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自然と私の暮らしを繋いでくれた日本語

物心ついた頃に、
私はよくガジュマルの樹に登っていました


家から数歩でいける広場を、
ぐるりと囲うように植えられていて、
夏休みにはラジオ体操したり、
ふだんはお年寄りがゲートボールをしたりしていました
 

そこに就学前の幼い私でも、
登りやすいガジュマルがたくさんあったのをおぼえています

小学校の校庭の片隅にも、
いつも仲良くしてたガジュマルの樹があって、
校内スケッチ大会の時は、
よくモデルになってもらっていたし、


昼休み樹上で、ともだちと手分けして
はっぱに樹液を集め、
天然のガムをつくったりしました


これは、わたしのばあちゃんが
食べ物が少ない戦後に、
空腹を紛らわせるのにしていた
という話を聞いていたので
自分でも実際に試してみたのでした


よく毛虫にも刺されたけど、
あの時は全然平気だったんですよね、不思議と

じいさんのヒゲのような気根を垂らした大ガジュマルたち

友達のように
家族のように
毎日触れ合うのが当たり前の存在


0歳のときから祖父母宅で育てられ
じいちゃん子だった私は、
胡座をかいたじいちゃんの足に
すっぽりハマって座るのが
いつもの定位置で

ガジュマルに樹に登る時も
どこかそれと似た安心感がありました


ある時、だれやみ(晩酌)していたじいちゃんに
ガジュマルが大好きって話をしたら

じいちゃんは
『ケンムンに気に入られたんじゃやぁ』
と話してくれました

ケンムンはガジュマルに棲む精霊とも
子供たちと相撲をとる妖怪とも言われていました

ケンムンと相撲をとって負けた子供は
神隠しに合うと
恐れられた存在でもありました

うちのひーじいちゃんは
相撲に勝ってケンムンを負かしたのが自慢だったらしいです

ケンムンにもガジュマルにも
どこか懐かしく、親しみをもつことができたのは
先祖代々ガジュマルと精霊に親しんできた
歴史がDNAに刻まれているからなのかもしれません

小さい頃にそんな話を聞かせてもらったのと
自分の中に当たり前にあった体感を通して
自然という存在は

今の時代のように
見えない境界線によって隔たれたものではなく

いつも当たり前にそこに在る
私の一部でした

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最近のおはなし
 

11年前ほど前から音読を始めて
遠く隔たれた存在になりかけた自然が
ふたたび、ググっと身近なものとなりました
 
自然が近くになった
さらに言うなら、自然と一体化している感覚
それが、この上ない幸せを
蘇らせてくれる
 

エネルギーの循環
共にある喜び
 

この感覚を多くの人に伝えていくことで
たくさんの人が
この地上に存在できることだけで
無条件の幸せを体感できる人を
増やしていけるのではないか
 
そう思うようになったのです。

 

ちゃんと再現性があるものとして
客観的に、
その理由を知りたいと思い、
日本語研究に没頭しはじめます

派生して
日本の先史・古代史
言語学・言霊学
古神道
武道
量子物理学
数学
脳科学など

かなりマニアックな世界にどっぷり

そして、
母音優勢言語という日本語五十音の成り立ちと
母語として形成された脳が関係していることに至ります

地球が発するシューマン共振波と
母音の発する周波数の近似

 

日本語を母国語として
日常的に使うことで

あらゆる自然音を
言語脳である左脳によって
言語として聞いていたこと

音読によって
潜在意識にたっぷり取り込まれた日本語が
自然音を言語として聞き取る能力を
知らず知らずのうちに強化したからなんですね

 

森羅万象あらゆる自然の働きに
名前をつけ八百万の神として
大切にしてきた先人たち

日本語も同様に大切に伝えてきてくれたことの喜びが
感謝の思いと共に、今身に沁みています


祭祀を行い
神々に
五穀豊穣や暮らしの安寧を願う

意を宣る【祈り】は祝詞というツールとなって
古くからある日本語は脈々と今に伝わっています

言葉を通して言祝ぎあい
エネルギーの循環を試み
自然と共生しながら
命を繋いで来た先人たち


あらゆる自然と私たちの暮らしを
繋いでくれたものが
日本語

先人たちが大切に守り継いできたものを
次の世代に伝えていく
その役割を果たしていきたいと
改めて強く願います

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