
神戸市が凋落した理由が、わかった気がした。
Amebaブログ『一の谷倶楽部』の「海苔工場 場所もあろうに 須磨の浦(詠人不知)」と「『華厳の滝を見て、これから電力を得ようなどと思ったときには、もう滝の美しさは消えてしまいます。』」という記事を読んだ。
神戸市が凋落した理由が、わかった気がした。
異国情緒というのは日本の情緒があるから異国の情緒と感じられるもので、日本の情緒が無くなってしまえば、外国の出来損ないでしかない。
Amebaブログ『一の谷倶楽部』の「海苔工場 場所もあろうに 須磨の浦(詠人不知)」という記事
日経BPというサイトに「須磨海浜水族園・海浜公園のPark-PFIによる再整備がスタート」という記事があった。そこには「須磨海浜水族園・海浜公園の再整備の事業イメージ(出所:神戸市)」という鳥瞰パースが掲載されている。
その鳥瞰パースに、須磨浦漁港船溜まりとそこにある海苔工場が描かれていない。
本来は、この鳥瞰パースの消失点の手前に、砂浜より数メートル高くなった須磨浦漁港船溜まりの埋立地の上に、毒々しい色をした海苔工場があるはずなのだが、描かれていない。
今回の再整備と、無関係なので、現状を描いても良いはず(むしろ現状に相応しいのであれば現状に再整備の施設群を落とし込んで景観との調和を示すべきか?)なのだが、描かれていない。
再整備の範囲を鳥瞰して、淡路島、鉢伏山、鉄拐山などを借景にして再整備の施設群を描くことで、開発地域が須磨浦の景観にマッチしていること、この開発のデザインが優れていることを、素人にも一目でわかるように表現しようというのが、このパースの作成目的だと思う。
須磨浦の現状が、忠実に描かれていないということは、須磨浦の現状が、このパースの作成目的に反するということなのだろうか?
つまり、この再整備のデザインが優れていることを示すのに邪魔になるということ、計画のデザインを一目で理解してもらうのに、邪魔になるということなのだろうか?
だとすると、
このパースに須磨浦漁港船溜まりと海苔工場が描かれていれば、鳥瞰パースが台無しになるほど、美観を損ねているから、描かれていないと考えざるを得ない。
視点がかなり高い位置から見透しているにもかかわらず、須磨浦漁港船溜まりを意図的に砂浜とみなして、砂浜と同じ高さに描いて、まったく存在しないかのように描いていることを考えると、堪えがたいほど美観を損ねているから、あえて描いていないということなのだろう。
実際にはドローンでも飛ばさなければ眺めることのできないほど高い位置に視点がある鳥瞰パースでも、消失点のまん前の不細工な物は描きたくないのだ。
実際に眺めることのできる人間の目の高さや2階ベランダぐらいの高さの視点では、須磨浦漁港船溜まりの埋立地の高さ(数メートル)と海苔工場の高さ(数メートル)を合わせた約10メートルほどの不細工な物が、消失点のまん前にあるのである。
須磨浦の現状は、
哲学の美学云々ではなく、再整備の公募コンペのパースの見栄えという、極めて、特定の目的に限っても、堪え難いほど、醜いということだ。
鳥瞰パースで、淡路島、鉢伏山、鉄拐山などを借景にして開発地域を描いているのは、ワイキキであればダイヤモンドベッドを遠景に海岸線を撮影したり描いたりするのと同じで、その場所の美しさをもっとも象徴的に表現できるからである。ビーチで海を見て水質が良いから〜の海岸だなどとわかる人は、水質検査をする専門家でもいないはずで、海岸を特定するには、海岸とその周辺の景色が重要なのである。
オシャレな街神戸と宣伝しているが、神戸市には、景観を一つの美として観る視点が絶対的に欠けている。
京都市が嵐山の前に鮎養殖振興のための鮎加工工場を作ったり、奈良市が若草山の前に巨大な鹿煎餅工場を作ったり、福岡市が海の中道のまん真ん中を埋め立てて漁港の船溜りと海産物の加工工場をつくったりするだろうか?
海苔工場 場所もあろうに 須磨の浦 (詠人不知)
ほんとうに神戸市は、何を思って、千年以上愛された景観をたかだか50年の伝統の養殖海苔の振興のために破壊するという意志決定をしてしまったのだろうか?
