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正岡子規の一の谷の思い出 『月見草』+『寒山落木』
正岡子規の『月見草』(『子規小説集』俳書堂、明治39年)
に『寒山落木 巻四』(アルス、明治28年)
にある子規が一の谷で詠んだと思われる句を加えてみた。
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『月見草』+『寒山落木』
壹
うれしさに涼しさに須磨の恋しさに
涼しさや波打つ際の藻汐草
汽車過ぎて烟うづまく若葉哉
立ち出でて蕎麦屋の門の朧月
敦盛の塚に桜もなかりけり
入口に麦干す家や古簾
松涼し海に向いたる一くるわ
涼しさや二階をめぐる松の風
鈴蟲や風呂場灯消えて松の月
孑孑や須磨の宿屋の手水鉢
藻塩垂れつつ侘ぶといひし須磨は海水浴の名所と変じて、蜑が焼く煙と見れば汽車の過ぎ行く世の中、敦盛の塚は猶蕎麦屋を残し、古き家の檐端に疎き簾を垂れけるこそせめては昔を忍ぶたよりなれ。西須磨を西に離れて二の谷と三の谷の間に須磨館と呼べる旅籠屋は板塀の長さ一町に余りて松林の間所々にいくつも楼を造り、風呂場あり、玉突場あり、小憩所あり、一棟を借るべく、一間を借るべく、一夜を宿るべく、一年を住むべく、賄いを受くべく、自炊すべく、極めて客に便利を主とせり、山を負ひ海に臨み松多く気清きに況して須磨病院と隣りければ此処に来て二年三年と足を留むる者多くは肺病患者――無闇に痰を吐き散らしてあたら名所を汚す厄介者と世人よりは嫌はるる肺病患者なり。此内の第一号とて最も東に立てる棟の一間を借りて二三ヶ月前より例の病を養ひ居る勝海正美といへる男あり。年頃二十四五、昔の美少年の面影は黒き眉と通りたる鼻とに残れども、目うるみ頬こけて色の青ざめたる、三年前に彼を見たる者今は此半死の勝海を認むる能はざるべし、法学士の称号は法律書経済書と共に東京の行李の中にしまひ込んで、身一つを須磨の景色にも稗史小説にも慰めかねたる此頃、昼の暑さを通り過して海風袂を吹くたそがれ時、杖に倚りて磯辺を歩行くより外に楽みはなし。
夏山のこゝもかしこも名所哉
涼しさや内裏のあとの小笹原
牡丹咲く賤が垣根か内裏跡
物凄き平家の墓や木下闇
撫子に蝶々白し誰の魂
ある夕、正美は後の山に上らんと胆太くも思ひ定めて林の中、岡の上などあちこちと迷ひありきし末、やうやう停車場近き処に出でしに、さらば浜辺伝ひに帰らんと波打ち際へ出でて見渡せば日ははや全く暮れて、五日頃の月は山の端に落ちなんとす。海水浴の人は皆去りて波の音より外に聞く者も無く疲れたる足に砂踏み悩みて喘ぎ喘ぎ行く程に次第に息逼まりて苦しければ得堪へず其処に打ち倒れぬ。しばしは急く息に苦しく、やがて胸少し静まりて後も疲労甚だしければ身動きもせで伏しけるに、足音しとしととして我に近き稍ためらひしが又徐ろに寄りて「何うかなされましたか」と若き女の声にていふ「イエ、何うもしません、少し苦しかつたので寝て居るばかりの事です」「何処でございますか、お宿迄左様申して参りませうか」「イエ、それには及びません」「それでも砂の上では冷えますから御体に障るといけません」「有り難うございますが、構はずに置いて下さい、最う善いのです」今迄は眼を開く力も無くて、只受け答許りせしが少し頭を擡げて其方を見んとすれば、女はあわただしく暇乞ひして走り去りぬ。ちらと見えし白き単衣の後姿もて推するに、女は海水浴の帰りなりと思しく、さては不様なる形を人に見せじと急ぎ隠れしものならん。
朧月須磨の釣舟ありやなし
名どころや海手に細き夏の月
月昇る紀伊と和泉の堺より
須磨の海の西に流れて月夜哉
砂濱や何に火を焚く夏の月
すゞしさを足に砕けて須磨の波
帷子や須磨は松風松の雨
