸をはずして人の所有品を偸むのが泥棒で、知らぬ間に口を滑らして人の心を読むのが探偵だ。ダンビラを畳の上へ刺して無理に人の金銭を着服す るのが強盗で、おどし文句をいやに並べて人の意志を強うるのが探偵だ。だから探偵と云う奴はスリ、泥棒、強盗の一族でとうてい人の風上に置けるものではな い。そんな奴の云う事を聞くと癖になる。決して負けるな」(第十一話)と書いている。
『草枕』でも「足がとまれば、厭になるまでそこにいる。いられるのは、幸福な人である。東京でそんな事をすれば、すぐ電車に引き殺される。電車が殺さなければ巡査が追い立てる。都会は太平の民を乞食と間違えて、掏摸の親分たる探偵に高い月俸を払う所である。」と書いている。
漱石は何の根拠もなく警察を非難したのだろうか。
じつは松井茂が、警視庁四谷署長時代を回想して以下のように書いている。
「多年刑事巡査として最も経験あり且つ東京市内でも名の売れた者に角村巳之吉と 云ふがあつた。当時我が四谷署管内に賭博常習者にチビトク、ヒゲトラなどと称する者共は皆角村の乾兒であつた。又其頃東京の警察署には諜者といふ者があ り、刑事巡査の手先となつて働くを常とした。而して一度刑事巡査が其の職を退く時には、平素之を親分として尊敬し来れる諜者や博徒等の類は手拭を配る等其 の間に弊害も少なくなかつたものである。」(『松井茂自傳』)と。
つまり、現実に警視庁の刑事が賭博常習者を子分にしていたのである。「諜者や博徒等の 類」の中にスリや泥棒がいたとしても、なんの不思議もないだろう。
この事実を松井茂自身や親友中村是公などから漱石が聞いていたと推理すれば、『吾輩は猫である』の「探偵と云う奴はスリ、泥棒、強盗の一族」とか『草枕』の「掏摸の親分たる探偵に高い月俸を払う所である。」という個所は事実を基にした風刺ということができる。
ほかにも漱石の作品には松井茂を暗示しているかのような個所がいくつかある。
『文鳥』には「顔を洗いながら裏庭を見ると、昨日植木屋の声のしたあたり に、小さい公札が、蒼い木賊の一株と並んで立っている。高さは木賊よりもずっと低い。庭下駄を穿いて、日影の霜を踏み砕いて、近づいて見ると、公札の表に は、この土手登るべからずとあった。筆子の手蹟である。」と、文鳥の墓表に「この土手登るべからず」と書いてあったとある。
「公札の表には、この土手登るべからずとあった」という個所が、松井茂の講演に出てくる語に類似している。松井茂は一九〇二年(明治三十五)の日本弘道 会四谷支部会での講演「公徳と警察」で、「生徒は歩行中堤防に上るべからず」という表札に言及している。
『文鳥』という作品自体を松井茂が関与した動物虐待防止会の風刺、「公札の表には、この土手登るべからずとあった。」という個所は松井茂が関与した公徳教育(広義の警察教育)の風刺と読めるのである。
『野分』にも松井茂を想起させる以下のようなエピソードがある。
「中国辺の田舎である。ここの気風はさほどに猛烈な現金主義ではなかった。ただ土着のものがむやみに幅を利かして、他県のものを外国人と呼ぶ。外国人と呼ぶだけならそれまでであるが、いろいろに手を廻わしてこの外国人を征服しようとする。宴会があれば宴会でひやかす。演説があれば演説であてこする。それから新聞で厭味を並べる。生徒にからかわせる。そうしてそれが何のためでもない。ただ他県のものが自分と同化せぬのが気に懸るからである。」と、中国地方の中学校で英語教師の白井道也が追い出されるエピソードがある。
『松井茂自傳』によると、松井茂は広島中学校時代に英語教師の排斥運動をしている。
松井茂は、一八八一年(明治十四)頃の広島中学校を回想して「其の頃の事であつたが英語教師大山某 氏排斥運動の火の手が校内にあがり、余も之に参加し一時は大変な騒ぎであつたが、田原教諭(後の早大教授)の戒めに従ひ漸く事なきを得た。」「当時の広島 中学校は英語に重きを置き、古田、俵の諸生は其の方で頭角を現はして居つた。又ストライキの的となつた大山教頭は亜米利加帰りのチャキチャキで、日本の事 情に通ぜぬところから、ああした騒ぎを起したものであらう。之に反し日本外史を講じた山内先生は慷慨家で、大いに生徒の気風を刷新したものであつた。」 と、広島中学校での英語教師排斥運動について書いているのである。
『私の個人主義』にも松井茂を想起させる個所がある。
『私の個人主義』には「日本が今が今潰れるとか滅亡の憂目にあうとかいう国柄でない以上は、そう国 家国家と騒ぎ廻る必要はないはずです。火事の起らない先に火事装束をつけて窮屈な思いをしながら、町内中駈け歩くのと一般であります。」とある。
松井茂が 国民に警察思想と消防思想を普及しようとしていたことを知る者には、風刺に聞こえるのである。
以上、思いつくままにいくつか例示してみたが、漱石の作品を詳細に検証すれば、さらに多くの一致が見られそうである。
じつは『吾輩は猫である』に出てく るいくつかのエピソードが、松井茂の関与した政策などと一致しているのである。
それは偶然の一致と考えるにしては少々多すぎるのだ。