どうして神戸市は、千年以上愛され続けた景観(須磨浦)を一切顧みず、たかだか150年ほど前の異人館や近代港湾施設ばかりありがたがるのだろうか?
西欧を真似た偽物ばかり大事にして、どうして本物を大事にしないのだろうか?
いやそればかりではない。
神戸市では、本物を大事にしないばかりか、西欧を真似た偽物もどんどん失われていっている。これまでの神戸市の努力で作り上げたおしゃれな街神戸のイメージだけが残って、そのイメージの元がなくなってしまっているのである。
ネット上では、神戸市は「ガッカリスポット」などと揶揄されている。
「ガッカリスポット」という噂を知ってか知らずか、震災による近代建築などの消失を英語(「BE KOBE」)のキャッチコピー(?)を『はじめ人間ギャートルズ』的言語の具象化によって補おうとしている。最近はいよいよ余裕がなくなってきたのか、明石市を誹謗中傷するかのような神戸市のPRポスターをつくって、わざわざJR明石駅に掲示したりして、イメージアップができると信じている。実がないだけでなく、心ない宣伝的な政策が目立つ今日この頃である。
本物を壊して偽物ばかりありがたがる神戸市の諸政策と宣伝至上主義的な姿勢が、これまでのオシャレな街神戸というイメージも破壊して、福岡市にも及ばない地方都市神戸のイメージを確定的にしてしまった気がしてならない。さらに、明石市や近隣都市を貶めて自分をよく見せようとする余裕のなさが、さらなる凋落を決定づけそうで怖い。
今さら、言っても仕方ないが、海苔工場や船溜まりは、別の場所につくればよかった気がする。
今からでも、須磨海岸(1.8キロ)と須磨浦(1キロほど)に分断されてしまった須磨浦(3キロ)をもとにもどせないものだろうか?
漁家45家(統計では漁業従事者は45人より少ないようだ)の生活はもちろん大事なので、それなりの補償をして、須磨浦の景観を復元していただきたいものである。
本来、須磨浦(鉢伏山、鉄拐山含む)は嵐山や若草山に負けない本物の観光資源である。
そう思っているのは、わたしだけではないはずである。
震災でもほとんど形状を変えずに残った千年以上愛された景観を、神戸市は、たかだか50年の伝統の養殖海苔の工場建設のために、わざわざ須磨浦の真ん真ん中を埋め立てて、台無しにするというのは、どういう了見なのだろうか?
理解に苦しむ。
Amebaブログ『一の谷倶楽部』の「『華厳の滝を見て、これから電力を得ようなどと思ったときには、もう滝の美しさは消えてしまいます。』」という記事。
神戸市図書館に神戸市出身の哲学者金子武蔵先生の著書が揃っていないため、わざわざ、古書店で購入して、武蔵先生の『カントの純粋理性批判』を読んだ。
カントに関する記述は大変わかりやすかった。
だが、ショーペンハウアーがカントの最大の功績は現象(実在的なもの)と物自体(観念的なもの)からの分離であると指摘していたが、武蔵先生は「物自体」に言及していなかったことが、少々物足りなかった。
そのかわり、といってはなんだが、
武蔵先生は「社会主義は実存主義と結合しなくてはならない」(129頁)と述べていた。
『カントの純粋理性批判』には何度か同様の主張があり、「社会主義」の語が出てくる。
社会主義、実存主義というとサルトルをイメージしてしまいそうだが、昭和31年(1964年)以前の話なので社会主義や共産主義に立脚した実存主義といった左翼に偏った思想ではないように感じたが、「社会主義」の語が何度か出てくるので復刻できないということなのだろうか?
長野県佐久地方の小中学校の教員を主たる会員(日教組?)とする哲学研究会である「佐久哲学会」の全身の集まりでの講演を基にした本なので、リップサービスとして「社会主義」という語を連発してしまったのかもしれないが、
そもそも、武蔵先生がいう実存主義と結合した社会主義は、社会主義と呼べるのだろうか?
西尾幹二先生が、武蔵先生を否定するのは、「社会主義は実存主義と結合しなくてはならない」(129頁)という、主張を知っているからではないかと、勘ぐってしまうのは、私が学問でなく感情的に物事を見ているせいだろうか?※神戸市図書館に金子武蔵の本が揃ってない理由も?