正美はようよう力づきて宿に帰りぬ。翌の日は心地悪しくて外に出でず。其次の日の夕方、少しく熱の上り居るをも忘れて門を出て鉄軌を踏み切りて浜に下りたり。前日吾をいたはりくれし少女の顔も見ず名も聞かざりしこと悔しく、あながちに逢ふて礼を言はんとの心にもあらねど、何とは無き心苦しさに、余所ながら尋ねて見んと東に向いて辿り行けば、先の日と同じ時頃なるからに散歩の人も海水浴の人も見えぬに、彼方の浜近く波の中に立てる人あり。薄き月の光を片頬に受けて身動きもせぬは慥に少女なり。夜目遠くほのめく顔の光、明かに見えねばや、猶気高く神々しく乙姫などいふ女神の出現せしかとも思はれぬ。吾に物言ひかけしも此少女にはあらずやと疑はるる儘、少しづつ其方に近よれば、少女は人ありと悟りけん、直ちに砂を蹴て走り去りぬ。少し隔たりし旅籠屋の裏門より入りしとは見ゆれど何処とも見定めず。其後毎日同じ時刻をはからひて行けば何時も彼少女に逢はぬ時なし。近よりて驚かさんはさすがにて、土手の陰に潜み、あるは浜辺の仮小屋の中より窺ひなどする許りなれば終に其帰る所を得窮めず。今は只訳もなく其人なつかしく、ある夕小雨さへ降りしに、されとて其時刻に行かざらんは安心からねば、傘さして浜辺に立ち出でしに空もやもやと曇りて黒白も分からず。されども若し其の人の在らんかと例の処まで抜き足して近よれど影もなし。猶疑はしくて海の際へ進み出で闇に透かせど目に障る者もなくて、足もとにちょろちょろと寄る波白く音あり。失望して帰りぬ。
次の夜も小雨猶降りやまで、波の音荒く第一号の棟に聞ゆる程なれば、今宵はとて行かず。燈火に日記など書きつけ居しが兎角に面影目に立ちて、今宵若し浜に行かば見得たりけんなど思はれ、其夜は善く寝られず。
読みさして月が出るなり須磨の巻
藍色の海の上なり須磨の月
七夕やおよそやもめの涙雨
船に寝て星の別を見る夜哉
もしほたるゝ京の娘のおよぎ哉
翌日空うつくしく晴れて日落るより星一つ二つ輝き初むる頃例の処に行きぬ。在り、在り、女神は既に在り。乳より上を波の上に現して、白き単衣を着たるが汐に濡れたればさながら肉体の如し、髪は振りさばきて後ろに垂らしたるが端は波に浸りたらん、今しも少女は彼方を向きて静かに沖を見つめ居たるが、東の方雲少し破れて、鏡の如き十六夜の月は少女の胸より上がりぬ。平に幅広き波のふわりと寄せ来る、波は一面にふくれる、少女も波につれてふわりと浮く。月は今少女の頭光の如く見ゆ。嗚呼、神、神、よも人間にてはあらじ。
少女も動かず、正美も動かず。月独り動きて少女の頭を離るる時雲に入りかかれば少女は見えずなりぬ。正美は雲間をのみ眺めぬ。ようようにして月は再び雲を出でぬ。金龍波を走りて海一面に照らせども少女ははや見えざりき。
次の夜も其次の夜も少女は見えず。宵闇に紛れて浜近く行きて見れど在らず。十日許りつづけて行きたれど逢はず。正美も今は出ずなりぬ。
夕涼み仲居に文字を習はする
梶の葉に書きなやみたる女哉
七夕に草履を貸すや小傾城
稲妻に紅粉つけて居る遊女哉
ちかづきの仲居も居らず秋の暮
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貳
ものうさや手すりに倚れば萩の花
涼しさや松の葉ごしの帆掛船
涼しさや松の木末を走る真帆
夜や更けぬ蚊帳に近き波の音
真夜中や涼みも過ぎて波の音
暁や白帆過ぎ行く蚊帳の外
毎晩同じ時刻になれば正美は欄干にもたれて闇の木の間より海を見ることになり居りしが、其も何時しかにやみぬ。女神の面影も次第に薄らぎて、ラムプの陰に幻影を見るやうな事も無くなりしが、只無聊に困じはてて、長き日の暮しやうを考へるより外に暮しやうを考へるより外に暮しやうも無かりき。
小き女の何やら風呂敷に包みたるを提げて廊下にかしこまり「写真は宜しうござりますか」といふ。何事にてもあれかしと思ふ折柄なれば「写真とはどんな写真だ、出して見せろ」と言へば風呂敷を解いて写真を並べる。何れも須磨の景色なれば此処に住む身は珍しからねど、他日の話の料にもと四五枚買ひ求めね「これは何処の写真だ」「それは須磨館でござります」「此内の写真か、しかも第一号だな、宜しいこれも買つた」と言へば外の写真を片付けながら「有難うござります」と挨拶して帰りぬ。
ある人の平家贔屓や夕涼
赤蜻蛉飛ぶや平家のちりぢりに
