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辻利のブランディング戦略

こんにちは!
wagashi株式会社のあやです。

いきなりですが、皆さんは「辻利」と聞いてどのようなイメージを思い浮かべますか?

・京都でみたことある!
・抹茶スイーツが美味しい
 
など、様々なイメージを思い浮かべるのではないかと思います。

辻利=美味しい、抹茶にこだわってる

辻利の凄い所は、名前を聞いただけで美味しくて、抹茶にこだわりのあると想像できることです。

これは、辻利が様々な戦略を経て、印象付けるようなブランドを構築してきたからです。

そのイメージを持たせるまでに辻利がどの様な歴史や戦略を経ているのか。
調べてみると、今まで見えていなかった"真の辻利"が見えてきました。

今回は、どうして辻利がここまで大きくなったのか、辻利の「ブランディング戦略」をお話していきます。
何か1つでも、なるほど!と思っていただけると嬉しいです。

▼目次

𓏸辻利
・辻利の創業
 ・革新的なことに挑戦
 ・ブランド名の認知拡大
 ・辻利の違い
_________________________________________
𓏸辻利一本店
 ・プロフィール
 ・こだわり
 ・流行にいち早く乗る
 ・市場の拡大
 ・他社とコラボレーション
_________________________________________
𓏸祇園辻利(都路里)
 ・プロフィール
 ・こだわり
 ・インフルエンサーマーケティング
 ・リブランディング
_________________________________________
𓏸まとめ


𓏸辻利

 ・辻利の創業
創業者は辻利右衛門。創業は1860年。
1860年大老の井伊直弼が暗殺され、江戸幕府は衰退していきました。宇治の茶師たちは幕府から手篤い庇護を受けていた為、お茶業界も共に衰退していきました。当時餅屋(和菓子屋)だった辻利右衛門は「こんな素晴らしいものを失くしたくない」と感じ、創業に至りました。

 

革新的なことに挑戦
辻利右衛門は玉露の製法や茶箱を完成させました。東京の大手老舗茶園が茶箱を大変気に入り、取引を開始ししました。それにより、辻利の名が全国に知られることとなりました。また、玉露製法や茶箱は特許を取らなかったため、全国で生産され使われるようになりました。

 

ブランド名の認知拡大
3代目辻利一になり、事業を拡大させていきました。また海外進出を勧めており、中国大陸や台湾に支店を配置しました。しかし、第二次世界大戦により、日本に撤退となりました。海外で働いていた者たちが全国に広がり、ブランド名が各地に定着しました。

 
辻利の違い
辻利は本家を覗いて大きく4つに分けることができます。本家、暖簾分け型、分家型、看板貸与型。共同出費型です。本家は「京都宇治 辻利(株式会社 辻利一本店)」、暖簾分け型は「宇治茶ら祇園辻利(茶寮 都路里)」、分家型は「辻利兵衛本店」、共同出資型は「株式会社 辻利」となっています。看板貸与型の店舗は調べることができませんでした。(分け方についても記事によって少し違いがありました。今回は京都の方に聞いたお話をもとに作成しました。)

𓏸辻利一本店

 ・プロフィール
設立は1950年。創業1860年の辻利の本家となります。
特徴として、“辻利”の商標登録を所有しています。現在は加工用抹茶を主に扱っており、ここのロゴのある洋菓子の数が多いです。


 ・こだわり
辻利一本店のこだわりは香料をなるべく使わないということ。抹茶本来の色や香りを楽しんで欲しいという思いからだそうです。現在、辻利一本店で生産している抹茶製品は抹茶アイスのみとなっています。殆どが他社メーカーとのコラボ商品ですが、必ず味の確認をしているそうです。

 
・流行にいち早く乗る
以前は扱っていたお茶の20%ほどしか抹茶を扱っていませんでした。しかし、抹茶が流行るとの噂をいち早く聞きつけ、抹茶路線に変更しました。また、以前から抹茶を主軸にた製品を研究していましたが、力を入れるようになりました。

(扱うお茶の移り変わりのグラフですが、年代が書いていなかったため、大体の表記となります。)


 ・市場の拡大
辻利一本店と片岡物産は合併会社「株式会社 辻利」を設立しました。それにより、ラインアップの拡充をすることができ、ドラッグストアやスーパーに市場を広げることができました。現在この会社の人気商品である、"辻利 抹茶ミルク 柔らか風味200g"は市場シェアランキングで1105品中34位となっています。



 ・他社とコラボレーション
辻利一本店は他社と沢山コラボをしています。コラボ商品のパッケージや紹介文には「辻利一本店の抹茶使用」との記載が多く見られます。これにより、お菓子が好きな消費者に知ってもらうことができます。また、あえて書くことで、辻利一本店は「美味しい抹茶、良い抹茶を使っているんだ」と消費者に感じさせることができます。それにより、商品の売上に繋がるため他社はより「辻利一本店の抹茶使用」と書くことに繋がっています。
さらにJTとの共同開発により、ペットボトル飲料を販売しました。これによりスイーツだけでは補えなかった、男性への認知を拡大することに成功しました。


𓏸祇園辻利(都路里)

 ・プロフィール
1949年設立しました。本家との関係性は暖簾分けとされています。(諸説あり)
祇園辻利は当時台湾で支店をしており、祇園に 礎とすることから、祇園辻利に改名しました。昔からマーケティングに力を入れていると感じました。

 
・こだわり
「お客様にとって不足の内容に隅々まで気配りをする」。「マーケティング課の人は接客するのではなく、お客様の行動を見ている」という営業スタイル。「マーケティングとは
経営の根幹であり、強みと弱みは何かを知ること」という考え方です。

 
・インフルエンサーマーケティング

茶寮 都路里をオープンさせた時、お客様を呼び寄せるために、舞妓さんに食べに来てもらいました。それにより、舞妓さんの口コミや噂が広がり、「舞妓さんが来る喫茶店」として人気になりました。これは現在も使われている手法だと感じました。現在では、舞妓さんはインフルエンサーに置き換えられると思います。

 
・ブランディング

祇園辻利はブランディングする前に、まずインナーブランディングする必要があると考えました。団結力が無ければお客様により良く見てもらえないからです。まず、ブランドデザインを統一しました。当時、社内にデザイン専門の人がいなかったため、他社から雇いました。HPも祇園辻利と茶寮 都路里が一緒の会社だとわかるように作り変えました。
また、マーケティング課を設置しました。しかし、営業部署の人からは新しくできたマーケティング課の仕事が理解できず、壁ができてしまっていました。そこで、社内の理解を深め、団結力を高めていきました。

𓏸まとめ

Q辻利はどうしてここまでま大きくなったのか


A.どこの顧客を抑えるべきか把握している。
   インナーブランディングがうまい。

ということがあげられます。

まず、創業当時から大手老舗茶園など、名を広げるのに最適な顧客を押さえていることがわかります。辻利一本店では、自分の会社だけでなく、他社を押さえることで生産能力を上げ、名前を広げていきました。

これだけたくさんの辻利と付く会社がある中で、150年もの期間生き残れているのは、インナーブランディングがしっかりしているからだと感じます。社内の団結力を強めることで、会社が一体となり同じ方向に動くことができます。足取りを揃えることで自社の心をしっかり持ち、揺るがないということが大切だと言えそうです。

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