武蔵先生が、左翼であったかどうかとかは、西尾先生など立派な先生方に認定していただけば良い話なので、私はどうこういうつもりはない。
ただ、武蔵先生の『カントの純粋理性批判』を読んで、武蔵先生のカントに関する解説で気になる点があった。
武蔵先生は『カントの純粋理性批判』で
カントの美学についての考えを述べておきます。彼は美とは無関心的に利害の観念をさしはさむことなしに満足を与えるものと考えています。華厳の滝を見て、これから電力を得ようなどと思ったときには、もう滝の美しさは消えてしまいます。だからそのものがそのものとして完全であり、目的であるところに美があるといいうるわけであります。華厳の滝や花は完全であるから美しく、他のことを考えさせずに満足を与えるから美しいのでありますが、滝は電力に、花は装飾用にというように他の手段ともなりうるものです。だから自然美は仮象です。しかるに人間は決して他の手段ではなく、自己目的でありますから、美の理想を現わすものは人体であります。カントは人間の精神ではなくして、人体こそ美の理想を現わすという考えを述べています。
と、カントの美学について説明している。
私が気になったのは、カントの美学云々ではなく、
武蔵先生の
「華厳の滝を見て、これから電力を得ようなどと思ったときには、もう滝の美しさは消えてしまいます。」という、美についての説明である。
このブログで、須磨浦の埋立がまったく理解できない愚行だといった趣旨の主張をしていたが、その漠然とした主張を美学の点で説明するのに、極めて簡潔でわかりやすい説明だという気がした。
武蔵先生の説明を須磨浦に当て嵌めると、須磨浦のど真ん中を埋め立てて、そこにのり工場を建てることが、何を意味するか、だれでも理解できるのではないだろうか。
現在の須磨浦は、
須磨浦の自然の美を遮って、埋立地と工場という生活の手段が立ちはだかっているのである。
神戸市は、須磨浦のど真ん中を埋め立てて工場を建てることで、須磨浦の美を木っ端微塵に破壊してしまっているのである。
この埋立が、生活上どうしても不可欠なものなら、まだ、諦めが付くかもしれないが、45魚家のための埋立で、埋立後は有効利用されることなく放置されていたというから、驚きである。
平成25年の神戸市会で、30億かけて15年間も放置するのなら、漁業者に一人1億円ずつ配った方が漁業振興になったという発言が出ている。
1998年に埋立が完了して、1998年に明石海峡大橋が開通、この間2002年に須磨海水浴場の観光客はピークを迎えるが、その後、減る一方である。
2002年に須磨海水浴場の観光客がピークになるそうだが、この時期に何があったかを考えずにピークといっている気がしてならない。
1998年に須磨浦漁港船溜まりの埋立が完了して、1998年に明石海峡大橋が開通、それに合わせてアジュール舞子の海水浴場が海開きしたが、2001年の事故で2005年まで閉鎖される。
この間の2002年に須磨海水浴場の観光客はピークを迎えた。
2002年の増加分は、2001年の事故で閉鎖されたアジュール舞子の利用者分が須磨海水浴場の増加分と考えると、数字が合うのである。
須磨海岸のピークの後に海水浴客が激減したのは、全国的に海水浴客が減少(2011年の放射能問題)したことも原因かもしれないが、
ほぼ1000年(万葉集、在原業平、源氏物語などなど)保たれていたと信じられていた須磨浦の景観(美)が、埋立で完全に破壊されたことが、須磨海岸を訪れた国民の目に明らかになってしまったからではないかという気がしてならない。
実際、埋立で、須磨浦は、地図(Googleマップなど)でも須磨浦漁港船溜まりより西側だけになり、須磨浦漁港船溜まりより東側は須磨海岸になってしまった観がある。
須磨浦漁港船溜まりの埋立は、漁業振興を目的とした、漁民主導の埋立という異常なものだったそうだ。
たしかに、須磨浦を埋め立ててその場所にのり工場を建設すれば、「須磨のり」というブランド戦略には、最良の策かもしれないが、約3キロあった須磨浦のほぼど真ん中を埋め立てて須磨海岸1.8キロ、須磨浦漁港船溜まり220メートル、須磨浦750メートルにしてしまっては、須磨浦の美観は台無しで、須磨自体のブランド価値が下がり、「須磨のり」の「須磨」じたいが何が何やら状態である。
むかしは塩屋より須磨の方がブランド価値は高かったのだが、今では、須磨(須磨浦は須磨海岸になり洋館もほとんどなくなった)より塩屋(数軒しかない洋館のうちの一軒の有効利用に成功)の方がブランド価値が高いように思われ、塩屋の埋立地(ハウジングセンターがあった)に工場を作っていたら「塩屋のり」ブランドに出来たと地団駄を踏んでいる関係者がいるのではないだろうか?
