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「警察教養(学校教養と職場教養)は洗脳?企業内教育=警察教養?日本人は、洗脳された奴隷!?

 精神科医の中村希明さんは、『怪談の科学―幽霊はなぜ現れる』という本の「洗脳と企業内教育」で、興味深い指摘をしている。

 中村さんは、「洗脳と企業内教育」で、コーネル・メディカルセンターのヒンケルらによる朝鮮戦争で中国の捕虜になって、洗脳されて帰国した米国軍人の面接調査の事例を引用し、洗脳について説明した後、

ヒンケルは、「洗脳」が起こる原因の中で一番大きいのは、仲間も信じられないという精神的孤立感であるとしている。容疑者が独房に閉じこめられ、夜昼となくかわるがわるに尋問されてくたくたになったころ、取調べ官のさしだす煙草などについほろりとなって自白する、という警察の古来の「おとし」方などは、洗脳と多分に類似性のみられるやり方である。

と、「洗脳」と警察の「おとし」との類似性を指摘している。

 そして、「洗脳」について、

またこの方式は、ブレーン・ストーミングとか感受性訓練(センシティビティ・トレーニング、略してS・T)などと呼ばれて、企業内の教育にもさかんに利用されている。

と、「洗脳」が企業内教育に利用されていると指摘している。

 ふだんは多忙な企業の中堅スタッフが、週末などを利用して郊外のホテルにかんづめにされる。そこで、まったく面識のない他企業のスタッフと顔をつきあわせて、生き甲斐《がい》だとか人間関係だとかの浮世離れしたテーマを与えられ、精神的に裸になって昼夜にわたり集中討議をさせられるのである。
 こういう状況におかれると、人間の、日ごろ鎧《よろい》の下に隠している思いがけない側面、生地《きじ》が一挙にさらけ出され、それらがうまく統合・再構成された場合は、まるで人が変わったような充実感を味わい、リフレッシュされて、翌日からの企業戦線に復帰していくことができるのである。しかしS・Tは作用が強烈なので、逆効果になる場合もある。自我の統合力が弱く、その人なりの自我防衛のメカニズムによってかろうじて社会に適応していたような人が、集団のなかでその防衛を突き破られ、しかも、トレーナーの適宜な処置がとられなかった場合は、パニックにおちいって、S・T後の精神障害を起こす例が決して少なくないからである。

と、企業内教育(S・T)によって、「精神障害を起こす例が決して少なくない」と、指摘している。

 さらに「ある精神病院の会誌に、『S・T後遺症を克服して』という題の退院患者の感想文がのっていた。」と、実例を挙げて、その

内容は、S・T中に患者の病的な攻撃性が解放されて収拾《しゆうしゆう》がつかなくなり、トレーナーもコントロールできない躁《そう》状態となって、やむなくその精神病院に入院させられ、退院後も、まだ軽い躁状態が続いていることを思わせる文であった。この患者は病的に攻撃性の強い性格で、それが防衛されて、かろうじて社会に適応していたのである。この患者は、S・Tを受けなければ、発病することもなかったかもしれない。

と、紹介した後、

このように、自我の自律性の弱い人にはS・Tは有害なので、対象は慎重に選ぶ必要がある。
 S・Tは、対象の選択、トレーナーの熟練度によって、毒にも薬にもなる両刃《もろは》の剣である。

と、企業内教育(S・T)の危険性を指摘している。

 ただし、中村さんは企業内教育について、

この点、その内容が実務的なものに限られ、人間の深層心理に触れることのない新人研修などは、こういった危険性は少ない。このような特訓が効果を発揮する理由は、山のホテルなどに、一定期間世俗から隔離された状態で集中的な教育を受けることにある、とされている。

と述べているので、一般企業の新人研修と同じ時期にある警察学校での初任科教養も洗脳的でないような印象を持ってしまいがちだが、そうではない。

 中村さんは、前段で「その内容が実務的なものに限られ、人間の深層心理に触れることのない新人研修などは、こういった危険性は少ない。」と、「新人研修」を洗脳的な企業内教育の例外としているが、後段で、洗脳的な企業内教育の特徴として、「このような特訓が効果を発揮する理由は、山のホテルなどに、一定期間世俗から隔離された状態で集中的な教育を受けることにある」としており、この特徴から、警察学校に隔離した状況で行われる警察官の初任科教養は、洗脳的な企業内教育に当てはまるといえる。

