開高健の『猫』と『坊っちゃん』に対する指摘
開高健は『今日は昨日の明日 ジョージ・オーウェルをめぐって』(筑摩書房、1984年)で、フランスの批評家のティボーの言葉として「いかなる名作も教壇で講義されたとたん凡作になる」という言葉を引用して、「学校で教えたらもう駄目だな」と述べている。
さらに、『書斎のポトフ』(筑摩書房、2012年)では、「寺田寅彦が、漱石の作では『猫』と『坊っちゃん』がいちばん傑作で、のびのびとして書かれている、それ以後の作品は窮屈であると、あたりはばからず率直な意見を述べているけれど、まったくその通りだと思う」と、寺田寅彦と同様に『猫』と『坊っちゃん』を評価しつつ、「文芸評論家が議論するのは漱石晩年の荘重深刻な小説ばっかり。彼らも『猫』と『坊っちゃん』を楽しんだに違いないのに、それでいて、この二大作品につては口をつぐみ、まともに語った人は一人もいない。」と、文芸評論家に対する不満を述べている。
開高健の『猫』と『坊っちゃん』に対するこの指摘は、正しいように思われる。
とくに文芸評論家は、『猫』について、まともに語ろうとしていない。
最近は、杉田弘子氏の『漱石の「猫」とニーチェ』という良書の功績で、漱石がニーチェ哲学の影響を強く受けたということが定説となった感がある。いまさらわたしが、漱石がショーペンハウアー哲学の影響を強く受けていると主張しても、信じる人は少ないだろうが、あえて言えば、漱石の思想はニーチェよりショーペンハウアーに近い。
杉田氏は『漱石の「猫」とニーチェ』で、漱石とニーチェの関係を主張するために、『猫』で漱石がニーチェを引用していることと、東北大学所蔵漱石文庫のニーチェの著書に多くの書き込みがあることを根拠にしている。それないりに説得力があるといえるだろう。ただ、この書の評価は、ニーチェの漱石への影響というよりは、杉田氏が漱石に絡めて、自身のニーチェ哲学への深い理解を表現したことが高く評価されているように思われる。
杉田氏のニーチェ哲学の深い理解を生半可なニーチェ理解でおいそれと批判するわけにはいかないが、ニーチェの漱石への影響については、反証可能である。
韓国人研究者の朴裕河(パク ユハ)氏は『日本近代文学とナショナル・アイデンティティ』(朴氏の博士論文)という論文の「第十章 漱石とショーペンハウアー」で、漱石がショーペンハウアーを複数の作品で引用していることと、東北大学所蔵漱石文庫のショーペンハウアーの著書に多くの書き込みがあることを根拠に「漱石とショーペンハウアーの関係は今までほとんど省みられることはなかったが、漱石とショーペンハウアーの関係は予想以上に深い」と指摘している。
これは、杉田氏の漱石がニーチェの著書に多くの書き込みをしているという根拠と同じである。
残念なことに朴氏は、『吾輩は猫である』への言及は避けている。おそらく朴氏は『吾輩は猫である』に言及すると、学位認定にマイナスになると考えて言及しなかったのだろう。もし、真っ向から『吾輩は猫である』に取り組めば、朝鮮半島の植民地統治(社会教化事業[運動])に大きな影響を与えた戦前の代表的警察官僚松井茂と夏目漱石の関係に気付くことができたかもしれない。残念なことである。
杉田氏は、ニーチェの著書に多くの書き込みがあることを根拠にしているが、漱石はショーペンハウアーの著書にも多くの書き込みをしているのである。このことから考えると、漱石の書き込みは、ニーチェに対する興味というより、漱石の蔵書に対する読書の仕方の特徴というべきであろう。杉田氏や朴氏の蔵書への漱石の書き込みに対する指摘は、漱石の読書方法の特徴、いわゆる癖といえそうである。
朴氏が指摘するように漱石は、ショーペンハウアーを『カーライル博物館』で「英雄」と呼んでいる。
また、朴氏は指摘していないが、漱石は寺田寅彦への書簡でも「倫敦には無数の『アン』有之『ショーペ[ン]ハウワー』の説によれば8,500にんとか申す儀に候へば貴兄の御近づきの先生は一寸見当り不申何れ其内面会の折も有之候へば君よりよろしくと可申候」と、ショーペンハウアーを引用している。