なんとも、皮肉な話だ。
1000年以上愛され続けてきた須磨浦の美は、日本人の寂の心の心像風景で、華厳の滝の美どころではないように思うのだが・・・
華厳の滝ですら、「華厳の滝を見て、これから電力を得ようなどと思ったときには、もう滝の美しさは消えてしまいます。」というのに・・・
須磨浦は1000年以上愛され続けてきた、日本人の寂の心の心像風景であるのに、「須磨のり」(たかが魚家45家のため?塩屋のりでもよかった?)というブランド戦略のために、埋め立てられ破壊されてしまっていいのだろうか?
神戸市民の問題でなく、日本国民の問題のような気がするのだが・・・
西尾幹二先生やそのお友達(元お友達)たち(神戸にも沢山いるはずなのだが)は、全く気にしていないようである。
悲しい話である。
「須磨のり」(たかが魚家45家のため?)というブランド戦略のために埋め立てる。
1000年愛された須磨浦の美、日本人の寂の心の心像風景の価値は、そんなに低いものなのだろうか?
「BE KOBE」や「家どこ?って言われて神戸の方とかいうぐらいやったら 神戸に住んだ方がええな。」 という、広告会社的な戦略ではなく、
神戸市の観光戦略は、もう少し哲学的な意味での美学を理解する人々の意見を聞いた方が良いのではないだろうか。
神戸市の美的価値が下がる一方なのに、神戸市の広告的価値が上がると思っているのなら・・・
経済戦略としても、問題だろう。
水族園にシャチより、須磨浦漁港船溜まりを撤去して須磨浦の景観(美)を回復する方が、神戸市の観光価値を高める気がするのだが、私の気のせいだろうか? 漁家45家(統計では漁業従事者は45人より少ないようだ)の生活はもちろん大事なので、それなりの補償をして、須磨浦の景観を復元していただきたいものである。
須磨海苔の振興政策としても、決定的な問題があるような気がする。
「須磨海苔工場」と壁や屋根に大書が憚れるような場所(実際には小さい看板も目に付く場所には掲げていないようである)に工場をつくるのは、ブランド戦略としては失敗である。
その場所にそぐわないことを自ら吐露してしまっている。須磨海苔工場を須磨浦の景観を破壊する埋立地につくってしまった時点で、須磨海苔のブランド戦略は失敗していたということになる。須磨海苔の工場の動画を使って大々的に宣伝すれば、須磨浦のあの埋立地の工場かということになってブランドイメージが落ちることになる。場所を隠しても、すぐにわかることである。宣伝したいが宣伝できないブランドになってしまっているのだ。
ボランティア活動や地域活動などといって工場見学をしたり、ニュースやワイドショーなどで取り上げて貰っても、須磨海苔のことを知れば知るほど、広く知られれば知られるほど、埋立地の工場のあの須磨海苔ということになって、須磨海苔のブランドが傷つくような気がする。
そもそも、須磨のブランドを活かすのなら、須磨浦を埋め立てて工場を作って、工場の場所が須磨であるというより、千年前から須磨と言えば「藻塩」なのだから、「藻塩」と「海苔」をつなげて「須磨藻塩海苔」とすれば良かったのである。
須磨と言えば「藻塩」なので「須磨」が余分に感じるくらいが、ブランド戦略としてちょうど良いように思う。
「藻塩海苔」須磨の千年の歴史を感じないだろうか?
千守あたりに工場を作って「千年の歴史を守る藻塩海苔 須磨千守本店」などとすれば、なんだか、千年続いている感じがするし、伝統を千年守っているのかな的な字面なる。「藻塩のり」はすでに商標登録されていそうだが・・・。
宣伝したくても宣伝できない手詰まりなブランド戦略などやめて、須磨浦漁港船溜まりを撤去して須磨浦の景観を回復することに協力することで、須磨海苔のブランドイメージを上げるような戦略に切り替えた方が、良いのではないだろうか。
景観回復の先駆者の須磨海苔つくってる会社か~というイメージで日本全国に認知して貰えれば、神戸市民も鼻が高いと思う。