自殺論:穂積陳重の「自殺の話」
『吾輩は猫である』の第三話で寒月が講演の練習をする「首縊りの力学」が、実在する論文をモチーフにしているということは有名な話である。
この「首縊りの力学」が第三話で語られる前に、第二話に「首懸の松」や吾妻橋から身を投げる話が語られている。
「『首懸の松さ』と迷亭は領を縮める。『首懸の松は鴻の台でしょう』寒月が波紋をひろげる。『鴻の台のは鐘懸の松で、土手三番町のは首懸の松さ。なぜこ う云う名が付いたかと云うと、昔しからの言い伝えで誰でもこの松の下へ来ると首が縊りたくなる。―以下略―』」と。
そして「○○子の声がまた苦しそうに、 訴えるように、救を求めるように私の耳を刺し通したので、今度は『今直に行きます』と答えて欄干から半身を出して黒い水を眺めました。」、「『―前略―水 の中へ飛び込んだつもりでいたところが、つい間違って橋の真中へ飛び下りたので、その時は実に残念でした。前と後ろの間違だけであの声の出る所へ行く事が 出来なかったのです』寒月はにやにや笑いながら例のごとく羽織の紐を荷厄介にしている。」(第二話)と、吾妻橋から身を投げる話へと続いて行く。
じつは松井茂に関連する論稿に「首懸の松」や「身投げ」について論じたものがある。
それは、松井茂の恩師穂積陳重の一八八七年(明治二十)三月二十六日、大学通俗講談会における「自殺の話」と題した講演をもとにした論稿である。
穂積はブラック・ジョークを交えながら、「生存競争と自殺とは全く正比例をなし、生存競争の劇しき國には必ず自殺者多く、生存競争緩やかなる時代には自殺者も随つて少く、其他、時と云ひ、所と云ひ、人種、職業、身分等に於ても、毫も右の定則を誤らず、徹頭徹尾自殺の多少は必らず生存競争の緩急に伴ふ」などと述べ、日本と欧州諸国などの統計資料を使って論証を試みて、「自殺は人類進化の一現象にして、生存競争の結果なり」と結論している。
また穂積は「自殺は教育の進歩と共に増加する」「第一に、教育は人の脳力を発達し、人の思想力を強くしまするが故に、人をして劇烈なる生存競争に向はし めまする。又第二には、教育は多く人の脳力を用ひまするが故に、どうしても脳病、精神病等を増加し、随つて自殺者の数をも増すに至ります。」「教育は人を して生存競争の準備を為さしむる様なものですから、自殺を増加するの傾向あるは、之を統計上に徴しても争はれぬ事実と思はれます。」などと、自殺と教育の 進歩との関係について指摘している。
穂積は自殺の方法について論じ、「第一 成るべく苦痛の少なきもの、第二 成るべく確かに死するもの、第三 成るべく早く死するもの、第四 成るべく体 裁の善きもの」と自殺の方法を四つに分類して、「四つの元素を兼る事多ければ多い程、人望のある方法」であるとしている。
さらに「従来普通に行はれたる自 死の方法」として、「第一縊死 第二溺死 第三銃死 第四傷死 第五毒死 第六投死 第七窒死 第八壓死 第九餓死 第十焼死」を列挙している。
そして、 これらの方法は「国々の風土人情」によって異なり、「人間は死に至る迄慾心を離れず、最もこころよき方法を求むる」などと述べている。
また穂積は、特別な自殺方法についても言及し、ロンドンでのガス自殺の例を示したり、「倫敦の警察報告の中に、或る人破裂弾を三つ計り桃太郎の黍団子と云ふ塩梅に腰に縊り付け、『マッチ』にて導火に点火し、霹靂一声ずどんと破裂させて、粉な微塵に成つて死んだ者があります。」と爆死の例を示したりしている。
さらに、イギリスでの鉄道自殺の統計を示しつつ、「我邦にても、此後は必ず壓死の数が増加するに相違ありません」と未来予測をしている。
穂積は、自殺の予防法についても言及し、「首縊の松など稱ふ木の枝を切り、身投げの淵の取締りを付け、斷食堂を毀つ等の事は、幾分か自殺の誘導を少くす る心理上の效能があります。」と、自殺の予防には「自殺の媒介物を奪ふ。」ことが大切であると述べている。
ほかにも、「輿論と自殺とは大なる關係のあるも の」として、「我邦の如く輿論にて自殺を尊び、小説等にて英雄、豪傑、美人、才子などを自殺させる様では、とても自殺の減ずる事はありません。」と指摘し、「新聞、小説、芝居、狂言等にても、頻りに自殺を擯斥し、痛く之を排斥せねばなりませぬ。」と述べている。
このように『吾輩は猫である』の第二話に登場する「首懸の松」や「身投げ」は、松井茂の恩師穂積陳重の「自殺の話」に「自殺の媒介物」として「首縊の松」「身投げの淵」と呼ばれ、例示されているのである。
そして穂積の「自殺の話」の「自殺は教育の進歩と共に増加する」、日本で必ず鉄道自殺が増加する、文明が進むにつれてガス自殺や鉄道自殺という新たな自殺 方法が生まれるなどの未来予測を、さらに進めて考えていくと、不思議なことに『吾輩は猫である』第十一話の自殺論へと繋がっていくのである。
漱石の進化論的発想は、なぜか、穂積陳重の法律進化論に似ているのである。