「すみません」と「ありがとう」は全然違う
どうも。検査入院中のイマニシです。今日で入院5日目で、とにかくいろんな検査をしています。先日は血液検査で15本分の採血をしました。お、多すぎる。
ひとまず、入院先の主治医(外来の先生とはまた別)は筋生検と筋電図は不要だと思っていて、私もしたくないというのは伝えました。ただ、希少疾患だから研究として必要と考える医師もいるかもしれないので、来週火曜まで確定ではないとのこと。
入院していても同じ病気の人に出会うわけではないのですが、みなさん私よりも年齢が上の方が多い印象です。4人部屋で会話が筒抜けなので、医師や看護師との会話を聞いていると、「すみません」とか「ごめんなさいね」とかの発言が多いことに気付きます。
私もふとした瞬間に「すみません」と言うときはあるんだけど、これからは「すみません」の代わりに「ありがとう」を言おうと思っています。
だって、「すみません」とは言うものの、実際は謝る必要がない場面が大半じゃないですか。自分がミスして「すみません」っていうのは正しいけど、「迷惑かけてすみません」ってちょっと悲しすぎるなと。そもそも好きで迷惑かけてるわけじゃないし。
それなら「手伝ってくれてありがとう」の意味での「ありがとう」を言うほうが良くて、そうすることでお互いに気持ちよくいられそうだなと。だから、私は今度から電車で席を譲ってもらえたら「すみません」じゃなくて「ありがとうございます」って言おうと思うし、友人が気遣いをしてくれたら「ありがとうね」って言うつもりです。
同じようなことを先日、トゥレット症のドキュメンタリーを見たときにも考えていて、入院してさらにその気持ちが強くなったので書いておくことにしました。
ドキュメンタリーのなかでトゥレット症の男性が色んな場面で「すみません」とか「ごめんなさい」を言ってる姿が、私はすごく辛かったです。たぶん、”多くの人ができることができていない自分”をその男性に重ね合わせてたんだと思うけど、「私は謝るのは減らそう」と考えるきかっけになりました。
突然ですが、私はハタチの頃に斉藤和義がすごく好きでした。その頃、作家の伊坂幸太郎と斉藤和義がコラボした「ベリーベリーストロング~アイネクライネ~」という楽曲があって、この曲がいまも大好きです。
とくに好きな歌詞は
という部分。これまでは仕事でしんどいときに思い浮かべてたけど、いまはあらゆる場面で思い出そうと思います。それではまた次回。
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