 初任科教養だけでなく、洗脳的な企業内教育の特徴を持つ、警察学校(警察大学校・管区警察学校・警察学校など)で行われる、警察学校教養は「洗脳」といえそうである。

 さらに、「『洗脳』が起こる原因の中で一番大きいのは、仲間も信じられないという精神的孤立感であるとしている。」ことから、警察学校教養だけでなく、警察の職場教養においても、「洗脳」の手法が応用されていることは明らかである。

 このことは、特定の人間にしか公開していないミクシーのブログで、兵庫県警での勤務内容について愚痴を述べた女性警察官が、同僚の密告により、退職に追い込まれた事例からも明らかだろう。

 相互密告が奨励されている警察内で、警察官は常に疑心暗鬼の状態(「仲間も信じられないという精神的孤立感」を常に感じる状態)に置かれているのである。

 いじめが起こる教育現場や職場のいじめなければいじめられる、いじめを見て見ぬふりするといった時の心理状態もこれなのではないだろうか?

そうだとすると・・・。

 この状態が、警察教養(学校教養と職場教養)の前提条件なのである。

中村さんは、

考えてみると、日本の代表的な精神療法の一つである「森田療法」も、神経症患者が一ヵ月間個室に入院し、もっぱら内省を続けさせられるという、一種の「洗脳」療法といえるであろう。

と、指摘している。

 このことから、警察教養は「森田療法」を応用した「洗脳」手法ではないかとの疑いが起こるのである。

 森田療法を考案した森田正馬は、呉周三の弟子で、呉周三は松井茂の親友なのである。

 呉周三や松井茂らが、警察官や国民を洗脳する方法を考え出し、その手法を医療に応用したのが森田療法と考えた方が自然かもしれない。

 国民皆警察を目指した松井茂の社会教化運動は、「同情(共感)」による国民「洗脳」の試みとも言えなくはない。

 森田療法と同様の手法で警察官を洗脳し、その警察官を摸倣中心にして、国民を洗脳する。

 この時重要なのが、国民が警察(官)に同情(共感)することなのである。

 漱石の道義的同情(同情〔共苦・同苦〕)は、そんな「洗脳」をすることに喜々としているヒトたちに、

「それをやっちゃ、人としてダメだろ」と、

素朴にダメ出しできる、人間の心の中にある何か、のような気がする。

 からかい殺す世の中になってしまっているから、このことに気づける人間はもう、いないのかもしれない。

追記

2017年8月8日の『日刊スポーツ』のニュースサイトに「新人研修中に自殺、遺族側1億円の損害賠償求め提訴」という記事があった。

東京都中央区の製薬会社●●●新薬工業の新入社員の男性(当時22)が新人研修中に自殺したのは、過去に受けたいじめの告白を強要されるなどしたことで強い心理的負荷を受け、うつ病を発症したのが原因として、遺族が8日、同社や研修の一部を請け負ったコンサルティング会社、当時の講師に慰謝料など総額約1億円の損害賠償を求め、東京地裁に提訴した。

のだそうだ。

遺族の弁護士によると、男性は2013年4月に医薬情報担当者(MR)として入社したが、研修中にうつ病を発症、翌5月、研修施設から自宅に戻る途中に自殺した。

遺族側は、詳細な報告書の提出などのため「当時は月100時間以上の時間外労働があった」とも主張している。

そうだ。

 精神科医の中村希明さんが『怪談の科学―幽霊はなぜ現れる』で「洗脳と企業内教育」に言及している個所を引用して、「『その内容が実務的なものに限られ、人間の深層心理に触れることのない新人研修などは、こういった危険性は少ない。』と、『新人研修』を洗脳的な企業内教育の例外」と述べたが・・・

甘かった。

「新人研修」も洗脳だ。

 日本の企業はすべて警察化していると思っていた方が良いようだ。

 日本企業の企業内研修はすべて、警察学校教養と同じ、洗脳だ。

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