漱石は、なにやら暗号めいたやりとりを寺田寅彦とするさいに、ショーペンハウアーを引用しているのである。ところが、私が漱石全集を読んだ範囲では、ニーチェについては、このような意味深な表現はない。
漱石のショーペンハウアーに対する思い入れは、ニーチェに対する思い入れより大きいように思われる。
そればかりではない。
漱石が文学者になる決心をした際に漱石に影響を与えたとされる漱石の親友米山保三郎が遺した唯一の論文の題目が、「『シオペンハワー』氏充足主義の四根を論ず」というものなのである。自身の人生に大きな影響を与えた早世した親友が、唯一この世に残した論文で扱った哲学者に興味がわかないないはずはないだろう。
ソウル出身の朴氏は、日本の義務教育における国語教育を受けていないため、何の先入観もなく漱石の作品を読めたのであろう。朴氏は新発見(再発見?)のように語っているが、漱石の思想はニーチェよりショーペンハウアーに近い。
普通に読めば、道義的同情を重視する漱石の思想は、同情を否定するニーチェより、同情を道徳の根拠とするショーペンハウアーの思想に近いことは明白である。
控え目なショーペンハウアー研究者たちは、声高に主張しないが、彼らの間では、漱石とショーペンハウアーとの思想的繋がりは、昔から指摘されていることなのである。
じつは、漱石の著作に登場する「カーライル」や「天然居士(米山保三郎)」と同様に「ニーチェ」「ハルトマン」「ケーベル」「寺田寅彦」「自殺」「婚姻」などをキーワードにたどって行くと、ショーペンハウアーに突き当たるのである。
また、漱石の著書にケーベルに関する記述で玉突き云々というのがあるが、ケーベルと玉突きをよくした人物というのは、金井延である。金井延の~主義に関する考えは、漱石によく似ている。
この金井延の弟子に桑田熊蔵(漱石と同期)や井上友一(漱石と同期)がいる。桑田と井上(井上は論文で警察を批判している)は、社会教化事業(運動)の指導者であった。
この桑田や井上の社会政策思想・社会教化事業(運動)と、窪田静太郎(漱石の先輩にあたる)や松井茂(漱石と同期で漱石の親友中村是公の親友)の社会政策思想・社会教化事業(運動)との差異を知った上で、漱石の同期(松井茂)たちが展開する国民精神総動員運動へと至る社会教化事業(運動)の周辺に漱石がいたことを前提に、漱石の『文学論』を読めば、漱石の『文学論』が文学論にかこつけた世論研究であることは誰にでも理解できるはずである。
『文学論』における世論研究を背景として漱石作品があると考えて、漱石の作品を読み返せば、漱石が何をしようとしていたかは自ずとわかるはずである。
これまで地上に存在した文芸評論家たちは、漱石がショーペンハウアーの思想的影響を受けていたことと漱石が警察の比喩として「探偵」という語を使っていることを完全に無視して、『吾輩は猫である』を読み流している。
文芸評論家は、『吾輩は猫である』の諷喩を全く理解することなく、漱石の作品群を読んでいるのである。
開高健の「『猫』と『坊っちゃん』」「二大作品につては口をつぐみ、まともに語った人は一人もいない。」との文芸評論家に対する指摘は、実にすばらしい指摘である。
開高健の、「いかなる名作も教壇で講義されたとたん凡作になる」との指摘は、漱石が教科書で取りあげられることが最も多い作家であるため、かえって漱石の風刺の真髄(警察の比喩として「探偵」という語を使って警察による社会強化事業[運動]を批判)が語られずじまいになっているとのことを教えてくれているようにさえ思える。
漱石が警察の比喩として「探偵」という語を使っていることを知れば、漱石が『二百十日』で述べている「文明の革命」が何か容易にわかるし、漱石の文明批判が何かも一目瞭然である。探偵化(皆警察化)した現在、漱石作品の中で、探偵化した人間が探偵的に探偵と戦う『坊っちゃん』に人気が集まるのも、もっともなことである。ヤマアラシのジレンマ(ショーペンハウアーの小話が元)を見るようでもある。
漱石は、人間が探偵化(警察化)すること、国民皆警察(戦前の代表的警察官僚の松井茂が推進した政策)という社会教化事業[運動]を批判していたのである。