涼しさや平家亡びし波の音
敦盛の笛聞こえけり朧月
為る事もなくてうとうとと昼寝の枕に就けば何やら夢を驚かす声あり。誰そと問うへば貸本屋なり。やをら起きて何があると見るに大方は田舎向の探偵小説か、さらずば大阪出版の小説類のみ。其中に二三冊伝記者ありしを撰り出でて朝夕の伽とす。伝記は古英雄の事業を描き出だししからに、初めは慰みがてらに読みしものの果は本気になりて覚えず膝を打ち腕を扼することさへ少からず。アア老いたり、勝海正美。百折撓まず水火の中に飛び込んでも一大事業を為し遂げんと思ひしものを、あたら二豎のために困められて、人生の定め其半をも過ぎざるに、はや気息奄々として力将に尽きんとする哀れさよ。一難を経る毎に百倍し来ると誇りし勇気も或は青松白砂の間に葬られて一本の線香手向くる人だになき最後とやなり了らん。敦盛は無惨の死を遂げたれども彼は死すべき時を得て千歳の下佳名を博し得たり。磨けば玉になる石の凡石と伍して同じやうに苔など生ひたらんには固より玉ありとはいかで知らるべき。一個の高畑にだに劣る――才に於て学に於て敢て劣れりとは信ぜざれども、健康に於て彼に劣りたる吾は終に事業に於ても彼に劣るべし。已んぬるかな。一朝病魔に襲はれて万事休す。嗚呼。
正美は関西の生れにて高畑権二郎なる友とは郷貫を同じくし年齢を同じくし小学校を同じくし大学をさへ同じくして同年に同じ法科を卒業せり。竹馬の交り親しき中にもおのづと競争の心起りて何事につけても負けず劣らず勉強する事となりぬ。二人ともまだ小学校に通ひ居る頃なりけん、ある時打ち寄りて将棋など試みけるに、兎角に正美の方斯る術に拙くて負け続けけるにぞ、悔しき事譬へんに物無く、将棋はてて後、おのれは大人になりなば大学を一番で卒業して天下一の人とならんといふ。正美腹立てて、二人とも一番にならんとせば誰か一番になるべき。二人とも天下一となりなば天下一の中でもどちらがえらかるべきと言へば、権二郎も声を励して、一番は一人なり、天下一も一人なり、吾は兎に角に一番になり、天下一になるべし。イヤ吾こそ一番なれ、天下一なれ。イヤ吾こそと互みに言ひ争へる末、色を変へて分かれけるが、童のいさかひ珍しき事にもあらねば、翌の日より変ることなく親しく遊びしかども、二人とも此時より競争心はいよいよ盛にぞ起りける。
されど二人の性行はいたく相反せり。正美は狷介にして人と合はぬ代りに極めて正直なり。権二郎は交際術に長じ一見人をそらさぬ風あるからに、なかなかに表裏あるを免れず。容貌さへも正美は色白く痩せたるに、権二郎は色黒く肥えたり。二人とも大学に入りて等しく勉めけれども学才は正美の方優りけん常に第一位を占め、卒業にも猶一位を占めたり。正美は学術優等の廉を以て卒業後直ちに洋行を命ぜられぬ。是に於て見事権二郎との角力には勝ちたりと独り喜ぶ時、好事魔多く、病に冒されて彼は洋行の途にも上らず、終に須磨に遊ぶ身の上とはなりぬ。勢力全く消耗して自ら快復の見込みなしと見へる程なれば
名所に秋風吹きぬ歌よまん
人もなし木陰の椅子の散松葉
秋立てば淋し立たねばあつくるし
秋立つと何を雀の早合点
けさの秋きのふの物を取られけり
ののしりし人静まりてけさの秋
秋立つやほろりと落ちし蝉の殻
旅人の盗人に逢ひぬ須磨の秋
淋しさや盗人はやる須磨の秋
青々と猶淋しさよ須磨の秋
来て見れば風が吹くなり須磨の秋
人も居らずほこりも立たず秋の風
人去つてすがすがしさよ須磨の秋
須磨に更けて奈良に行く秋あら淋し
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正岡子規といえば、
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
が有名だが、彼の一の谷への思い入れは、奈良とは比べものにならない気がする。子規の一の谷での作品を読んでいると、子規は一の谷に恋をして・・・、いや、一の谷で恋をしていたような気がしてきた。
一の谷が、正岡子規ファンの聖地巡礼地になっていないのが不思議だ。